散髪してすっきり。
月末の用事を片付けに(片付かないけど;)、店によって
ひとつずつ。傍らで学校用のパソコンも一台用意できたし。
夕方、ふらっとリサイクルショップへ。
mercury falling / Sting を見つける。缶コーヒーのワンコイン。
角の無い静かな楽曲群、その中に溢れる生と死の達観。
そして程なくKenny Kirklandを失うという道すがらに、
このアルバムはある。
ヘッドホンを外すと、いつの間にか闇に広がる、アマガエルの声。
笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります
2012-05-31
2012-05-30
2012-05-29
SWISSFLEX フルオーダー・クリップオンはどっちの色?
私どもの取り扱いの商品の中で、欠点を探すことが非常に難しいのが、
このSWISSFLEXでしょう。
軽さ・しなやかさ・丈夫さ・サポートの良さ・そして良心的な一式価格。
そして、もうひとつの大きな魅力が、この専用クリップオン。
無くしたり壊したりしやすいオプションですが、玉型が記録されていますので、
簡単に同じ物を簡単に用意できるのです。 専用クリップが部品がなくなって
二度と手にはいらない、なんて心配は無用です。
8/31まで、一式お求めの方に、このクリップ(通常価格6,825円)が
1,050円でご用意できます。
モノ堅いスイスフレックス社のこと、こんな企画は10周年ならではといえます。
お見逃しなく~。
2012-05-28
カトリック福山教会 パイプオルガン第9回定期演奏会のご案内
2012.7.8(日) 17:00開演
カトリック福山教会 聖堂 入場無料
主催・お問い合わせ/ カトリック福山教会 084-923-0614
シリーズ化しているカトリック福山教会の、パイプオルガン演奏会。
今回は盟友、甲田有・愛姉妹のお二人を迎えて、仲谷沙弥香さんの
どんな世界が広がるでしょうか。皆様と一緒にその日を楽しみに
待ちたいと思います。
カトリック福山教会 聖堂 入場無料
主催・お問い合わせ/ カトリック福山教会 084-923-0614
シリーズ化しているカトリック福山教会の、パイプオルガン演奏会。
今回は盟友、甲田有・愛姉妹のお二人を迎えて、仲谷沙弥香さんの
どんな世界が広がるでしょうか。皆様と一緒にその日を楽しみに
待ちたいと思います。
2012-05-27
2012-05-26
転ばずに運動会を・笑
4回目となった文化広報部での運動会の撮影、
なんとか転ばず無事つとめあげました。
今年の部員さんは、最後まで意欲的に撮影を続け、
全体で3000余枚の写真が集まりました。
100枚に1枚以下しか紙面では使わないのですから、
いかに潤沢に素材が用意されているか、といえます。
自分自身の今年のテーマのリレーは、だいぶ小マシに
なりましたが、まだレリーズが遅い。
動くものに対しては、年々練習がいるようです。
2012-05-25
明日は運動会 2012
雨も上がって、どうやら無事でしょう。
今年のテーマは、軽量な機材で、初心に帰って撮ることです。
2台×レンズ2本で、じっくりと取り組みます。
昨年夏の手首の怪我から、重いカメラをあまり使わなくなりました。
(旧くても、レスポンスの良いモデルだったのですが)
ドキドキしている部員さんみんなを うまく押し出してみようと、
考えています。これを機会に、前に出て撮るスリルを覚えたらいいね。
今年のテーマは、軽量な機材で、初心に帰って撮ることです。
2台×レンズ2本で、じっくりと取り組みます。
昨年夏の手首の怪我から、重いカメラをあまり使わなくなりました。
(旧くても、レスポンスの良いモデルだったのですが)
ドキドキしている部員さんみんなを うまく押し出してみようと、
考えています。これを機会に、前に出て撮るスリルを覚えたらいいね。
2012-05-24
Facebookを始めてみて
昨年5月に登録だけしていたのだけど、放置していたFacebook。
リクエストをいただくことになり、少し周りをキョロキョロとしてみた。
ここ半年で僕の周りでも、ずいぶん利用者が増えていた。
知った方々のお顔も近所であれば、相当あるのだけれど。
しばらくは、行き来が途絶えていた人や、やっと直接メッセージが
