笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2011-03-31

だいたいおわったよう



すこし ゆっくりします 

あしたから またはじまります

2011-03-30

はばたき第86・87号 作品集掲載となりました

はばたき第86・87号が「第12回県PTA広報紙コンクール」の
作品集に掲載されます。以下のコメントを提出してきました。
(自画自賛っすけど、素直に嬉しいです。)


前期版は校内の情報を中心に実用的に、
後期版は重いテーマにも十分取材と討議を重ね、
伝えるというより語りかけるような誌面作りを
心がけました。

後期版からは横書きのみで構成し、パソコンや
メールでの寄稿も改行やレイアウトの見通しが
良くなりました。

折しも東日本巨大地震発生直後の発行となり、
命や人の繋がりについて、静かなメッセージの
発信ができたことは、有意義でした。


2011-03-29

あと何枚か

原稿 CD-R DVDビデオ そして 日めくりも...
ぜーんぶ あと何枚か です 

みんなに 助けられて 支えられて 
いくつかのしごとを 終えようとしています 

忘れかけていた そとしごと いいものですね


2011-03-28

卒業式〜謝恩会の写真を焼いています

ビデオのDVD-Rの編集が昨日終わり、朝、テレビで
チェックしていたら、

「あれ、凡ミス。」

今日は焼けると思ったんですが、帰って修正ですね...。



で、かわりにおまけの写真のDVD-Rを焼いています。
学芸会なんかも入ったお得な(笑)企画盤ですよ〜。

2011-03-27

おかげいちのフライ豆を用意しました

明日はおかげいち。久しぶりの催事当番です。

フライ豆・200グラムを袋に小分けしていきます。
父・母と僕の親子三人、これまた久しぶりの共同作業でした。 



なんのへんてつもない揚げた豆ですが、どっこいおいしいんですよ。 
お財布にもやさしい100円です。 パラソルでお待ちしています^^

2011-03-26

メクリスト・仲谷沙弥香さんの長い一日

先日の高橋悠治・波多野睦美〜ことばを贈るでの、
もう一人の出演者、ではないけど、大事なお仕事、メクリスト。

われらが仲谷沙弥香さんです。

チャポーの40分近い 「砂漠の行進」での、譜めくりですが。
がんばるしかないでしょう。

リハ前に悠治さんと軽く出入りの打ち合わせと、めくるタイミングをやりとり。

「一小節くらい先に ...」

「うん。という位ね、なんか問題があれば合図して。長いから...それだけなんですよ」

(そうかなあ、それだけかなぁ・笑) 



譜面を見つめる仲谷さん。
主宰と譜面を見に行く、どれどれ。

主宰「普通の譜面だったね、図形楽譜でなくて。」
なんてみんなで含み笑い。

先般同じ場所でメインアクトなコンサートを敢行した
仲谷さんにとって、今回はどんな感じなんでしょうか。

「自分のは楽しいばっかりでしたから。いやぁ、今日のほうが緊張しますよぉ。」
「すっごい至近距離で聴けるのはいいなぁ。役得だから耐えてください。(笑)」

控え室で馬鹿話やMac談義で緊張をほぐしたつもりでしたが、
はたしてお役に立てたんかいな...。 

途中、パンフレット中のケージの曲、「18の春のすてきな未亡人」の
人という字が抜けていることがわかって、外が少しあわただしい。


騒ぎを横目に、「人でないわけね...、ひとでなし~」
と、廊下をふわふわ歩いていく悠治さん...。




本番近くなりました。


「まあ儀式ですから(笑)」
と、栄養ドリンクを飲んで、気合を入れてます。
(近代スポーツと皮肉らないでくださいね、音楽にはドーピング検査が
なくって良かった。)


もうひとつの武器はこちら。あっ、ピントが来んかった。不覚。
指サックのスタイリッシュなやつ。あのグリーンとかオレンジの
イボイボでなくって、こんなんあるんじゃね。



って、滑りすぎないと、逆にメクれなかったりして、
とイジる私(笑)。


で、本番です。

一ページ目は本当に紙でできているのでしょうか。
あるいは、ものすごく重いのかも (ふふふ)。

あとはつつがなくお勤めが終わりました。




袖で、「いやぁ、やっちゃいましたよぉ...。」 と仲谷さん。

大丈夫。16年前のここでは、先にはぐり過ぎたページが
パーンと戻ってましたからね...。(いまだから、のお話)

