笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2012-11-15

インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part15 完結編

インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part15
完結編
武久源造
 
 
前回は、私が楽譜というものをどのように考えて演奏しているか、ということについ
て語っているうちに、例によってまた、話が広がり過ぎてしまいました。
さて、この連載もいよいよ今回でPart15.インヴェンツィオンと同じ数になってしま
いました。これまで読んでくださった皆さん、本当にお疲れ様でした。
この連載で私は、主に聴き手の皆さんに向かって語ってきました。したがって、演奏
の専門的な内容については、極力立ち入らないように努めてきた(つもりです)。そ
れなので、例えば、演奏家にとってはどうしても欠かせないテーマであるテンポや装
飾音の問題には、あえて触れてきませんでした。それらについて語り始めると、何冊
もの本ができてしまうからです。しかし、テンポのことについては、ここで一言触れ
ておく必要があるかもしれません。

バッハは『インヴェンツィオン』と『シンフォニア』の楽譜に、テンポを支持する言
葉は一切書き記していません。それでは、我々演奏家はどうやって曲のテンポを決め
たら良いのでしょうか。曲想から判断して、主観的に決めるしかないのでしょうか。
19世紀から20世紀にかけて出版された、これらの曲の楽譜は、多くの場合「権威ある
専門家」が楽譜を肯定していて、そこではそれぞれの曲にアレグロやアンダンテなど
のテンポ標語が(勝手に)書き込まれています。また、これらの曲の録音も、今まで
に数限りなく出ていますが、私の目から見ると、テンポに関する限り、それらの演奏
解釈は、かなり主観的に過ぎる、と言わざるを得ません。

バッハの時代、ドイツでは未だに中世音楽の伝統が生き残っていました。それによれ
ば、テンポはまず拍子記号によって支持されます。基本音価を中心に体系化された記
譜法の理論によって、例えば4分の4拍子なら、ほぼこのぐらい、8分の3ならばこのぐ
らい、という風に、だいたりのテンポの枠組みが決まっていたのです。しかし、それ
では4分の4拍子なら、いつも同じテンポになるのでしょうか。それではあまりに窮屈
ですね。もちろん、そんなことはありません。ここで演奏家が注目しなければならな
いのは、
1)曲想を決定している基本音譜の速さ、
2)リズムの面から見た場合の1小節内のアクセントの数、
3)和声変化の密度、
の3点です。これらを考慮しつつ、拍子の枠組みの中で、1曲1曲の最適なテンポを柔
軟に決めていくわけですが、それは上に列記した客観的な指標に基づいて決定しうる
ものです。なるほど、そこには、主観的な判断も関わってくることは避けられません
が、それは、現在一般に信じられている「常識」とは違って、極僅かなものです。
我々
は、バッハの時代の「常識」を学び、それに親しみつつ、さらに我々自身の長年の経
験によって、その知識を肉体化しなければなりません。そうして初めて、それぞれの
曲の最適なテンポを見出すことができるのです。それはまた、楽器の状態、演奏会場
の響き具合、または、その場の温度や聴衆の集中度などによっても、微妙に影響され
ます。かつて、大指揮者チェリビダッケが言った「ベルリンのテンポを、ロンドンに
持っていくことはできない」という言葉は、私もいろいろなところで実感させられて
います。つまり、最適なテンポというものは、コンサートの度に、そこでしか味わえ
ない1回限りのものなのです。だからこそ、我々は長年の経験を積む必要があるので
す。

もう一つ、テンポに関して重要な問題があります。それは、そもそもテンポをどう感
じるか、という問題です。20世紀は、機械文明の時代でした。我々は、こちこちと正
確に動く機械に囲まれています。それによって、我々の生活感覚、時間間隔も根本的
に影響されていて、機械的に正確に動く物を美しい、かっこいいと感じる美意識が瀰
漫しています。

一方、今から100年以上前に録音された19世紀の名人たちの演奏が、レコードやピア
ノ・ロールの形でかなりの量残されています。それを聴くと、彼らのテンポ感が、
我々
のそれとはそうとうに違っていることに、嫌でも気づかされます。もちろん、19世紀
の演奏スタイルもいろいろあったので、一概には論ぜられないのですが、少なくとも
彼らが、機械的な正確さを求めていなかったことは確かです。では、バロック時代に
はどうだったのでしょうか。これは、当時のいろいろな証言を読んで推測するしかあ
りませんが、例えば彼らが「正確な演奏」と言うときにも、我々が思うような機械的
な正確さではなかっただろうということは確かです。

このことを前提にしてお聴きいただきたいのですが、バロック時代には、大きく2種
類のテンポ概念がありました。その二つとは、Tempo della mano(手のテンポ)と
Tempo dell'affetto(感情のテンポ)です。これを定式化したのは、モンテヴェルデ
ィを中心とするイタリア人たちで、彼らの新しい活動によっていわゆる「バロック時
代」が始まったのでした。それは、バッハのほぼ100年前のことです。

