笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2012-11-22

演奏会を終えて / ジャズ大衆舎 on web #9



演奏会を終えて

 夢幻の色彩感、自由闊達な語り口、得も言えぬ抒情、そして、がっしりとした物語の構築…、5月の武久源造による『ゴールトベルク変奏曲』は、「完璧」な演奏ではなかったが、すぐれて魅力に溢れた、まさにライヴの醍醐味を伝えるものであり、私たちと武久源造との関係において、一つの大きなエポックとなった。

さて、次のリサイタルの曲目として、『インヴェンツィオンとシンフォニア』が提案されたとき、正直なところ軽い失望を憶えた。バッハのチェンバロ曲で一番の人気曲であり大作である『ゴールトベルク』の後に何をやるか。何をやるにしても、『ゴールトベルク』を超える「何か」を提示するのは、たいへん困難な課題であるように思えた。そこで『インヴェンツィオンとシンフォニア』とはちょっとしょぼくはないか、…素人考えでそう思ったのだ。

武久源造は、リサイタルの一ヶ月前に、当ブログ掲載用にと『インヴェンツィオンとシンフォニア』の解説文を送ってきた。最初から“Part1”とあり、終わりに(続く)と記してあったので、2,3回分くらいが送られてくるのかと思っていたら、なんと『インヴェンツィオン』そして『シンフォニア』の曲数と同じ15回分の原稿が次々に送られてきたのである。それも、昼と言わず、夜と言わず、この人はいったいいつ眠っているのか、と思われるほど、矢継ぎ早に、弾丸のように送られてきたのである。

武久源造が、文筆においても卓越しているのは、その著書『新しい人は新しい音楽をする』(アルク出版2001)を読めばすぐにわかるのだが、それにしても、この解説は面白い。『インヴェンツィオンとシンフォニア』に直接かかわることはもちろんだが、『ゴールトベルク』との関係、数の象徴、調性、調律法、カークマン・チェンバロの構造と機能、演奏においてどのようなストップを用いるか…、等など、武久源造のよく使う言葉を借りるなら、より求心的な、そして遠心的な、双方からの話題の提供であった。

せっかくなので、演奏会当日は30部ほど印刷して、お客さんのなかで興味ある方に配布した。B5サイズの紙に印刷したところ、なんと52ページにもおよんだ。

多岐にわたる話題の中で、私がとりわけ注目したのは、ストップにかかわる叙述であった。手元にある何枚かの『インヴェンツィオンとシンフォニア』CDを、その叙述と引き比べながら聴いて、実際の演奏をあれこれと想像してみるのは、たいへん楽しい作業であった。そうしていくうちに、だんだんと演奏会への期待は膨らんでいった。もし、このブログを読んで下さっている方で、演奏会に足を運んで下さった方がいらっしゃったなら、同じようではなかっただろうか。

演奏会は、2部構成で『インヴェンツィオンとシンフォニア』全30曲が、武久源造の解説を織り交ぜながら、ゆったりと演奏された。『ゴールトベルク』の興奮はなかったが、そのかわり、しっとりとした、慈味に溢れた演奏だった。また、ストップ操作による音色の変化も、とりわけ『インヴェンツィオン』において、事前に「予習」したものよりずっと色彩豊かなものであった。

『インヴェンツィオン』は2声のシンプルな形で書かれているが、そのぶん2段鍵盤による音色の対比を効果的に表現することが可能となる。ここらあたりに、武久源造がこの曲集を『ゴールトベルク』の後に取り上げようとした、重要なモチーフの一つが蔵されているのではないか、とふと考えた。一方で、3声の『シンフォニア』では、内声部を右手左手双方で繋がなければならない。そうすると、二つの鍵盤を同時に使用することが出来ない。その分だけ、音の運動性に焦点をあてた演奏であったように思える。

その『シンフォニア』の中で、武久源造が唯一二つの鍵盤を同時に使用して演奏したのが、第5番であった。武久源造は、左手の分散和音を、上鍵盤でフロント8’にバフストップをかけて弾き、上2声の絡み合う旋律を、下鍵盤でバック8’で弾いた。この弾き方でCDにもなっているし、かつて尾道でのリサイタルでアンコールとして弾いたのも、同じやり方だった。武久源造の十八番と言ってよいだろう。まるでリュート歌曲のようなアイディアだが、こういうやり方をする演奏家を、私は他に知らない。

武久源造は、この曲集をバッハによる「チェンバロ詩集」だと評した。シンフォニア第5番のみならず、その香気は随所に溢れていた。そして、私は『インヴェンツィオンとシンフォニア』についていかにわかっていなかったか、その不明を恥じた。

(全文・主宰 写真,改行・optsuzaki)