届けることができるようになった人を探してうろうろ歩いてみようと思う。
FBとして下手な使い方かもしれないが、時間と気持ちの使い方は
大事にしたい。
リアルでももっとゆっくりお付き合いしたいのに時間と距離が
かみあわない人は多い。あなたも忙しいのは、良く知ってるよ。
そんな声なき実力者たちの名前もいっぱい並ぶようになったら
嬉しいんだけどなぁ、と叶わない夢を描いたりもする。
リクエストをいただくことになり、少し周りをキョロキョロとしてみた。
ここ半年で僕の周りでも、ずいぶん利用者が増えていた。
知った方々のお顔も近所であれば、相当あるのだけれど。
しばらくは、行き来が途絶えていた人や、やっと直接メッセージが
届けることができるようになった人を探してうろうろ歩いてみようと思う。
FBとして下手な使い方かもしれないが、時間と気持ちの使い方は
大事にしたい。
リアルでももっとゆっくりお付き合いしたいのに時間と距離が
かみあわない人は多い。あなたも忙しいのは、良く知ってるよ。
そんな声なき実力者たちの名前もいっぱい並ぶようになったら
嬉しいんだけどなぁ、と叶わない夢を描いたりもする。
2012-05-23
SAVOYが多数入荷しました
おっ、見てみようかな、と身を乗り出す方もいらっしゃるかな。
SAVOY、新着です。
私どもめがねのツザキは、それほどブランドに
こだわらないことが長所でもあり、短所でもあります。
まず価格に見合った質は譲れないので、いささか不器用ものです。
めがね店の品揃えがブランドの数で語られることは、
減ってきましたが、力の入ったデザインがリーズナブルに
なってきたのは、私たちもやっぱり嬉しい。
週明けにはコーナーがオープンしますよ。
気軽に手に取ってご覧くださいね。
SAVOY、新着です。
私どもめがねのツザキは、それほどブランドに
こだわらないことが長所でもあり、短所でもあります。
まず価格に見合った質は譲れないので、いささか不器用ものです。
めがね店の品揃えがブランドの数で語られることは、
減ってきましたが、力の入ったデザインがリーズナブルに
なってきたのは、私たちもやっぱり嬉しい。
週明けにはコーナーがオープンしますよ。
気軽に手に取ってご覧くださいね。
2012-05-22
2012-05-21
2012-05-20
2012-05-19
「ヨハネ受難曲」と「マタイ受難曲」 その1
僕のつまんないジョークに、業を煮やされたのかもしれませんが、
「ヨハネ受難曲」と「マタイ受難曲」 その1
その「受難曲」について、主宰がシリーズで書いて下さってます。
「ヨハネ」「マタイ」につながる手引きとしてご一読ください。
(optsuzaki)
「ヨハネ受難曲」と「マタイ受難曲」 その1
わが国の著名な聖書学者、田川建三、加藤隆の師である、エチエンヌ・トロクメによると、新約聖書四福音書の中でもっとも早い時期に書かれたという「マルコ福音書」には、もともと、イエスの受難物語は無かったという。(「四つの福音書、ただ一つの信仰」加藤隆訳・新教出版社2002)もちろん、それに続く復活物語も後代の付加によることになる。復活物語が、四つの福音書で、語られ方がかなりまちまちであることを考えれば、それは理解できる。だが、受難物語は、細かな違いはあるものの出来事としての叙述は、四つの福音書に大きな違いはないと言っていいだろう。トロクメは、前掲書の中で、「マルコ福音書」の叙述を実証的に検討することによって、受難物語以降が後に付加されたことを述べているが、それはなかなか説得力がある。もとより、「マルコ福音書」には、「マタイ」や「ルカ」のような、イエスの生誕物語は描かれていないから、著者にはイエスの伝記を描こうという意図は無かったともいう。
では、その受難物語以降の無い「マルコ福音書」=「原マルコ福音書」はいつ頃成立したのか。トロクメは、西暦80年頃にローマで現在の「マルコ福音書」の形にまとめられたと推論し、「受難物語なしの福音書が考え出され、それが三十年間にもわたって用いられていた。」としている。また、別の著作では、「(原)マルコ福音書が執筆されたのは、紀元後五〇年代末、パレスチナのカイサリアの地方においてであると考えてもまったくおかしくないであろう。筆者は伝道者フィリポか、その側近のうちの誰かであったということになる」(「キリスト教の揺籃期 その誕生と成立」 加藤隆訳 新教出版社1998)と、成立年代のみならず、成立の場所や著者までも推定しようとしているのに驚く。
