笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2012-11-05

インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part11

インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part11
武久源造



前回は、チェンバロ演奏の基本=一つの旋律を弾く際に、チェンバロでは何ができ、
何ができないのか、についておはなししました。これに引き続き、今回は、チェンバ
ロにおける音の種類の選択について説明しましょう。

来る11月18日に私が演奏するカークマン・モデルのチェンバロは、

2段の鍵盤、
3セットの弦、
4列のジャック、
5個のストップ

を持っています。別にいうと、このチェンバロは、

二つの演奏空間、
三つの音源、
四つの演奏メカニズム、
五つの音色、

を備えている、という言い方ができるでしょう。奏者は、これらを自由に組み合わせ
て、各曲の表現に最適な音の場を設定することができるのです。
以下、これについて、できるだけわかりやすい説明を試みましょう。

まず、鍵盤が2段ある、ということは、演奏に先立って、どちらの鍵盤で弾くのか、
しかも両手を同じ鍵盤で弾くのか、異なる鍵盤で弾くのかということを、決定してお
かなければならないわけです。
2段の鍵盤を使える、ということは、我々の左手と右手を異なる鍵盤に置き、それぞ
れ独自の運動空間に遊ばせることができる、ということであり、また、それぞれに独
自の音色を選ぶチャンネルを持つことが許される、ということです。これは、ピアノ
にはないチェンバロの魅力の一つです。(ただし、チェンバロにも1段しか鍵盤のな
いものもあります。)もちろんチェンバロでも、両手ともに、同じ一つの鍵盤上で演
奏することもできます。したがってここで奏者は四つの選択肢を持つことになりま
す。

1)両手共に下鍵盤、
2)両手共に上鍵盤、
3)右手は下、左手は上、
4)左手は下、右手は上。


次に、このチェンバロには弦が3セット張られています。したがって、一つの鍵盤を
弾いた時に、最大限三つまでの音を同時に鳴らすことができるわけですが、この場合
も、どれか1本の弦のみを使う場合、2本を組み合わせる場合、3本を全て使う場合と
で、総計7種類の選択肢から、自由に選ぶことができるようになっています。
3セットの弦の内、2セットは同じ長さで、それらは同じ駒上に張られています。それ
らは、普通のピアノと同じ高さの音を出し、8フィート(8')と呼ばれています。8フ
ィートという言い方は、オルガンの用語を借りてきたものです。
残りの1セットは、1オクターヴ高い音を出すためのもので、長さは8'のほぼ半分で、
8'とは別の駒上に張られ、4フィート(4')と呼ばれます。

さて、これらの弦をはじくための装置をジャックと言います。形状は、細く平べった
い木片のように見える物です。そのジャックがそれぞれの鍵盤の先端近くに乗ってい
ます。これが音の数だけあるわけで、横にずらっと並んでいます。これをジャック
列と呼びます。このジャック列が、このチェンバロでは4列装備されているというわ
けです。(これも、チェンバロによっては、3列の物、2列の物などがあります。4列
というのは、最大級の規模です。)
チェンバロに座ってカバーを外して眺めると、手前側から4列、ジャックが並んでい
るのが見えます。それは手前から順番に、

ナザール8'、
フロント8'、
バック8'、
4'、

と呼ばれます。4列の内3列までが、8'です。ということは、その3列は、同じ高さ
の音を出す、ということを意味します。それらのジャックが接触する弦が、同じ長さ
だからです。ただし、音の高さは同じですが、音色が異なります。それは、ジャック
の前後位置が違うことによって、弦をはじく位置が異なるからです。ナザールのジャ
ック列は、かなり手前にあるので、弦の端、駒近くをはじくことになります。その結
果、鼻にかかったような不思議な音がします。ナザールとはフランス語で「鼻にかか
った」という意味です。それとはかなり距離をおいて、フロント8'のジャック列があ
ります。この距離の分だけ、弦の真ん中寄りをはじきます。音は、より太くなりま
す。
バック8'は、さらに奥側にあって、その分弦の真ん中に近づきます。音はますます太
く、暖かな音色になります。
一般に、撥弦楽器、リュート、ギター、筝などでは、このように弦をはじく位置を変
えて、多様な音色を創っています。(筝では、特に生田流の演奏で、この技法の好例
を聴くことができます。)

さて、ここからがちょっとややこしいのです。がんばりましょう!
これらのジャック列のうち、ナザール8'とフロント8'のジャックは、上鍵盤に乗って
います。つまり、これらは上鍵盤によって動かすわけです。さらに、この2列は、同
じ弦を共用しています。ということは、この二つは、同時には使えない、ということ
になります。また、このフロント8'のジャックは、ドッグレッグ(犬の足)と呼ばれ
る独自の構造によって、上鍵盤と共に、下鍵盤にも乗っているのです。これにより、
このジャックは、下鍵盤によって動かすこともできるようになっています。この仕掛
けをカプラーと言い、下鍵盤を前後に動かすことで、オン・オフできます。オフにす
ると、このジャックは上鍵盤専用になります。
一方、バック8'と4'のジャックは、下鍵盤に乗っており、この2列はそれぞれ固有の
弦をはじきます。したがって、この2列は同時使用が可能です。ここで、カプラーを
オンにすると、4列のジャックのうち、3列までを下鍵盤で弾くことができるというわ
けです。これによって、この3列、即ちフロント8'、バック8'、4'に関しては、あら
ゆる組み合わせで弾くことができるけれども、ナザール8'は、孤立していて、残念な
がら他のジャック列と組み合わせることはできません。

