笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2014-12-31

メガネのツザキ・新春営業のご案内

新年は 4日() 9:00より 営業いたします






2014-12-30

五線譜



ひくしおが かなでる おんがくを ひいてみようか


2014-12-29

緑子を手渡しで


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坂本弘道さん、先日貸し出していた機材をさっそく届けてくださいました。その上、なんと自身のCD“緑子 MIDORI-KO オリジナル・サウンドトラック”をいただいてしまいました。大したお手伝いもしていないのに、恐縮です。

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暖かく懐かしい感じに、立ち止まって振り返り確かめようとしても、そこにはその世界はない。そのうえ、いつのどこなのか、見るほどにますますわからない。

この音楽は過去へ誘いつつも、ノスタルジアにとどまらせること無く、僕をどこかに置き去りにしてくれる。次に歩く一歩は、どっちに向いていても、自ら踏み出す一歩。

サントラと銘打たれていても、映像がないと成り立たないような弱々しい音楽ではなく、羊水のように透明な生命感にみたされた音世界。

...

アーティストご本人からCDを直接頂くなんて、それだけでも嬉しい事なのに、これは永く愛聴していきそうです。参加プレーヤーの関島さんや、八木さんにも、どこかでまたお目にかかりたいです。


2014-12-28

2014-12-27

ヘビロテのログ



商店街の歳末売り出しがすんで、街宣用に貸し出していたiPodが帰ってきました。

第3世代のピンクなんですが、iTunesを起動すると、アイコンの色まで実機通りにちゃんと表示されるのには、いつもながら感心します。これ、いつもの状態に初期化する前に、“毎回のお楽しみ”で、リピート再生しっぱなしにしていた結果がどんなものかなと、チェックしてるんですが...

288回 ×3セット = 864回 だそうです。

音質が何ら劣化すること無く、音楽とアナウンスをループし続けるiPod。その金属筐体は商店街の放送設備のボックスの中で、冷たい外気とともに、ズーンと冷やされきっていました。お疲れさん、まあ一風呂浴びてくだされ~


2014-12-26

Every sequence style needs...


先日のむすめサンタの置き土産、iVCS3の使い方がわからない僕にシーケンスの攻略本かと思いきや、DAISOのブックボックスの中身は子供らしいクッキーだったとさ^^。

まあ尼さんが使ってるシンセなのだから、こんな取説がもしついてても驚いてちゃいけない・笑 それにしても独自仕様なアプリだなぁ、あぶなげな音がVCS3のまんまというのも、その孤高ぶり、うなづけますヮ...。

尼さんがスーツケース運んでたらそれはすでに怪しい

2014-12-25

Half page



歳末で店は開いていたのですが、お昼にかけて学校へ6年生の撮影に行きました。

科目も動くことがあるというほどセワしい期末の授業を縫い、休み時間や給食の終わりの時間を狙って、なんとか半分の子どもたちの撮影をしました。

全員出席だったのですが、なぜ半分なのか。

もちろんうまくいけば、全員の撮影をしたいのは時間がない折、当然なのですが、それはそう簡単にはいきません。自然な表情を撮りたいというのが、我々制作サイドのいわば“目標”なのですが、微妙な年代に突入する子どもたちの表情は、とても繊細なものです。カメラを向けてほしくない子どもたちの目は険しい物で、シャッターを無理押しして帰ろうとは思えないです。

後日、撮ることのできなかった子どもたちは、きちんと座って撮るとか、ポーズを決めたいとか、それぞれに希望があると思うので、それにならって撮ろうと思います。つまり、撮りにくさの形が違うだけのことです。



2014-12-24

2014-12-23

TOPCON ALE-5000のメンテナンス

先日から、メインスイッチを切っても電源が落ちないトラブルが発生していた、私どもの玉すり機、TOPCON ALE-5000。

メーカーの許可を得て、カバーを開きました。




パーツは飛び石連休明けに発送なのですが、ひとまず交換が必要なパーツの位置と手際を確認するために、開腹です。同機とはすでに長い付き合いになりますが、本体の機械的なトラブルは皆無だったので、初めて内部を見ました。整理されたアッセンブルで意外と部品の点数が少ないです。以前はWECOを使っていたので、こじんまりした感じすらします。