田川建三も、「積極的根拠もない」としながらも、成立を西暦50年代と推論する。ただし、田川は、受難物語の扱いについてトロクメの説に従っているようではない。「マルコ福音書」を「史上はじめて書かれたイエスという男の伝記」と断定している(「新訳聖書 訳と註1マルコ福音書/マタイ福音書」 作品社2008)。つまり、受難物語も含めたひと続きの文書である「マルコ福音書」の成立を西暦50年代とするということだろう。
50年代といえば、パウロが第2・第3の伝道旅行を敢行し、パウロ本人の手とされる七つの書簡が書かれた時期である。(「使徒パウロ 伝道にかけた生涯
新版」佐竹明著 新教出版社2008による)パウロは、「(原)マルコ福音書」を読んでいたのだろうか。答えはたぶん否だ。なぜなら、パウロ書簡には、イエスの受難と復活について、多くの箇所で言及が見られる(つまり受難物語以降)が、生前のイエスの言動(つまりトロクメ説の「原マルコ」)についてはまったく触れられていないからだ。
トロクメも田川も、「マルコ福音書」の成立を50年代と推定しているが、受難物語以降の扱いについては違いがある。それはどちらが正しいのか、客観的に根拠をもって何か語ることは、私なんかに出来はしない。だが、気持ちとしてしては、トロクメの説を採る方が、後述するこの時代の混沌とした状況を説明するのに、面白いように思える。
いずれにしても、新訳聖書の最初期に書かれたとする、「パウロ書簡」と「マルコ福音書」が、おそらくまったく別の歴史的・社会的文脈で成立していた、ということは言えそうな気がする。ついでに言うと、トロクメが「原マルコ福音書」の成立の場所として挙げたカイサリアへは、パウロは何度か訪ねている。その地で、「マルコ福音書」の著者やその集団との接触は無かったのか。かりにあったとしたら(つまり「マルコ福音書」を読んでいたとしたら)、なぜ書簡の中でそのことが示されなかったのか。(逆に言うと、何も書かれていないから、私は、パウロは「マルコ」を読んでいないと推論するのだが…)
もっとも、こういった想像も、マルコ成立50年代説が前提となっているわけで、それ以降に成立したとするならば、パウロは読もうにも読めないということになってしまう。
イエスの十字架上の死から、10年20年の間の、黎明期のキリスト教の状況を考えるのに、一級の資料は何と言っても、「使徒言行録」であろう。著者は、第3福音書である「ルカ福音書」の著者と同定されるわけだから、2世紀の著作であることになろう。とすると、語られる紀元40年代と、語っている紀元2世紀とは、キリスト教をめぐる状況がかなり異なることになる。「使徒言行録」の著者は、エルサレム主流派(ペトロ、ヤコブがその代表者)とパウロとの関係を出来るだけ調和的に描こうとしているが、実際には、かなり分裂していた、というより、むしろ相互不信といっていい状態にあったようにも読める。
一方で、前に述べたように、パウロと「マルコ福音書」のすれ違いがあるし、「マルコ福音書」がエルサレム主流派に対する、とくにペトロに対する批判的な側面を強く押し出しているところを見ると、これまた両者の関係は穏健なものではなかったはずだ。
加えて、四つの福音書のみならず、イエスの言動をまとめた著作が、他にも存在していたという。
1世紀中葉のキリスト教を巡る状況は、その力関係においても、神学的教義においても、いまだナショナル・センターといえる権威が存在せず、混沌とした状況であったのだろう。
(続く)
2012-05-18
日食に寄せて
さて、まずは21日当日の天気ですが、どんなものでしょうか...。
お問い合わせをずいぶんいただいた日食メガネもいいのですが、
ピンホールで投影してみるというのも、安全で良いです。
前回2009年の日食では、店の表で望遠レンズを構えて準備していたのですが
曇り空でした。食が最大に進んだ頃、なんとにわかに雲が薄くなり始め、
合間を透かして撮った奇跡の一枚がこちら。平凡な標準レンズのみを使用。
フィルター等、なんの特殊な機材がいらないことも、こうしてあるのです。
金環食になるのは、このあたりよりもう少し南の地域ですので、
またしても当地では、部分日食です。 (けっこうお問い合せでは
勘違いされている方が多いのですが...)