これら4列の組み合わせの可能性は計算上は15種類ありますが、上述のように2列のジ
ャックが一本の弦を共用し、かつ、ナザールが孤立しているために、結果的に、奏者
は合計8種類の組み合わせを選べることになります。

さて、これら4列のジャックは、その先端近くにプレクトラムと呼ばれる爪を、弦に
向かって突き出すように装着されています。鍵盤の手前側をを押し下げると、梃子の
原理で奥側は上がり、そこに乗っているジャックも上がります。すると、ジャック先
端の爪が弦に触れ、さらに鍵盤を押し下げると、その爪が弦を巧くはじくように調整
されているわけです。このときの爪と弦の接触幅は、ほんの0.2ミリ以下ですので、
これらのジャックを、爪とは反対の方向に少しずらしてやるだけで、弦をはじくこと
ができなくなります。このようにしてジャックの作用をストップさせる、つまりオフ
にする装置をストップと呼びます。オン・オフスイッチと同じ機構です。これが、4
列のジャック列それぞれにありますので、計四つ、それぞれ専用のレバーで操作しま
す。それに加えて、駒ぎりぎりのところで、弦に小さなフェルト片を軽く触れさせる
装置があります。これを、バフ・ストップと呼び、やはり専用のレバーでオン・オフ
します。これをオンにすると、倍音がカットされて、リュートの音に近い音色が得ら
れます。この仕掛けは、上鍵盤の2列のジャックが共用している弦に装着されていま
す。したがって、ナザール8'とフロント8'を使う場合にのみ、そこにバフ・ストップ
をかけるかどうかの選択ができるわけです。

これら五つのストップ・レバーは、奏者の手の近くに装備されていて、演奏中に、こ
れらをオン・オフすることも、やろうとすれば不可能ではありません。この五つの音
色の組み合わせは、計算上は31種類ありますが、メカニズム上の制約があって、都合
13種類が利用可能です。

ここで、今までの話を整理しておきましょう。
つまり、このチェンバロでは13種類もの異なる音色を作ることができるのです。18世
紀人の知恵、なかなかすごいですね。これは、アイディアとしては、我々の時代のシ
ンセサイザーなどと、基本的に同じだと言えるでしょう。
しかし、それらの音色は、シンセサイザーのようにスイッチでもってデジタル的に組
み合わせられる、というのとはちょっと違います。
上に述べたように、この13種類の音色は、その中に、4種類の鍵盤の組み合わせ、7種
類の弦の組み合わせ、8種類のジャックの組み合わせ、という互いに異なる内容を含
んでいるのです。しかもそれらが、折り重なるような重層的な関係になっている。こ
れを奏者の側から整理すると、、

1)2段鍵盤の内、どの鍵盤に指を置くか、
2)3セットの弦の内、どの弦を使うか、
3)4列のジャックの内、どのジャックを使うか、
4)最終的に、五つのストップのどれを使って、どのような音色にするか、

この四つの選択を、我々は重層的に行っている、ということになります。分かりにく
い説明ですみません。

さて、一般に、楽譜というものは平面に書かれた2次元の情報です。我々奏者は、い
わばそれを3次元の音構造にして、聴き手の皆さんにお届けしています。その構造の
青写真は、まずはチェンバリストの頭の中にあります。そのデザインに沿って、チェ
ンバリストは、上述の4レベル、即ち、鍵盤、弦、ジャック、ストップの組み合わせ
を選び、その音構造を立ち上げるのに最適な環境を作っているということができま
す。

では、実際に『インヴェンツィオン』や『シンフォニア』のそれぞれの曲を私が、ど
の鍵盤を使って、どの弦を、どのジャックではじいて、どのようなストップの組み合
わせで弾くのか…。
その全てを、ここであらかじめ説明することは、残念ながらかなり難しいと言わねば
なりません。
もちろん、現段階で私の頭の中には、今回の本番でどうするか、その設計図はできて
います。しかし、チェンバロという楽器は、毎日少しずつ変化していて、同じ弦を同
じジャックを使ってはじいても、その日によって、予想外の音色になることが多々あ
るのです。我々はそれを踏まえて、本番の日の朝、楽器と相談しながら、最終的な計
画を練らなければなりません。なかなか、骨の折れることですが、これがまた、あっ
と驚く発見に満ちていて、楽しい。

まあ、とはいっても、ほとんどのデザインは、たぶん、私の設計図通りに実行するこ
とができると思います。それについて、少し予告しておきましょう。

(続く)

(全文・武久源造 写真,一部校正/改行・optsuzaki)