もうひとつのメンテナンスは、寒い時に発生する異音です。 メーカーからFAXで送られてきた対処法はレンズのチャッキングの軸への注油でしたが、実際には軸のチャックそのものでなく、更に奥の下にあるステージ全体を動かすシャフトのグリス切れで鳴いていました。

いずれも、少量のグリスアップで、とても静かに動きはじめました。


手が届きにくいですがグリスのさし過ぎには注意です


これが今回のメインの修理パーツですので、大したことはありません。爪を押さえながら外して、新しいスイッチに換装すれば終了でしょう。あさってまでお預けですね。


以前の玉すり機に比べると、実際に店頭でメンテナンスできる部分は構成が集約されているので、早い話“できるかできないが”がはっきりしています。

メーカーのメンテ部門も、以前のように関西サービスセンターがありませんので小回りがきかず、中央より遠い地方の出張修理はメーカーにとっても、不採算で頭が痛いことだと思います。私どもは平気ですよ、時間も技術もやる気もありますから。どうやら協働でいかなくてはならないのは、行政関連だけではなさそうです。


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2014-12-22

路面標示

はたらくおじさんシリーズです。

先日黄色いパトロールカーが確認に来ていた路面標示の消え具合でしたが、引き直しを朝からやってます。


トアライナー、だそうです

みるみる線を引いていきますね


こんなふうに間違えてくれないかな^^




2014-12-21

翼にのって



ふくろうさんが 届けてくださいました^^




2014-12-20

ぶどう豆


黒豆・黒大豆、そしてぶどう豆。呼び方も色々あるのですね。

そばに寄ってみると、ぶどう豆がいちばんしっくりくる感じです。


全部、顔形も違う、育ち方も違うはず、みんなの子どもたちのように。




2014-12-19

冬至を前に


個人懇談も終わって、学期末が、いよいよ迫ってきました。子どもたちは、あいさつ運動で一倍元気に感じられます。ま、そりゃ冬休みが近いからでしょうかね・笑 

朝の散歩も久しぶりに学校方面に歩いて出ましたが、途中お目にかかった校長先生に「お元気でしたか」と心配されるようなことでして^^ いや大丈夫ですよ~

寒い中、「はばたき」の取材は、停滞気味です。 (6年生の企画を除いて)輪郭は見え始めましたが、一つひとつがまだギラッとしていないです。

...さて、どうする。

2014-12-18

残せない

忘年会シーズンですが。

僕自身は、先日のそんな会で、もう十分なんですが、“仕事柄”断れないとか、次々、毎日のように出て行く方もあるとか。

そんな席でいつも感じることの一つが、料理の量です。年代や性別にもよりますか、まあ、最近みなさん、あまり食べないです。その割には、“予算いっぱい”で用意すると、少し量が多すぎるのかもしれません。でも、そんなに残るほどの料理が必要なんでしょうか。

僕は残せないタチなので、多少は無理をして食べる時もあります。食べなきゃこうして太ることもないかもですが、お店に対して悪いな、ということでなく、食べ物に対してつい申し訳ないからなんです。



地図の上にパッと手を広げて、コンパスのように日本の端に指を置いてくるりと回せば、その掌の中に極寒には餓死すらおきている世界が、現実にあるというのに...。


2014-12-17

降るわ降るわ


こんな日はじっとしていてはイケナイ。ポスティングと配達に、行ってまいりました。

そうですよ、このあたり、そうそう積もらないんだから、文句まで言っちゃいけませんねっ。

風の強い中、近所の電波塔の上では、足場を解体しているのを見て、ため息が出ました。なんという根気でしょうか、本当に。お仕事とはいえ、くれぐれも気をつけてください...。

何度にか分けて出ましたが、帰ってみると平生より歩数もグーンと伸びていましたとさ・笑



2014-12-16

元ネタを失くすと

先日、お客さんからお預かりしたふち無しフレームの、レンズ入れ替え作業。

そこに入っていた古いレンズを先に違うフレームに入れ替え終わってから、
「あ、このフレームのレンズ、形を先に起こしておかないといけなかった...」

察しのいい皆さんはお気づきでしょう。ふち無しは、元になる形がないと、大きさを含め、作りようがないのです。

メーカーのシャルマンに問い合わせてみると、これ、元々サングラス製品だったので、加工用フォームはもう残っていないとの、残念な答えが帰ってきました。ああ万事休すかな、と思っていたら、そこは整理の良い同社、製品の実寸の仕様書が残っているので、FAXしますとの返事。

や、サスガですね!