子供の頃、天文雑誌とかで、次の本土での金環食は2012年、と読みました。
その頃想像がつかない年齢になっています。というか、どこか見えるところまで
出かけていってきっと見るんだろうなあ、と思っていましたが、御年、そう甘くは
なかったですなぁ(^^;) 。
そうそう、高校の頃、今ではトップアマチュアのお・君と一緒に
「日食がありますので」と早退して、翌日、や・先生に、怒られるより
苦笑された、爽やかな青春の思い出が(笑)。
その次の部分食も、予備校の悪友と、これまたバイトの勤務時間中に
望遠鏡をセットしていて、「仕事中に何やっとんじゃ」と、お・主事に
叱られながらも、地学担当の先生を巻き込んで、なんだか実習に
持ち込んでしまったことなども、爽やかに(そんなんばっかり)。
お問い合わせをずいぶんいただいた日食メガネもいいのですが、
ピンホールで投影してみるというのも、安全で良いです。
前回2009年の日食では、店の表で望遠レンズを構えて準備していたのですが
曇り空でした。食が最大に進んだ頃、なんとにわかに雲が薄くなり始め、
合間を透かして撮った奇跡の一枚がこちら。平凡な標準レンズのみを使用。
フィルター等、なんの特殊な機材がいらないことも、こうしてあるのです。
金環食になるのは、このあたりよりもう少し南の地域ですので、
またしても当地では、部分日食です。 (けっこうお問い合せでは
勘違いされている方が多いのですが...)
子供の頃、天文雑誌とかで、次の本土での金環食は2012年、と読みました。
その頃想像がつかない年齢になっています。というか、どこか見えるところまで
出かけていってきっと見るんだろうなあ、と思っていましたが、御年、そう甘くは
なかったですなぁ(^^;) 。
そうそう、高校の頃、今ではトップアマチュアのお・君と一緒に
「日食がありますので」と早退して、翌日、や・先生に、怒られるより
苦笑された、爽やかな青春の思い出が(笑)。
その次の部分食も、予備校の悪友と、これまたバイトの勤務時間中に
望遠鏡をセットしていて、「仕事中に何やっとんじゃ」と、お・主事に
叱られながらも、地学担当の先生を巻き込んで、なんだか実習に
持ち込んでしまったことなども、爽やかに(そんなんばっかり)。
2012-05-17
朝から粗大ゴミ出し
時々大きなゴミを出さなくてはならないのは、我が家に限らないでしょう。
お店と自宅あわせて、軽トラック2台分にもなりました。
でも、断捨離とは違うんですよ。モノに対する執着を捨ててる
つもりではないから。
かの言葉に甘えてるのは、単にへいぜい片づけをしていないだけで
実はモノを粗末にしている言い訳じゃないかなぁ。
とことん使い倒してやるのが、僕はやはり好きです。
そうはいっても、どうしていいのか身動きつかなくなったら、
うちでは、シルバー人材センターにお願いして、運び出して
いただいてます。
お年なんぞもろともしないパワフルな皆さんに、助けられてます。
笠岡だとコチラ↓
公益社団法人 笠岡市シルバー人材センター
お店と自宅あわせて、軽トラック2台分にもなりました。
でも、断捨離とは違うんですよ。モノに対する執着を捨ててる
つもりではないから。
かの言葉に甘えてるのは、単にへいぜい片づけをしていないだけで
実はモノを粗末にしている言い訳じゃないかなぁ。
とことん使い倒してやるのが、僕はやはり好きです。
そうはいっても、どうしていいのか身動きつかなくなったら、
うちでは、シルバー人材センターにお願いして、運び出して
いただいてます。
お年なんぞもろともしないパワフルな皆さんに、助けられてます。
笠岡だとコチラ↓
公益社団法人 笠岡市シルバー人材センター
解体中のRoland MKB-1000 合掌。 |
2012-05-16
文化広報部会いよいよスイッチオン
お昼から、今年の文化広報部会、いよいよ本気でスタートした感じです。
部員さんのカラーは毎年ずいぶん違うんですが、今年の力の抜け具合は
スゴイ。やはり肩に力が入らない勢いというのは、なかなか得がたいものです。
ソフトもまだまだ練習中なんですが、これらがうまく学校HP,ブログにフライト
していけばいいなあと...、あ、これまだ私案なんですけど、いっちゃったか(笑) 。
部員さんのカラーは毎年ずいぶん違うんですが、今年の力の抜け具合は
スゴイ。やはり肩に力が入らない勢いというのは、なかなか得がたいものです。
ソフトもまだまだ練習中なんですが、これらがうまく学校HP,ブログにフライト
していけばいいなあと...、あ、これまだ私案なんですけど、いっちゃったか(笑) 。
おや、この写真は...と気づいた方は、鋭い。
でもこちらはフィルムです。
2012-05-15
カブニの遠足 頂上はまぁだだよー 後編
大変好評だった前編に引き続いて、今日は後半を。
天候の良さは、下見の日以上でした。
前回、上天気でも、水蒸気は多かったので、こんなものかなと
思っていたのですが、山頂からは、遠く倉敷市街地が見えるのですね。