それにあなた以外、誰がこの大役のプレッシャーに
勝てますか。ほんとうに、お疲れ様でした。





すべて終わって、楽しかった打ち上げも、お開き。

「悠治さん、今日のメクリスト。」と波多野さんに声掛けされ、
はにかむ、いつもの彼女でした。


4/3 のライブについては、こちら



2011-03-25

CD-Rがマウントしない

あさのまがりかど まがれていませんでした(苦笑)。

CD-Rがうまくマウントしないようで、なんと悠治さんから
今度はお電話。ほんとうに恐縮です。
(電話を受けた母もびっくりしすぎて、笑っておりましたが。)

こちらから掛け直して数分後、なんだかうまくマウントしたので
急いでコピー中、とのお電話が再び...。

メディアの銘柄による焼ける濃さとドライブの相性と感じ、
二組メーカーと焼き込みスピードを少し早く変えました。
最近のメディアは、低速でしっかり濃く焼けばよいというもの
ではないですから。

そして、夕方のお電話。どうやら内蔵ドライブの不具合のよう。
僕もたまたま悠治さんと同じマシンを以前使っていましたから、
再生時のトラブルは思い当たる節がありました。

それとCDの到着を首を長くして待っておられるクルターグさんに、
少しでも早くお渡しできればと思い、抜粋版を一枚用意し、
今日発送することにしました。




2011-03-24

足並みそろえてどちらへ

今年の「さくら祭り」を中止するという。

理由は、まわりの市がやらないからだそうだ。 
もしそれが一般的な風潮なら、とても不思議だ。 

収益を還元するやりかたもあるだろうし、 
被災地を励ます工夫もやり方であるだろう。
防災意識を高めるイベントに読み替えたっていい。

ことなかれ、ここに極まる。

2011-03-23

高橋悠治・波多野睦美〜ことばを贈る 録音編集終了

 
あさのまがりかど まがりました                         

2011-03-22

無事でなにより

走行中揺れたので止まったら、目の前の道が、崩落していったそうだ...。 

今日、小田幸のとよはらさんが寄ってくれて、
社長さんたちが白河市を通っているときに起きた様子を
聞かせてくれた話。

メーカーの営業の皆さんは、全国を回っている方も多い。
出先での不慮のこととはいえ、無事を祈るばかりだ。


2011-03-21

遠く旅立つ友へ

 
ここから 見送るね さようなら

2011-03-20

急告 武久源造チェンバロ・リサイタル

急告
武久源造チェンバロ・リサイタル
青木洋也avec武久源造  古楽シリーズvol.10に先立ち、単独公演を敢行します

2011420() 19:00 (演奏は30分程度です。)
日本キリスト教団福山延広教会(tel.084-923-0094 福山市本町1-6)

入場料/1,000

主催/ジャズ大衆舎
tel.090-5374-4485
/e-mail: chopin-in-salsa■kba.biglobe.ne.jp (■に@を半角で入れてください)


演奏曲目
  
1.ヴィヴァルディ=バッハ コンチェルト ニ長調 BWV972
2
.ヴィヴァルディ=武久 コンチェルト 「春」
3F.クープラン 第18オルドルより「修道女モニク」「ティクトクショク」
4
J.C.バッハ ソナタ ニ長調 作品52

演奏者の詳細なプロフィール等も掲載しています。

(2011/4/8 演奏曲目追加)



 
本公演に先立ち、武久氏が主宰にメッセージを寄せています。  
 
 
人間は、本当にひどい目に会うと、愛の状態に入るのでしょうか。
もちろん、この騒ぎを利用して、悪事を働く輩もおりますが。
しかし、私が心配なのはこれからのことです。
 
