笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2012-11-06

インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part12

インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part12
武久源造




前回は、今月の18日に私が福山で演奏するカークマン・モデルのチェンバロでは、13
種類の異なる音色を作ることができる、というお話をしました。

ここで少し専門的な話になりますが、実は、オリジナルのカークマンの仕様では、鍵
盤を動かして、カプラーをオン・オフする仕掛けは装備されていませんでした。した
がって、もともとのカークマンでは得られる音色の種類はもっと少なかったことにな
ります。福山延広教会にあるチェンバロは、製作者のフィリップ・タイアーと私のア
イディアで、オリジナルのカークマン仕様に、ジャーマン・カプラーと呼ばれる仕掛
けを組み込んだものなのです。

翻って、現在、世界の多くのチェンバロ、そして、日本で作られるほとんどのチェン
バロでは、後期フレンチ・モデルと言われる仕様が標準化されています。そこでは、
2段ある鍵盤の上鍵盤の方を動かしてカプラーをオン・オフするフレンチ・カプラー
が特徴的です。しかし、私は、特にバッハを弾く場合は、ジャーマン・モデル、即ち
ドイツ語圏で好まれたタイプのチェンバロ(ツェルやジルバーマン)を愛用していま
すが、そこでは、下鍵盤を動かしてオン・オフするジャーマン・カプラーが用いられ
ていました。一方、カークマンは、イギリスで名を成した製作家でしたが、もともと
はドイツから移住した人でした。というわけで、カークマン・モデルにジャーマン・
カプラーを組み込むことは、ごく自然なことのように、私には思われました。

こういうことは、一般の聴き手の皆さんには、あまり興味を持っていただけないこと
かも知れませんが、私のようなチェンバリストにとっては、非常に気になるポイント
の一つなのです。まあそれはさておき、ここまで読んでくださった方の中には、
「今までチェンバロの演奏を聴いていて、13種類もの異なる音色を聴いた覚えはない
ぞ」と、いぶかしく思われた向きもあるでしょう。実は、そう思われたとしても仕方
がない、という面があります。たとえば、去る5月に、私が延広教会で『ゴールトベ
ルク変奏曲』を弾いた時には、合計8種類の音色しか使いませんでした。しかし、こ
の8種類という数にしても、今日、世の標準的なチェンバロ演奏からすると、法外な
数です。現在、演奏会や録音などで聴かれる、チェンバロによる『ゴールトベルク』
の演奏では、ほぼ4種類の音色で、ほとんどの曲を弾いてしまう、というケースが大
半です。その4種類を列挙すると、

1)バック8'、
2)フロント8'、
3)バック8'+フロント8'、
4)バック8'+フロント8'+4'。

しかも、この4種類は、いつも均等に使われるわけではありません。全体のほぼ半分
強は1)と2)で弾かれ、3)が2・3割、4)は1割弱、といったところです。

このように、現在チェンバリストの間で、音色に関して、ごく禁欲的な演奏が瀰漫し
ているのには、いくつかの理由があります。それを理解するには、チェンバロ復興の
歴史を考える必要があります。

チェンバロは、20世紀初頭に復興された古楽器です。復興当初は、プレイエルなどの
ピアノ・メーカーが、現代ピアノの技術を応用して、チェンバロらしきものを拵えた、
という状態でした。。「現代の進んだぎぎゅつがあるのに、なぜ、昔の製法に戻る必
要があるのか」というのが、当時の人々の考え方でした。だから、そのころ復興試作
されたチェンバロには、巨大な鉄骨が入っていたりして、まるで現代ピアノのような
外見のものもありました。そのような楽器を、我々は今、モダン・チェンバロと呼ん
でいます。その後、少しずつ、昔のチェンバロの姿に戻ろうとする傾向が強まっては
きましたが、1950年代までは、基本的にモダン・チェンバロの時代でした。大型のモ
ダン・チェンバロでは、鍵盤は2段、弦は4セット、ジャックは5列、ストップは八つ、
というのが標準でした。これは、その昔、16~18世紀に各国各地域のチェンバロ・
メーカーたちが独自に開発していた様々な仕掛けや仕組みを、1台のチェンバロに全て組
み込もうとした結果でした。つまり、いいとこどりをやろうとしたわけですが、この
結果、ごちゃごちゃといろいろな装置が取り付けられた楽器になってしまった。

こういうモダン・チェンバロを弾いていた我々の先輩たちは、元オルガ二スト、ある
いは、オルガニストと兼務、という奏者が多かった。ヘルムート・ヴァルヒャやカー
ル・リヒターはそういう「オルガニスト兼チェンバリスト」の代表格でした。彼らは、
オルガンと同じ発想で、チェンバロの音色の組み合わせを大胆に変化させました。曲
の演奏中でも音色を自由に変えられるように、足で操作するペダル機構が開発され、
彼らはそれを駆使して、昔のチェンバロ曲を、いわばオーケストレーションして演奏
したのでした。

こういう演奏で派手にオーケストレーションされた『インヴェンツィオン』などを聴
くと、確かに、ピアノとは違う、「チェンバロ独特の世界」というものを、誰でも直
ちに感じ取ることができました。この分かりやすさのために、モダン・チェンバロは、
最近まで、様々な用途に使われたのでした。この楽器の為に曲を書いた現代作曲家も
多く、その中には、今でもなお演奏され続けている秀作が少なくありません。中でも
有名な物には、ファリャの『チェンバロと六つの楽器のためのコンチェルト』、プー
ランクの『田園協奏曲』、リゲティーの『コンティヌーウム』などがあります。