その上双眼鏡では、直線で30キロ弱の川崎医大が確認できました。
背景には岡山市街を囲んだ山々が広がっていきます。
いつかの山火事で痛めつけられた山肌は、木々に覆われすっかり
その勢いを取り返したかのように見えます。しかし植生は、一昔前と
あきらかな変化を感じます。それはもう取り返しのつかないものかも
しれません...。
たとえそうであっても、傷めつけられた山を大事に守るみなさんの、
地道で懸命な作業によってこそ、今回の安全な山登りが実現した
ことは紛れもありません。心から感謝を表します。
そんな山火事を知らない子どもたちが、この山登りを忘れずに
いてくれたら、次の未来はそこから芽吹き始めます。
親にも子どもたちにも、希薄になっている“故郷”を見直す、
とてもよい遠足になりました。
いつか、またみんなでいけるといいね。
天候の良さは、下見の日以上でした。
前回、上天気でも、水蒸気は多かったので、こんなものかなと
思っていたのですが、山頂からは、遠く倉敷市街地が見えるのですね。
その上双眼鏡では、直線で30キロ弱の川崎医大が確認できました。
背景には岡山市街を囲んだ山々が広がっていきます。
八畳岩をパスして六畳岩へ。岩の上からお家に電話してました。 |
こちらも北木島~真鍋島~四国まで一気に見渡せます |
よく滑るザラメの下りも、子どもたちには滑り台に見える |
尾根の終点で野点(のだて)を楽しむお二人に出会う。なんとも粋です。 |
我が家もバッチリ見つかって、さあ帰ろうか。 |
走るなといっても、きかないんだから。まあ、この道は走りたくもなるね(;)。 |
ゴールで用意した金柑。疲れたみんなに好評でした。 |
お母さんがわりも、楽じゃないね、ま・ちゃん。ありがとう。 |
いつかの山火事で痛めつけられた山肌は、木々に覆われすっかり
その勢いを取り返したかのように見えます。しかし植生は、一昔前と
あきらかな変化を感じます。それはもう取り返しのつかないものかも
しれません...。
たとえそうであっても、傷めつけられた山を大事に守るみなさんの、
地道で懸命な作業によってこそ、今回の安全な山登りが実現した
ことは紛れもありません。心から感謝を表します。
そんな山火事を知らない子どもたちが、この山登りを忘れずに
いてくれたら、次の未来はそこから芽吹き始めます。
親にも子どもたちにも、希薄になっている“故郷”を見直す、
とてもよい遠足になりました。
いつか、またみんなでいけるといいね。
2012-05-14
カブニの遠足 頂上はまぁだだよー 前編
カブニの仲間の希望者(山や虫が苦手という人にはゴメンナサイ) で
延期していた応神山歩きへいよいよ出発。
笠岡放送オンエアも迫った、先週の土曜日。
晴天に恵まれ、親子10余人で、気ままに登って来ました。
ルートは先日下見した三愛園直登ルートで一気に登り、
尾根伝いに八畳岩~展望台~三愛園車道ルートで下山、
の予定どおりでした。まあ、子どもと遊びながらのことですから
3時間余りの所要時間になりました。
それでは、はじまり、はじまり~。
延期していた応神山歩きへいよいよ出発。
笠岡放送オンエアも迫った、先週の土曜日。
晴天に恵まれ、親子10余人で、気ままに登って来ました。
ルートは先日下見した三愛園直登ルートで一気に登り、
尾根伝いに八畳岩~展望台~三愛園車道ルートで下山、
の予定どおりでした。まあ、子どもと遊びながらのことですから
3時間余りの所要時間になりました。
それでは、はじまり、はじまり~。
タケノコに大喜びの藪からスタート |
丸太の橋がハイキング気分をもりあげる |
立ちはだかる岩に一同興奮! |
フウフウ登ると眼下はいっぺんに開け始める |
ああっ、頂上~ 笑顔がこぼれます |
一週間前にできた看板と。 応神山の風車さんにリスペクト。 |
少し下ると西方面も開け始める |
おーいまだかい、と大人たちを振り返る |
(続くぅ)
2012-05-13
笠岡地区まちづくり協議会第一回役員会へ
お昼から、この長いタイトルの会議へ出席しました。
まあ一回目ですから、大きな枠組の話に終始しますが、
定義付けが大事な方は、定義付けを力説するし、
実務にかかわる方は、そこが最優先されるわけですね。
学校の流れで出席している僕は、この会議と文化広報部が、
どうリンクしていくのかを追いながら、諸先輩の話を聞かせて
いただいてましたが。
「簡潔に話すよう心がける」ということの大事さを
実感した会議でした。
まあ一回目ですから、大きな枠組の話に終始しますが、
定義付けが大事な方は、定義付けを力説するし、
実務にかかわる方は、そこが最優先されるわけですね。
学校の流れで出席している僕は、この会議と文化広報部が、
どうリンクしていくのかを追いながら、諸先輩の話を聞かせて
いただいてましたが。
「簡潔に話すよう心がける」ということの大事さを
実感した会議でした。
2012-05-12
板橋文夫FIT!再び!