今私は、音楽がやりたくて、しかたがないという気持ちです。
こういうときこそ、音楽だと思います。

~武久源造~
 

2011-03-19

虹色のカーソル

たった今だ。1本の電話が鳴った。

そのとき順調だったバックアップが、
突然虹色のカーソルを巻き始めた。

まだ、その話が受け止められない。


謝恩会のビデオ編集開始



昨日の謝恩会のビデオ編集を始めました。
といううち、今日は取り込みで終わりそうですね。

みなさん意外かもですが、ビデオの編集は初めてです。

お預かりしているSONY HDR-FX1の素晴らしい画質に
圧倒されています。

フルHDなのでハードディスクどんどん埋まっていきます。
60GB位ある。容量、足りるんかしら(笑・ほんと凄い)。

2011-03-18

卒業式と謝恩会



ありがとう みんな 

街角でであったら これからも 声をかけてな

2011-03-17

神奈川県温泉地学研究所発表・富士山付近の地震情報

人々の不安を根拠なくあおる方がいます。
ひとつずつ現状を見て、判断していきましょう。

富士山付近の地震については、こちらを見てきました。

http://www.onken.odawara.kanagawa.jp/modules/mysection1/item.php?itemid=24


2011-03-16

Hi-net情報公開を再開

Hi-net トップページより掲載

平成23年3月11日14時46分頃に発生した平成23年 (2011年) 東北地方太平洋沖地震による停電ならびにサーバー障害により, 防災科研地震観測網のデータ公開を休止しておりましたが,15日19時より暫定公開を再開致しました。

コンサート中の補聴器のノイズはなぜ

藤井一興さんのサイトで、昨日拝見した記事です
(直リンクを避けてます)。


ハウリングが少なくなっている最近のデジタル補聴器で
「どんな状況で、フィードバックが起きてしまうのか」
ということを店内で話し合いました。


耳につけている状態では、きちんとフィッティングされている
補聴器にはほとんどこうした問題がないと思います。

ところが、 

何らかの理由で耳からはずし、電源を切らないまま
ケース等にしまいこんだ 

とすると、閉所での特有な「ギュルギュル」といった
フィードバックが発生することを 先ほど店内でも確認しました。

加えて、ユーザーがその音に気がつきにくいのです。

また、拍手の音がしている間は騒音抑制機能がかかるため、
一般にハウリングしにくくなります。

こういった静かな環境が必要な場所で
ユーザーが失敗を防ぐ確実な方法は

「耳からはずしたら、電源スイッチをきるだけでなく、電池を本体から出しておく」 

ということです。

もちろんコンサートでの状況を 直接確認したわけではなく、
販売店として考えられることを 書き連ねているのですが、
こういった見落としがちなケースを 補聴器ユーザーに
伝えておくべき、と考えました。






2011-03-15

めがさめる



すこし きもちを やすめないと くたびれるな

もういちど ねる

2011-03-14

「関西電力で働いている友達からのお願い」はチェーンメール

こんなとき、流される嘘や噂に気をつけたい。
以下のチェーンメールがうちにも来ている。

東日本大震災で、西日本の電力会社から東日本へ送電するために節電を
求める内容のチェーンメールが出回っていることが13日、分かった。
電力各社がホームページで注意を呼び掛けている。

関西電力などによると、西日本と東日本では周波数が異なり、送電容量は
100万キロワットが上限。同社は「東日本へ最大限の電気の融通を行っても
(関西電力管内の)安定供給に支障はなく、顧客に節電をお願いする状況には
ない」としている。

電子メールは「関西電力で働いている友達からのお願い」とした上で
「本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や
関西電力からも送電を行うらしい」とし、節電を求める内容。
メールの転送も呼び掛けている。


2011-03-13

つじつまあわせ


大地のつじつまあわせに 幸せは ひざまずくか

いのちのあるかぎりつづく 星と 人の ほころびと つくろい


2011-03-12

はばたき第87号・編集終了



笠岡小学校PTA紙「はばたき」第87号、
校正を完了し、印刷に入りました。

部数は670部。
学校以外でも地区の回覧等にも回ります。

実物を手にするまで、あまり実感がないんですが、
一年の活動が終わりましたね。

え、来年以降ですか...、ふふふ。

2011-03-11

地震についての情報の確実さ

平成23年東北地方太平洋沖地震が発生した。

申し訳ないほど、なにもここでは起きていない。
でも、ぼんやりしてはいない。

被災しなかったものも、人間の無力に屈せず、
何が起きているかを見守り、自らの体験に照らし合わせ、
備えなくてはならないだろう。

それにしても、あまりに脆い情報の網。

いつも情報収集に利用しているHi-netは、時間を待たず
まったく繋がらなくなった。(暫定復旧しました。rev.2011/03/16)

気象庁も地震そのものの情報が、なかなかアップされなかった。
津波に関しては早かったが、4メートルを超えると大きすぎて
集計はすぐにできないレベルなのだろう。

意外と早かったのが、携帯への岡山県からの
防災情報メール配信サービス だ。ひとまず身の回りにおきたことは
知ることができた。 14:54 で最初の投稿がされている。