これがあると、結構なんとかなるのです。はさみで切り出した型板を重ねあわせながら、ちょっとずつヤスリがけして整形、はい、レンズを削る用意が出来上がりました。




繊細なカーブに見えるフレームの玉型(レンズの外観)も、形を構成するいくつか直線から成っています(デッサンをされる方はお分かりでしょう)。それをヤスリで表現していきながら、最終、角をうまくまとめるのです。

今の型板不要の加工機でしか仕事をしていない若い販売員には、きっとわかりにくい話でしょう。我々チョイ上世代^^は、こうしてそのフレームの持つ個性を頭に入れて仕事を覚えていったものですのでネ、楽しく作らせてもらいました。


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2014-12-15

その時十歳のわたしは



  その時十歳のわたしは


昭和二十年一月一日
家族揃ってお正月を迎える 両親、姉三人 、妹一人、弟一人

韓国ソウル東大門より一,二キロ離れた日本人部落の一隅。百メートル先を清渓川(セイケンセン)が流れていた。

 学校は二キロぐらい先にあったように記憶している

三歳上の姉と共に十二,三人が集団登校していた。学校は鉄筋の三階建てで、冬にはスチーム暖房で、屋上から京城帝国大学薬学部の教棟、その向こうを市街電車(チンチンデンシャ)が走り街の風景が一望できた。

 三月・・・父の転勤を知る(朝鮮総督府逓信省通信局の電話担当技師)として勤務。

 四月・・・新学期に併せて転勤先の大田(テジョン)に転入学し四学年生となる。

 六月・・・転勤、転校のことを「綴り方」に書き、ラジオ放送に出演した。

 八月一五日 戦争が終決し敗戦であったことを父から聞かされた。暑い午後であった。「これから、どんなことが起こるのか」ともかく、空襲は絶対に無いはずと 安心した気分になった。家族の止めるのを無視して官舎から抜け出た。見上げた空は蒼く深くどこまでも、続いていた。
 
 人の気配はない。戦争に負けたのだから何か怖いことが起こりそうだと幼い頭の中は恐怖に震えていたが、持ち前の好奇心にそそのかされ街を用事もないのにぶらぶらと歩き回り、大田駅まで行ってみた。
帰宅するや否やひどく叱られた後、有無を言わさず父に髪を短く短く切り取られた。別に悲しいとも恥ずかしいとも思わなかった。しかし、家中の雰囲気がとげとげしているのは無性に辛かった。

 数日後であっただろうか、進駐軍(アメリカ人)が来訪し、出張所長の父はその場で連行されジープに乗せられて行ってしまった。
          
 母は「朝鮮中の電話の回線が復旧したら帰宅させてくれるから」と気丈分に言って私たち姉妹を安心させ平然としていた。
                                           
 無用の長物となった防空壕の上にかぼちゃの黄色の花が沢山咲いて青くよく繁った葉の下に大きく育った実が転がり、色づき始めたのもあった。 
 


十月のある夜、父が一晩だけ許されて突然帰宅。内地への引揚げを母と子供達で頑張るよう指示した。

 次の日から準備が始まった。まず、リュック作りである。丈夫な帯芯は姉のミシン手作業で大が四つ、中が二つ、弟の三歳のはごく小さく、出来上がっていった。次は身の回りの品々、鍋にやかん、水筒と壊れない器、箸と茶碗。さて、その次が結婚間近な姉の晴れ着の着物と、洋服の諸々。
当分の食料と梅干、(ワームの置薬)その中には胃腸薬、風邪薬、オブラート、が入っていた。その他、ガーゼ、包帯、三角巾、オキシフル、赤チン...。

 リュックはすぐに満タンとなってしまった。ひっくり返しては詰め、詰めては返して、切羽詰った難儀な作業を、力の乏しい私も自分の物以外は一人判断で詰め、一杯になると蓋をくくって背負って、歩けるかどうかと、部屋の中や廊下をうろうろ行ったりきたりして試した。姉達の頼みもいそいそと手伝って邪魔しないよう気をつけながら、足元の不要な物を除けていった。