板橋文夫FIT!再び!
4月24日(火)夜、板橋文夫FIT!を聴きに行った。前に聴いたのが、去年の10月だったから、わずか半年後である。場所は、前回がミュージック・ファクトリーだったが、今回はポレポレであった。前回の客も少なかったが、今回もたいして変わりはなかった。それは予想できたことだが、じゃあ何でそんなにライヴをやるの、というのは愚問である。
「やるしかないだろう!」という無言の声が、演奏から聞こえてくる。
前回の演奏が素晴らしいものであったことは前に書いたが、今回はさらにそれを上回るものであった。とくに、ドラムの竹村一哲は半年の間に明らかに巧くなった。巧くなったといっても、難しいことを簡単にできるようになった、という意味で巧くなったというのではない。トリオという編成の中で、全体を見渡す視野の広さがぐっと増したという気がするし、他の二人が発する音に対する反応が格段に鋭くなった。ベースの瀬尾高志も同様である。トリオの中で時に沈み時に浮き上がり、強烈なグルーヴ感を生み出す。板橋のピアノは、いつものようにぶっきらぼうでありながらも、それでいてこの音しか考えられないと思えるほどの、強さと説得力があった。
ひょっとしたら、いまがこのトリオの絶頂期なのかもしれない。いつまでも、こんなハイテンションの演奏は続けられはしない。それこそ気が狂ってしまうか、身体がやられてしまうかしそうだ。それくらい凄まじいエネルギーを発散しているのだ。
(全文・主宰 写真,改行・optsuzaki)
2012-05-11
ついにオンエア ミュージカル「カブニのかくれんぼ まぁだだよー」
5月13日(日) いよいよ笠岡放送で待望のオンエア。
放送開始時間は9時、11時、13時、18時、20時、22時 で
2時間の繰り返しとなります。
身近なテーマを みんなの手とこころで
放送開始時間は9時、11時、13時、18時、20時、22時 で
2時間の繰り返しとなります。
未来はきっと そこにある 育てた命の その向こうに
劇中歌「小さなことから始めよう」 より
劇中歌「小さなことから始めよう」 より
2012-05-10
吉備焼 水川創壌先生を訪ねました
今年も、文化広報部の事業として「土ひねりの会」を行います。
そのお願いにP会長と二人で、茂平のアトリエへお昼から伺いました。
今回でおじゃまするのは3回目になるのですが、回を重ねるごとに
先生のお話や身振りが、どんどん意欲的で力強く感じられます。
昨今の創作活動にとどまらず、吉備焼の歴史的な変遷、
それらを囲むいろいろな社会分野のお話を聞かせていただき、
あっという間に時間がたってしまいました。
念願のご自身のホームページも、スタートされています。
また、最近はfacebookにもはまっておられる様子です。
2012-05-09
武久源造=『ゴールトベルク』を終えて
武久源造=『ゴールトベルク』を終えて
店主が的を射た感想をすでに述べておられるので、間借り人としてはちょっと書きにくいところですが、自分なりの印象を心覚えに書き留めておきたいと思います。
『ゴールトベルク変奏曲』を今回のように一台の楽器で全曲通して演奏することを、作曲者が意図して書いたか否かについては、議論があるところです。武久源造も、奈良での演奏会では何回かにわけて、この曲を演奏しているようだし、最近観たDVDでは各変奏曲を、チェンバロ・フォルテピアノ・オルガンにわけて演奏していました。2000年に福山で演奏した際には、2台のチェンバロでした。そして3曲1セットの変奏曲ごとに武久源造の解説が入るというものでした。
つまり、『ゴールトベルク変奏曲』は、全曲通すか何曲か選んで演奏するか、一台で弾くか何台で弾くか、さまざまな試みが許容され得る曲だと言えるような気がします。
私自身の好みで言うと、全曲を通して、それも出来るならば繰り返しも含めて、じっくりと聴きたい、と思っていました。