今、マグニチュード8.8への修正がアナウンスされている。
スマトラ沖地震を凌いでいる大きさとは...。


2011-03-10

コンサートにいたる経緯(覚え書きとして) /ジャズ大衆舎 on web #3

コンサートにいたる経緯(覚え書きとして)

2007年4月、私は、広島へ、高橋悠治と姜泰煥(カン・テーファン=韓国のサックス奏者)によるインプロヴィゼーションのコンサートを聴きに行った。終演後、楽屋を訪ねた私は、高橋悠治に、原民喜の『夏の花』の印象をピアノ独奏曲にして福山で演奏して欲しい、という旨のことを申し入れた。高橋悠治は、「まあ読んでみないとね」と言いながらも、私の依頼を前向きに受けとめてくれるような気配が感じられた。

その頃の私は、原民喜と『夏の花』に入れ込んでいた。友人を集めて、読書会をもったり、いきあたりばったりのフィールドワークしたりした。高橋悠治への依頼も、そうした原民喜と『夏の花』への傾倒から生まれたものだ。

福山に帰った私は、早速、アマゾンで、新潮文庫の『夏の花・心願の国』を高橋悠治の自宅に送って、依頼した趣旨のような文章を書いて、メールで送った。

数日経って、高橋悠治からメールが返って来た。それによると、コンサートの翌日、彼は、広島の書店で『夏の花』を読んだとのことであった。しかし、作曲については、「この作品に音楽を加える必然性を感じない」という理由で、断られてしまった。さらに消極的な理由として、林光が、原民喜のテキストに『原爆詩三景』を作曲していることを挙げていた。私は、なんとも残念な気持ちではあったが、文面にあらわれた高橋悠治の誠意ある態度は、断られたにせよ、じゅうぶんに納得し得るものだった。

2008年から翌2009年は、私の周囲では、ある種のブームといっていいほど、原民喜について、さまざまな催しがおこなわれ、私自身も企画・参加した。

その大きな契機となったのが、私が通うキリスト教会に竹原陽子さんという原民喜の研究者を見出したことだった。彼女は、在野でありながら、原民喜自身が『夏の花』を発表した『三田文学』にいくつもの論文を発表したり、原民喜の埋もれていた原稿を発見したり、原民喜についての講演やフィールドワークを企画したりと、素晴らしい仕事を積み上げていた。私は、教会で、彼女を講師にたてて、何度か読書会を催した。それから、彼女も監修に加わって計画中であった、ふくやま文学館での『原民喜展』の関連行事に、参加したり友人を紹介したりした。

『原民喜展』が始まった頃、私は、ここ数年の自分の展開をまとめて、高橋悠治に近況報告の手紙を出した。そしてその返信として、高橋悠治の手紙を受け取った。その中に、『心願の國』をテキストに合唱曲にし、2010年3月に東京混声合唱団の定期演奏会で初演する、ということが書かれていた。

『心願の國』は、原民喜の最後の作品である。しかも、初演される日は、福山での『原民喜展』の期間中であった。

私の申し入れがあって高橋悠治が原民喜のテキストに作曲したなどとは考えもしないし、福山での『原民喜展』期間中に合唱曲『心願の國』が初演されるというのも、偶然に過ぎないのだろう。しかし、そうではあっても、私はそこに何かの繋がりのようなものがあることを信じたかった。またそう信じることで、自分の小さな営みが、時を隔てて原民喜とも繋がっていると、感じていたかった。

音楽ファンを自認する私であったが、音楽を聴くために上京するというのは、自分の生活の中ではなかなか考えにくかった。それでも、そのときばかりは特別であった。

2010年3月、『心願の國』が初演される東京文化会館へ足を運んだ。

『心願の國』は、原民喜の小説の中でも特異な作品だ。死によって生が断絶され喪失するのではなく、それはひとつづきのものであり、死には絶望も恐怖もなく、光に吸い込まれるように美しい無に収れんされるような、そんな不思議な感覚がある。

高橋悠治の『心願の國』には、独奏ヴァイオリンのオブリガートが加わっていたが、それが生と死を媒介する通り道のように私には感じられた。なんと健気な、憧れにみちた、そしてつつましいヴァイオリンの飛翔であったか。

終演後、私は、高橋悠治に、配布されたプログラムにサインを求めた。彼は、サインに応じてくれたあと、私の顔を見ながら、にっこりと笑ってプログラムを差し出した。その笑顔は、子どもに何か大事なものをわけあたえる父親のような慈愛が感じられた。やはり、もう一度、私たちの街に高橋悠治を招きたい、と思った。