十月の中旬帰国する兵隊の最後尾に二等客車が用意され5,6人の兵隊に守られる格好で「大田」の駅を出発、列車はのどかな田園地帯を一路「釜山」へと、途中、駅ではない所で停まったり、停まったまま永く待たされたりした。夕方になって大きな講堂のような所へと誘導され敷かれた藁のござの上にリュックから毛布を取り出して、着ていた服のまま雑魚寝の生活が始まった。

一週間ぐらいは経っていたと思う。「引揚船の順番が回ってきた」と言う情報が耳に入って真っ暗な埠頭へと一列に並んで連行され むやみに明るいサーチライトの中に待たされた後 一人づつ身体検査と荷物の中身の点検である。人々はしずしずと進み建物の中に吸いこまれていく。

 急に母が私に近づき妹と弟の三人を列の外に引っ張りだして、「荷物」の番を口早に言って闇の中に消えていった。 三人の子供達は荷物を囲んで小さくなっておびえていた。

 何処からともなく、母と姉達が現われ検査の済んだ列の最後尾に繋がる。もう大丈夫と私もほっとして母たちの後にならび、引揚船の「興安丸」へと乗船。

ともかく帰国の途に、玄海灘の荒い波の上にと乗り出したのは、翌朝のこと。悪天候と速い潮に翻弄されながら博多港に無事入港し、上陸を今か今かと半日位待った。

検閲後、DDTの洗礼をうけ粉まみれ、貨物列車に乗せられ、途中、広島周辺の惨事に驚き、仰天。次に呉線に乗り換えさせられ、無蓋の石炭の上で転げて落ちないようにと、元兵隊とおぼしき屈強な若者に護られて、岡山の父の実家に全員無事に到着したのは、十月末の未明のことでありました。


十一月の末、父の帰国。  全員の無事な再会を泣いて喜んだ。




(全文本人タイプ、オリジナルは縦書 改行・石原健)

2014/12/17 revisited

2014-12-14

クリスマスコンサート2014 福山アライアンス教会


 いいお天気です





てくてくと





歩いてまいりました







第1部 崎谷由佳利さん

テレマンのトランペット協奏曲、1曲目がとても良かったです


そして第2部  ヘンデル/メサイア







猛烈なスタンディング・オベーション












もう少し聞きたかったですが、それはヘンデルに言わないとね^^


2014-12-13

よい休日を 2014



外は強い風、遠くまで吹けば、少しは穏やかになるのかな...

どぉれ、日本の新しい健さん目指してがんばりますか。    ←(ヾノ・∀・`)ムリムリ


休石の逆襲

写真を撮るまでに、はや一つ減ってます

なぁんちゃって^^

実は、差し上げることばかりで、戴いたことがなかったのですよ、休石。
おまけにトリオ・ザ・清月堂さんまでセットで・笑

明日は、がんばってくださいまし...。



2014-12-12

メガネのツザキ・年内無休です


メガネのツザキ・年内は、 
31日まで無休営業です。

ご利用、ご来店をお待ちしております。



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2014-12-11

今年最後の部会に

今日はお昼から、今年最後の文化広報部会です。

学芸会の写真はまだ全部集まっていないので、表紙と裏表紙、学年部の活動ページあたりが検討材料になるのかな。

6年生の企画を早く進めたいのに、天気に恵まれません。インフルエンザも流行っているので、全員揃うこともなかなか運のようなものです。

印刷屋さんも交えて、最終的な日程の確認をしていく時期に突入です。


去年の部員さんが差し入れをしてくれました! お母さんが小旅行に行かれたということで、高知みやげの「ゆず茶」、みんなでどうぞ、と嬉しい事です^^ ストーブで沸かしたお湯で、みんなでいただきま~す。




2014-12-10

18年

2003/1/29-9:18:14
デジタルで残っている雪の日の写真ですが、今日のお話は、もっともっと昔ということになりますね。

96年6月からの借り入れの返済が、終わりました。長い間僕を縛り続けていた糸が、また今日一本切れたような気持ちです。

Windows95や携帯電話が、急速に一般化しはじめた頃ですから、経済もずいぶんな変化があったものです。そんな変化を受けて先方はこの間、二回も機関名が変わりました。でも、何年たっても忘れてはくれない、ぼんやりしていては思い出になど到底ならないのが、日々の残債というものです。

これからも今日できることを考えながら、大事な一日を過ごして行きます。