変奏曲のいくつかを演奏会の中に挿入するというやり方も、それはそれで素晴らしい味わいがあるに違いないのですが、『ゴールトベルク変奏曲』を全曲通して聴くと、ゆったりと流れるストーリーが背後に隠されているような気がするのです。それは言いようのない歓びなのです。この日の演奏も、語られざるストーリーを感じながら、音楽と向き合っていました。
店主が申す通り、前半は楽器に小さなハプニングがいくつかありました。プログラムには「復調なった」と書きましたが、実はこの日については調子がいまひとつでした。曲と曲の間に短時間ながら、調整をしなければならないことも少しだけありました。途中から、楽器の鳴りもよくなり、そうなると武久源造の技が冴えまくります。終盤では曲と曲の間を詰めて、一気に雪崩れていくのでした。第29変奏のほとんどノンビートと言えるようなスピード感には息を呑みました。そして、続く第30変奏の大団円、繰り返しを省いた最後の「アリア」でのつぶやきは、緩やかに見えたストーリーがしっかりとした輪郭を描く場面でした。振り返ると、前半の小さな躓きも長い旅路の中での一つの風景のように思えるのです。
そして、今回の『ゴールトベルク変奏曲』で特筆されるべきは、音色の多彩さでした。4フィート、バフ・ストップ、カプラー、そしてナザールなどを自由に駆使して、いともあでやかな花々を、道々に咲かせるのです。おそらく、作曲者バッハ自身も、あるいは18世紀中盤にロンドンでカークマン・チェンバロを演奏していた人にとっても、こんな多彩ないろあいをもった『ゴールトベルク変奏曲』は想像出来なかったに違いありません。しかし、想像しえなかったとしても、可能性はあったはずです。そこを、現代の感性が具現化したと言っていいでしょう。
「古楽」演奏は、いつもその演奏がオーセンティック=歴史的に正しいか、ということが一つの価値軸になっていると思います。しかし、演奏するのもそれを聴くのも、いまを生きるわれわれです。オーセンティックでありながらも、それを超える新しい価値を創造すること、そこらあたりが、「古楽」を聴くほんとうの妙味であるような気がします。その意味で、武久源造のいう「新しい音楽」「未来系」という言葉の本質的な部分が、端的に示された演奏であったように思いました。
今回も、牧師先生をはじめ教会関係者のみなさまにたいへんお世話になりました。この拙文がお目にかかることはないでしょうが、そうであっても、ここでお礼を申し述べておきたいと思います。
(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)
2012-05-08
やっぱり可愛いフルーツ&ベジタブルケース
2012-05-07
Fish & Jazz in Kasaoka @ねぶと屋・笠岡
Mod by optsuzaki |
そうかぁ~Jazzを聞き流すんじゃぁ。
サイバー系メガネ女子は無料だって。今ならウチの4400セット
(4620tax in)でダテを作れば、まだ間に合いますヨ。
2012-05-06
ゴールトベルク受難曲
怪しいタイトル、こんなモノを知らぬ奴の文は読みたくないと
思われる方は、ここが緊急脱出装置。
今頃、打ち上げで皆さん盛り上がっている頃だろう。
それも今日は遠慮させていただいたので、その時間を活かして
思うままを。
ビロウな話で恐縮だが、昨夕から咳と痰が止まらない。
僕の声もナザールかけっぱなしである。
こんなコンディションで行くコンサートは、正直今まで無い。
今日は、待ち焦がれたゴールトベルク変奏曲/武久源造、その日である。
でも、みんなに迷惑かけずに最後まで聴けるかな...。
そんなことは個人的な体調の話でしょ、と思った皆さんは
これまたここまででパラシュートで無事着水。
聴き手も、きっと奏者も、今日は荒れ模様であった。
日が差しながら、雷がなるような今朝からの天気のように。
意気揚々と飛び立とうとした船は、第1変奏からいきなり磁気嵐に
見舞われる。果たして船はどうなる?