それからしばらくして、メールのやりとりで高橋悠治に福山での演奏を再度申し入れた。むろん『夏の花』を作曲・演奏して欲しいという要望は取り下げた。しかしながら、今度も彼は、すぐに私たちの要望を受け入れてくれなかった。

高橋悠治のエッセイが、散文でありながら読み手の想像(創造)を引き出そうとするようにしばしば詩的・暗示的な傾向を帯びるのは、ファンならばご存じであろう。メールのやりとりも同じで、そのなかで、ピアノ独奏でステージに立つことの抵抗を語った。たしかに、高橋悠治のエッセイに書かれたことを考えてみると、わかるような気がした。それでも、私たちスタッフ側では高橋悠治のピアノソロを期待する声が大きく、結局、彼の心変わりを待つということになって無期限の保留状態となってしまった。やはり駄目かな、とその時は思った。

そこへ、福山在住の声楽家、奥野純子さんが、私のところへ電話をかけてきて、神戸で高橋悠治と波多野睦美のコンサートがあるので、その形を福山でやってもらってはどうか、と進言してきた。奥野さんは波多野睦美の弟子で、二人のデュオも聴いたことがあるようだった。(ちなみに、奥野さんとは、1994年に催した姜泰煥のコンサートに彼女が聴きに来てくれて、知り合った。これも不思議な繋がりと言えなくもない…)なるほど、ではその線で再度頼んでみよう、ということにした。高橋悠治によると、神戸も当初はソロでということであったが、高橋悠治の提案で前半ソロ、後半波多野睦美を迎えてのデュオという形になったという。

そうして、なんとかコンサートを催せることになった。で、この覚え書きは円満に終わりかというと、ちょっと面白い話があるので、もうしばらく続けることにする。

さて、「コンサートの題名をどうしますか」と高橋悠治に尋ねたところ、逆に、私に考えてみろ、と返された。これは、光栄ある仕事であるが、同時にたいへんなプレッシャーであった。なぜなら、高橋悠治のコンサートに題名をつけるということは、私が高橋悠治の音楽をどう理解し、何を期待しているのか、を問われているように思われたからである。私は知恵をしぼって、いくつかの案を提示したのだが、思い入れが強すぎたのか、ことごとく却下されてしまった。

最終的に「ことばを贈る」となったのは、しびれを切らした高橋悠治の方からの提案であった。

悩んだ割には、あっさりした題名のような気がして、初めは肩すかしをくったように思われた。だが、実際にコンサートを聴きに来て下さった方々には、納得のゆくものではなかっただろうか。高橋悠治の音楽は、音楽がそれだけで生まれそれだけで成立するような類のものではないように思える。コンサートは、音楽が、文学、歴史、民族、等々の言葉を媒介として認識されるものとの交歓の場であるようだ。クルターグの曲には、意味をぎりぎりまで切り刻まれた、音響というに近い言葉もあった。そういえば、高橋悠治のエッセイに『言葉をもって音を断ち切れ』という象徴的な題名をもった本もあった。

前回のコンサートの感想といい、今回といい、恥じらいもせずに、目を見開いて自分の視界におさめられる精一杯の力で、高橋悠治をとらえようと頑張ってみた。でも、たぶん勘違いなのだろう、思い入れに過ぎないかもしれない。きっと悠治さんに尋ねてみると、「それは違っててね…」とていねいに説明してくれるだろう。(またその説明が難しくてわからなかったりする…)

それでも、時間の経過とともに、記憶が薄れていくのは自分としては耐え難いことのように思えた。それで書いてみた。


(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)

2011-03-09

初物をいただきました


つくしが出る、もうそんな時期ですね... とっても嬉しいです

2011-03-08

青木洋也avec武久源造 カウンターテナーとチェンバロで贈る、バロック歌曲の花束 古楽シリーズvol.10

青木洋也avec武久源造
カウンターテナーとチェンバロで贈る、バロック歌曲の花束
古楽シリーズvol.10

2011年5月15日(日) 17:00開演

日本キリスト教団 福山延広教会
(tel.084-923-0094 福山市本町1-6)

会費/一般 3,000円
      ペア 5,500円
高校生以下 1,000円

主催/ジャズ大衆舎
tel.090-5374-4485
/e-mail: chopin-in-salsa■kba.biglobe.ne.jp (■に@を半角で入れてください)