手のテンポとは、つまり、指揮者によって導かれるテンポであり、これによって、イ
ン・テンポの音楽となります。バッハ作品でいえば、オーケストラ付のコンチェルト
などはその例です。それに対して、感情のテンポとは、個々の奏者が、アフェット
(感情)に従って、自由にドライブするテンポのことです。ただし、ここで言う「感
情」は、19世紀流の情緒(エモーション)とは違います。気ままに揺れ動き、次にど
うなるのか予想が付かない、といったロマン派的な情緒とは異なり、バロック時代の
「感情」は、客観的に類型化された心理現象、つまり、悦び、悲しみ、嘆き、感応な
ど、万人に共通の感情であって、バロック時代の芸術家たちは、それらの感情のそれ
ぞれに相応しい合理的な表現手段を探し求めたのでした。音楽では、独奏、独唱、お
よび、小アンサンブルの作品で、特にこのアフェット表現が追及されました。『イン
ヴェンツィオン』と『シンフォニア』もまた、この種類に属することは、言うまでも
ありません。

『インヴェンツィオン&シンフォニア』の1曲1曲が、それぞれ、悦び、悲しみ、快
さ、
嘆きなどの、人間感情(アフェット)の深みを表現していることについては、この連
載でも、調性格論と結びつけながら詳述しました。これを考えるとき、バッハはけっ
して、これらの曲を「子供用の作品」とは見ていなかったことが分かります。「子供
用の曲」と私が言うのは、現在世の中に流布している、いわゆる「子供のための教
材」
のことです。なるほど、バッハは『インヴェンツィオン』を、長男フリーデマンのた
めに書き始め、その後、相次いで生まれた子供たち、また、弟子たちの教育の為に用
いました。しかしそれだからといって、バッハは、ここで、曲のレベルを下げたり、
内容を単純素朴なものにしたり、無邪気なものにしたりはしていません。それどころ
か、『シンフォニア』第9番に見られるように、バッハ作品の中でも、最も深い宗教
的悲しみを湛えた作品すら、ここには含まれているのです。これに対して、今日で
は、
子供は素朴であり、無邪気であり、素直であり、…(あるいは、そうあって欲しい)
と我々は思い込んでいるのではないでしょうか。したがって、子供のための作品も、
かわいくて、無邪気で、分かりやすくて、…という風な類の物が、我々の周りに溢れ
ています。これは、近代人の子供感に基づくものです。

フランスの歴史家フィリップ・アリエスが、あの『子供の誕生』を発表したのは1960
年のことでした。「子供は、近代になって発見されたものであって、それまでは、子
供と言うものはいなかった。中世には、彼らはあくまでも、小さな大人であった。」
というショッキングな仮説は、我々の記憶に新しいところですね。この仮説は、大議
論を巻き起こし、いろいろ反論も出されているようですが、『インヴェンツィオン』
におけるバッハの態度を見る限り、アリエスの仮説は、かなり当たっているように思
われます。

「『インヴェンツィオン』は、けっして子供用の作品ではない」と、声を大にして、
時としては怒りを込めて主張したのは、チェンバロの復興者ワンダ・ランドフスカで
した。彼女がそれを言ったのは、特に、第2次大戦後、彼女がアメリカに亡命してか
らのことです。アメリカでは、主にピアノでの演奏の難度から判断して、鍵盤曲を何
段階かのグレードに分けて分類する習慣があります。ランドフスカは、これに怒りを
発したというわけです。『インヴェンツィオン』は、後のピアノ音楽の楽譜と比べれ
ば、確かに、簡単で、単純な音楽に見えます。しかし、それは表面上のこと。これら
の曲をチェンバロで、真に味わい深く聴かせるためには、該博な知識、成熟した感
性、
および、極めて高度な演奏技術とを要する。そのことをランドフスカは、あちこちで
語り、また、文章にしています。私も、この点、全く同感であることは、ここまでこ
の連載に付き合っていただいた方には、容易に推察していただけることと思います。

この稿の最初に述べた通り、『インヴェンツィオン』と『シンフォニア』は、バッハ
が我々に残した「チェンバロ詩集」であり、彼の「音楽日記」であり、また、彼の
「研究ノート」でもあるのです。その1ページ1ページを、共に紐解こうではありませ
んか。なんと、わくわくすることでしょう。このような宝を残してくれたバッハに、
心からの感謝を、そして、これを共に味わう皆さんには心からの友情を捧げて、この
書き物を終えたいと思います。

 (全文・武久源造 写真・optsuzaki)
※Part15のみ改行編集及び校正なしで、掲載とさせていただきました。