表情ひとつ変えず船長は、船を放棄しない。
変容していくチェンバロと奏者のやりとりは、実に激しいものがあった。
安定を最優先すれば、聴く方だって楽だと思われるかもしれない。
そうしないのは、きっと譲れないものがあるからで、それは単に弾手の
「音色の楽しみ」と片付けられないものに違いない。
一曲中で音色を切り替えることで、音色間のバランスも一変するだろう。
でもピアノではなく、チェンバロだからこそできる試みがそこにある。
ナザールの音色は、僕にはなぜか60年代のロックギターや、エレキ・シタールを
想起させる。今はない遠い時代、それとも地球外との交信をしているような
感覚がある。無線音のようなナローバンドな音がそうさせるのか。
そして、第29変奏では、今日も光速を超える。
遠い空間から帰還した第30変奏、永劫回帰のアリア。
変奏は30のヴァリエイションだが、そこに起こる偶然を掛け合わせると
それは文字通り無量大数、である。
すべてが終わり始めてにっこり語る、が、どうだ、というのではない。
今日のところはこんな感じかな、といったところで飄々としている源造さん。
そう、旅はまたここから始まる。
思われる方は、ここが緊急脱出装置。
今頃、打ち上げで皆さん盛り上がっている頃だろう。
それも今日は遠慮させていただいたので、その時間を活かして
思うままを。
ビロウな話で恐縮だが、昨夕から咳と痰が止まらない。
僕の声もナザールかけっぱなしである。
こんなコンディションで行くコンサートは、正直今まで無い。
今日は、待ち焦がれたゴールトベルク変奏曲/武久源造、その日である。
でも、みんなに迷惑かけずに最後まで聴けるかな...。
そんなことは個人的な体調の話でしょ、と思った皆さんは
これまたここまででパラシュートで無事着水。
聴き手も、きっと奏者も、今日は荒れ模様であった。
日が差しながら、雷がなるような今朝からの天気のように。
意気揚々と飛び立とうとした船は、第1変奏からいきなり磁気嵐に
見舞われる。果たして船はどうなる?
表情ひとつ変えず船長は、船を放棄しない。
変容していくチェンバロと奏者のやりとりは、実に激しいものがあった。
安定を最優先すれば、聴く方だって楽だと思われるかもしれない。
そうしないのは、きっと譲れないものがあるからで、それは単に弾手の
「音色の楽しみ」と片付けられないものに違いない。
一曲中で音色を切り替えることで、音色間のバランスも一変するだろう。
でもピアノではなく、チェンバロだからこそできる試みがそこにある。
ナザールの音色は、僕にはなぜか60年代のロックギターや、エレキ・シタールを
想起させる。今はない遠い時代、それとも地球外との交信をしているような
感覚がある。無線音のようなナローバンドな音がそうさせるのか。
そして、第29変奏では、今日も光速を超える。
遠い空間から帰還した第30変奏、永劫回帰のアリア。
変奏は30のヴァリエイションだが、そこに起こる偶然を掛け合わせると
それは文字通り無量大数、である。
すべてが終わり始めてにっこり語る、が、どうだ、というのではない。
今日のところはこんな感じかな、といったところで飄々としている源造さん。
そう、旅はまたここから始まる。
2012-05-05
応神山・三愛園直登ルートを試す
まず応神山の全体については、こちらを参照されたし。
近所ということもあり、昔から馴染みのある山なのだが、
こんなに頂上へ向いていろんなルートがあるとは思わなかった。
特に三愛園からストレートに頂上を目指すルートは、存在すら知らなかった。
近いうちに子どもたちと登る計画があるので、朝の散歩の特別版(笑)として、
下見に行ってきた。
三愛園近くの集合予定場所から、直登ルート~頂上~八畳岩~展望台
~三愛園車道ルート、で元の集合場所に。4キロちょっとの道のりで、
5分休んだが、大人の足で概ね1時間のコース。
地図上の距離は他のルートの1/3程度なので、確かに麓から近い。
のったりと尾根伝い、頂上までが長い笠神社ルートのイメージからすると、
この直登コース、けっこう険しい。気分はミニ石鎚山というところか。
ザラメな小道に注意はいるが、落石があるようなものではないので、
子どもたちの冒険心をうまく満たしてくれるのではなかろうか。
天気や子どもたちの体調で決めることにした。
2012-05-04
2012-05-03
2012-05-02
一年生をむかえる会の取材に
連休の合間、子どもたちが楽しみにしている「一年生をむかえる会」の
取材、正副部長さんと三人で初陣を(^^;) 。
昨年も今時期だったのですが、必要なシーンがうまく取材できなかった
部分も多々あって、そこそこの枚数の割にかみ合わず、後の写真の
選択に困った苦い思い出があります。
(講習会の添削でも、そんなウィークポイントはすかさず指摘を受けました)
今回二度目なので、それなりに収めていくことができましたが、
一方で何かが足りない気がします。
その点、初参加の正副は、場慣れこそしていないとはいえ、
新鮮な構図や、的確なタイミングでうまく攻めていました。
きっと掴みがいいんでしょうね、運動会へ向けてお二人の活躍への
楽しみが増えました。
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