  曲 

J.S.バッハ:イギリス組曲第4番ヘ長調BWV809
J.S.バッハ:カンタータ203番「愛の神は裏切り者」BWV203
J.S.
バッハ:カンタータ82番「われ満ち足れり」BWV82
カッチーニ:アマリッリ麗し
H.
パーセル:暫しの音楽
H.
パーセル:夕べの賛歌
W.A.
モーツァルト:夕べの思い Kv.523 他

(2011/4/22 revisited 演奏曲を追加しました) 


青木洋也 あおきひろや カウンターテナー


東京藝術大学大学院修士課程古楽科修了。エリザベト音楽大学大学院宗教音楽学専攻修了。在学中より定期的に渡欧して研鑽を積む。声楽を鈴木仁、宇田川貞夫、M.v.エグモント、野々下由香里、P.コーイ、G.テュルク、R.ブレイズの各氏に師事。

古楽アンサンブルや演奏会ソリストとして活躍する一方、アイルランド・ダブリンやドイツ・ライプツィヒ等でアルトソロをつとめるなど活躍の場を広げている。2007年12月にアイルランド・ダブリンにおいて日本・アイルランド外交関係樹立50周年事業の『メサイア』演奏会(P.オドウィン指揮)のアルトソロを歌い大好評を得る。
バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーとして国内外の公演・録音に参加。2009年ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン音楽祭におけるBCJの公演J.S.バッハ『ヨハネ受難曲』『カンタータ』においてソロを務める。

近年は「隙のない音楽づくりと、そのナンバーにふさわしい情景描写の的確さ、声楽・器楽の見事なまとめ方は、彼の適応性とこれまでの経験の基盤が モノを言っている」と音楽紙上で評されるなど、合唱指揮者としての評価も高い。

「バッハ・コレギウム・ジャパン」「ヴォーカル・アンサンブル カペラ」「フィルハーモニーカンマーアンサンブル」「アンサンブル小瑠璃」「Bless B Quintet」メンバー。
日本リードオルガン協会会員。

武久源造 たけひさげんぞう チェンバロ


東京芸術大学大学院音楽研究科修了。チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種鍵盤楽器を駆使して中世から現代まで幅広いジャンルにわたり、様々なレパートリーを持つ。特にブクステフーデ、バッハなどのドイツ鍵盤作品では、その独特で的確な解釈に内外から支持が寄せられている。また、器楽曲・歌曲・合唱などの作曲、編曲作品を発表し好評を得る。

1985年秋、東京ハインリヒ・シュッツ合唱団と共に東西ドイツ13都市で公演し、ブクステフーデのオルガンソロに見せたユニークな解釈に各紙の 賞賛を集める。1991年「国際チェンバロ制作家コンテスト」(アメリカ・アトランタ)および、1997年と2001年に古楽コンクール(山梨) に審査員として招かれる。

ソロ演奏を中心に毎年数多くのリサイタルおよびコンサートに出演。独自の解釈と躍動感あふれる演奏、多くのアイディアが盛り込まれたコンサートは 毎回好評を得て、多方面での話題となっている。また、指揮・編曲活動にも力を注ぎ、2000年に器楽・声楽アンサンブル「コンヴェルスム・ムジクム」を結成し、活動の幅を広げる。
2002年から、韓国からの招請により「コンヴェルスム・ムジクム韓国公演」、ソロリサイタル、韓国の音楽家とのアンサンブル、大学での特別講義や講座などを行い、日韓両国の音楽文化の交流に大きな役割を果たす。

1991年より、プロデュースも含め20作以上のCDをALM RECORDSよりリリース。中でも「鍵盤音楽の領域」(Vol.1〜6)、「ゴールトベルク変奏曲」、「バッハ・ミーツ・ジルバーマン・ピアノ」他の作品が「レコード芸術」誌の特選盤となる快挙を成し遂げている。

2002年に河合隼雄氏との対談を含むエッセイ集「新しい人は新しい音楽をする」(アルク出版企画)を出版。各方面から注目を集め、好評を得る。

(全文・上写真・主宰提供 / 改行編集・下写真・optsuzaki)