しかし、このモダン・チェンバロには大きな欠点がありました。それは、余りにも様々
な仕掛けを装着したために、チェンバロ本体の共鳴が阻害され、8'一列というような、
ごく単純な音色を選んだ場合、音が痩せていかにも貧弱、特に、基音や低次倍音が弱
かったことです。また、多くのモダン・チェンバロでは、はじく音を柔らかくするた
めに、爪には皮革材などを用いていました。これはやはり、人々の耳があまりにもピ
アノの音に適合していたために、鋭くはじく本来のチェンバロの音を受け入れなかっ
たためと思われます。(確かに、18世紀でも、革材で弦をはじくことは、一部のチェ
ンバロで行われてはいたのですが、それは、明らかにチェンバロの本来の音ではあり
ませんでした。)本来のチェンバロは、鷲や鷹などの硬くてしなやかな羽軸を削って
作った爪で、比較的柔らかい金属の弦をはじく。その時に生まれる強い基音と豊かな
倍音、そして、ある種のノイズも含めて、それらを受け止め、十分に膨らませて、音
楽的な音に育てる響体を持っていました。その響体には、ちょうどヴァイオリンやチ
ェロがそうであるように、できるだけ余計な物を取り付けず、自由に響く状態にして
おくのがベストでした。このようなチェンバロでは、一本の弦を単純に鳴らしただけ
でも、その1音の中に、強い基音、そして、弦の長さの2分の1が出す8度、3分の2の5
度、4分の3の4度、5分の4の長3度、6分の5の短3度など、音階のあらゆる音が同時に
鳴る。つまり、巧みに作られ、良く調整されたチェンバロであれば、1音の中に全て
の音が聴こえる、という、極めて宇宙的な楽器であったわけです。そして、そのよう
なチェンバロは、やはり、昔通りのやり方で作らないと、できない。このことが、
1960年前後に発見されると、チェンバロをできるだけ、それが生まれた時代のやり方
に忠実に再現しようという製作家が現れ、また、それを、昔通りの弾き方で弾こうと
いう演奏家が現れ始めました。現在私たちも、基本的にはその仕事を推し進めている
わけです。こうしてできた楽器を、ヒストリカルな楽器、と呼んでいます。

このようにして、ヒストリカルなチェンバロを弾き始めた人たちは、モダン・チェン
バロの奏者とは逆に、あまり、ストップ操作を多用せず、できるだけシンプルな音色
で弾くのを好みました。その方が、チェンバロ本来の魅力が、より明瞭に伝わると思
われたからです。特に16世紀や、17世紀前半に作られた初期のチェンバロでは、弦も
2セット、ジャックも2列、鍵盤は1段というものが多かった。こういうチェンバロで
は、もともと、あまり多くの種類の音色は作れません。この種のシンプルなチェンバ
ロが、チェンバロの基本であるとすれば、音色の変化に頼らず、弦の振動が響体の中
で時間的に変化する過程で聴かれる多様な揺らぎを生かした奏法、つまり、私がこの
解説のPart10で述べたような奏法こそが、チェンバロ演奏の王道であると考えられま
す。モダン・チェンバロの時代には、我々の先輩たちは19世紀的な美学と、ピアノや
オルガンの奏法を延長応用してチェンバロを弾いていたと言えるでしょう。それが、
ヒストリカル・チェンバロの時代になって我々は、17世紀や18世紀に書かれた奏法の
教科書や指南書を読み始めた。例えば、モーツァルトの同時代社テュルクの『クラヴ
ィーア教本』には、時間を伸縮させて弾く双方が開設されています。また、バッハの
従弟ヴァルターは、「鍵盤奏者は7種類のレガートを使えなければならない」と言い、
それについて詳細な解説を書き残しています。さらに、原点資料の中には、興味深い
昔の指使いを書き残した物も、かなりたくさん散見されます。こういうものを再構成
して、音楽修辞学の考え方に従いつつ、チェンバロ音楽の解釈と奏法を甦らせる。そ
れが、我々のやっていることであるわけです。しかし、それは、昔の美学の不器用な
真似ごとに終わってはいけないと思います。そこに、現代を生きる我々の感覚が創造
的に盛り込まれてくるのは当然のことであり、そうでなければ、その音楽は我々の財
産とはなりえないと思うからです。


ところで、18世紀半ば、バッハの晩年には、チェンバロは既にその衰退期に入ってい
ました。この時代になると、チェンバロには、本来なかったような仕掛けを取り付け
て、音色の多様さが求められるようになった。カークマン・チェンバロなども、その
例の一つです。
こういうわけで、バッハがその円熟期を迎えたころ、チェンバロはちょっと微妙な段
階に差し掛かっていたわけです。バッハの大作の多くは、専ら、2段鍵盤の大型チェ
ンバロのために作曲されました。オルガンの名手でもあったバッハは、チェンバロに
も、ペダル鍵盤を装備し、多くのストップによる多様な音色の変化を駆使したであろ
うことは間違いありません。彼の息子であるエマーヌエル・バッハは、あるチェンバ
ロ・ソナタの楽譜に、ナザールやバフ・ストップを使って、多様な音色を創りだす方
法を書き込んでいますが、こういう工夫の多くは、おそらく父親から引き継いだもの
であったでしょう。

これらの事情を総合し、かつ、先人たちの仕事を踏まえつつ、私は、チェンバロの可
能性と、そこで演奏する音楽の可能性とを積算して、さらに新しい奏法を開拓しよう
と思っています。なぜなら、私にとってチェンバロは、既に古楽器ではなく、ちょう
どバッハにとってそうであったように、今なお生きて変わり続ける我らの時代の楽
器、そして、未来の楽器だと思えてならないからです。

(全文・武久源造 写真,一部校正/改行・optsuzaki)