2011-03-07

高橋悠治・波多野睦美〜ことばを贈るから一週間

 
あれから一週間たった。

写真は、先週の木曜日に全部現像と編集を終えた。
リハ以外の演奏中をとらないので、枚数は少ない。

カメラを向ける緊張が強く、失敗も一倍ある。
三脚を用意していったが重要なショットほど使えていない。
そう、大事なことは予期なく起る。そして花のように消えていく。

録音については、問題なく録れていることは確認している。
インデックスを付けるとか、曲間の語りや拍手のレベル設定を
どうするかという、あたり。
以前にも触れたように、厚掛けな処理は無用だし、誰も望まない。

そこでの無造作な編集は、放送やCD収録を見ていても結構多い。
それでいい、記録に過ぎないから、と、あきらめた声はいつもきく。

どんな記録も、真実を残してはいない。
事実があったから真実ではなく、主観で切り取られた断片だ。

忘れていくことにあらがうのではなく、
感情表現に覆いかぶされた奥の、語られなかったことばを
残したい。

2011-03-06

はばたき第87号・仮刷りが上がってきました

昨日のことですが、PTA新聞の仮刷りが上がってきました。

印刷屋さんに出してから、ここまでの作業がとても早かったのは
こちらの意向を的確につかんで下さっているからです。

九割五分完成、という感じですね。
2回めなので、少し流れ的にも慣れてはきましたが、後一息。

細かいお願い(趣味の問題...)が出せるのも時間的な余裕が、
少しでもできたから。

明日、学校に県への提出分と、校正を持って伺おうと思います。


2011-03-05

巣立つころ

娘が中学校の入学ガイダンスから帰って、
ホッとしたのか、緊張が切れて、泣いた(らしい)。

長い6年間という暖かい鳥の巣を後にするのは、
やはり不安だろう。ここ数日、不機嫌が多い。

まあ、とーさんも違う仕事で外に出ると、
時々泣きそうな目に遭いますから(笑)、
いきていくと、その繰り返しなんだろう、きっと。 


水泳記録会の帰りを待ち受ける校長先生と下の娘(笑)

2011-03-04

だいじょうぶだよ

友人が入院 
もうゆっくり寝てるハズ 
って起きてるかな

遠くだけど みてるから

あたらしいレンズも 今日入れ替えといたからね
また良く見えるから 元気でもどってきてね


2011-03-03

一人の聴き手として/ジャズ大衆舎 on web #2

一人の聴き手として

 チャポーの『砂漠の行進』は、私には「砂漠」というよりもごつごつとした岩がむき出しになっている荒野を連想させた。聖書で読んで写真で見た、ユダの白い荒野。人間を拒み遠ざけるがゆえに、人間を瞑想に誘う。粗野できめがあらく歩きにくい。

 音楽は、40分の間、同じ緊張をもって、執拗であり、重苦しかった。こんな音楽をつくるチャポーという人はどういう人なのか、否、これは個性を超えた表現だ。歴史の中で連鎖してDNAの中に刻み込まれていく民族の記憶、苦悩、怨念…。1991年の湾岸戦争に抗議する音楽だというが、そこに自民族の無意識下の叙事詩を投影させているように思える。

ヨーロッパ人でありながらヨーロッパの終焉を謳う、それは同じヨーロッパ人でもヴィスコンティの優雅や耽美とは無縁だ。辺境からの、ネイションを持たぬ、ヨーロッパ人の視角だ。高橋悠治が長年こだわりつづけてきたカフカや、ベケット、ジョイスたちに通底するものだろうか。私には、『火山島』の金石範が親しみ深い。

これは、コンサートホールの音楽ではない。制御・統制された、抽象的な音の遊びとしてのコンサート、それがコンサートホールの音楽だ。きちんと調律された、ベーゼンドルファーのいいピアノ、よく響く適度なスペースのホール、それがひどく下らないものに思えてくる。16年前と同じ楽器、同じホール、そして聴いた位置も同じだった。なのに、どうしてこうも印象が違うのか。私たちが、生活し、音楽が成立すると思う場所とは、遙かに遠い場所から響く音楽、しかしそれは、限りなくなまなましく、痛々しく、心臓を鷲づかみにして揺さぶらないわけにいかない。個を超えた、民族の意志。

順序は逆になってしまったが、チャポーに先立ち、バルトークの『チーク地方の3つの民謡』という掌品が演奏された。何という楚々とした音楽だろう。三曲演奏されたということが気づかぬほどのひそやかさで、拍手さえおこらなかった。ブラームスやヨハン・シュトラウスのような、中央からの蔑視としての辺境、商品価値としてのエキゾシズム、そういったいやらしさをまとったハンガリーではない。生活の目線、日常の目線の音楽だ。

もっとも、そのハンガリーもバルトークが生きていたオーストリア=ハンガリー二重帝国時代のハンガリーであって、チーク地方はいまはルーマニアにあたる。バルトーク自身が生まれたのもいまのルーマニアだという、知らなかった。考えてみれば、辺境とはいっても自分たちにとってはそれが中央であり、中央という言葉があるから辺境も生まれるのだ。「世界から離れた日常の場所」

高橋悠治はここを今夜のコンサートの立ち位置としたのだ。高橋悠治は、バルトークは後期ロマン派風な作風(弦楽四重奏でいうと1番あたりだろうか?)から出発し民俗(族?)音楽の採集を始めた20世紀の初めにかけて作風を大きく変化させた、と語る。その採集活動は第一次世界大戦によって途切れた。ここにも、国家や社会に翻弄され、権力とは遠いところにある小さな音楽家の姿がある。チャポーの姿と重なると同時に、高橋悠治のいきかたにもどこか似ていないか。


後半は、波多野睦美を迎えて、フェルドマン、ケージ、クルターグ、そして高橋悠治の曲が演奏された。フェルドマンとケージはチャポーの師であり、クルターグはハンガリーの現代作曲家、そういう繋がりと見て取れるが、後半プログラムに共通するのは、表現の徹底した抑制であった。波多野睦美の豊穣な美声を堪能しようと思って聴きに来た人はいささか欲求不満であったかもしれない。

私にとっての白眉は、クルターグの『何というか』であった。「事故で失語症になったシャンソン歌手のリハビリのためのピアノの音に添った朗唱」と説明されるように、言葉は、意味を消失する寸前まで節分され、音片が訥々と吐き出されるばかり。あふれ出る楽想を封印し音楽にならないなにかを、「表現」しようとする波多野睦美の迫力は、リハビリで朗唱したというシャンソン歌手とはたぶん違う性質のものだと思うが、すばらしいものであった。

欧米の三人の抑制がいかにも方法論的であったのに対して、高橋悠治の『長谷川四郎の四つの歌』におけるそれは、いかにも自然で自在であった。ピアノの音数は少なく、歌の伴奏というよりオブリガートのように響く、三味線の弾き語りのような妙味と親しさ。

アンコールは、最初にかえってバルトーク。1929年作曲の歌曲二曲。しかし、ここには、気迫みなぎる壮年の音楽家の姿がある、弦楽四重奏曲やピアノコンチェルトに聴く、あのバルトークの音そのものだ。音楽はいやがうえでも旋回し、高揚した。そして最初の静寂に帰っていった。


(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)

2011-03-02

高橋悠治・波多野睦美〜ことばを贈る 録音確認中

複数のバックアップをとった上(やっぱりこれだけは必須)で、
昨晩からざっとチェック作業に入りました。

例えばホール側の断線から来るノイズ等や不具合は
こちらではどうにもならないわけですから 、
本番録音直前まで気をもみました。

通しで聞いていますが、目立ったそれはなく、一安心です。

今回の演奏にこういった形で立ち会えることを、
本当に感謝しながら、作業は続きます。

自分に起きたことを やっと冷静に受け止め始めた感じです。





KORG MR-2 の熱暴走のことは以前こちらで取り上げました。

熱対策は、冬という時期的なこともあり、ファンも使いませんでした。
わざわざノイズ源の可能性があるモーターをなるべくそばに
置きたくない、ということです。(一応自宅では検証しました。)

会場で1時間起動してみてそっと触ってみましたが、
放熱はほとんどなくよいコンディションだったので、
手持ちの小型三脚にもマウントしませんでした。
 
SDHCは今回、TOSHIBA SDHC Card 8GB Class4 SD-K08G
を使用しています。いくつか試した上で、最も「なにもおこらなかったもの」
で、現在まで20回程度の使用です。


R:KORG MR-2 L:TASCAM DR-07(現在は主宰の所有品;)

2011-03-01

のこらないもの いとしいもの

 
ずっと あたえられたものの おおきさに かえすことが せいいっぱい

きのうで やっと ふもと

いっしょに わらったり しかられたり かんがえてくれたり 

そんな しあわせが ほかに ありますか



 
いつもの朝ですか 

そう いつもどおりの朝 ここはホテルのロビーだけど

なにか違いますか 

いいえ いつもの朝 かならずやってくる 朝