インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part6 武久源造
前回は、バッハが用いていた、いわゆるバロック調律は、現代の平均律とは根本的に異なっている、というお話をしました。それは、「按配律」であって、機械的に均等な「平均律」ではありませんでした。この違いは、実は今日のピアノでは、あまりはっきり聴こえません。なぜなら、今日のピアノの音は基音重視で、そこには倍音があまり含まれていないからです。ところが、チェンバロの音は倍音が豊かです。倍音がたくさんあると、僅かな調律の差であっても、かなり明瞭に聴こえてきます。ということは、前回お話しした按配律における各調の響きの差も、チェンバロであれば容易に耳で確かめることができる、ということです。この種のバロック調律には、実に無数の種類があったのですが、調号の少ないハ長調やト長調、ヘ長調およびその並行短調は美しく響き、調号の多い変ニ長調やロ長調などは耳障りに響く、という点ではほぼ共通していました。
さて、バッハ当時の人たちが、各調の性格を具体的にどのように捉えていたか、ということですが・これについては、バッハの弟子であったシューバルト(シューベルト ではありません)などが、いくらか文章を残していて大いに参考になります。しか し、 なんといってもヨハン・マッテゾンがその著『新設されたオーケストラ』(1713年) において、調性格を詳しく論じており、それを読むと実に面白い。彼は、バロック時代の著述家に相応しく、実に生々しい、時にどぎつい表現をも大胆に駆使しています。 マッテゾンという人は、主にハンブルクで活動した作曲家(本業は外交官)。バッハよりも4歳年長で、ハンブルクに出てきたばかりのヘンデルとも付き合いがあり(時 にはヘンデルと決闘もしたりしながら)、後に耳が聞こえなくなっても音楽活動を続 けた点ではベートーヴェンに似ており、また、著述活動、特に音楽雑誌の発刊に力を 入れた点ではシューマンに似ている、という人物です。彼は、バッハとは個人的な付 き合いはなかったのですが、その作品は知っていて、その著書にバッハの曲を引用したりもしています。
というわけで、早速ここで、マッテゾンやシューバルトの言うことを参照しつつ、 『インヴェンツィオン&シンフォニア』の各々の曲について、調ごとにまとめて、簡単に触れておきましょう。
第1番はハ長調です。マッテゾンの言うところによると「ハ長調は、おごり高ぶった 性格が特徴ではあるが、無愛想というわけではなく、悦びを表現することもできる 云々」。バッハの作品では『平均率』第2巻の第1番などは、このマッテゾンの意見にぴったり合いますが、『インヴェンツィオン&シンフォニア』の第1番はどうでしょう。確かに、ここには悦びがある。そして、少し偉ぶった感じもする、と言えなくもない、といったところでしょうか。『インヴェンツィオン』の第1番は、有名なドレミファレミドソという主題に基づいています。バッハはこの主題を二つの要素に分解して、それを縦横に組み合わせています。つまり、この旋律は、ドレミファとまっす ぐ4度上がった後、そのままソへ行かないで、いったんドへ戻る。その際、ファミレドとまっすぐ降りるのではなく、ファレミドとジグザグに降りる。まっすぐ動くこと、 と、ジグザグに動くこと、この2種類の動き方を、バッハは全曲の構成原理として用いているのです。これは、実に伝統的なフーガ手法です。また、第15小節から始まる 反行フーガ(主題を鏡に映したように反対向きに動かすフーガ)も、この曲の特徴 で、これまた実に古風、な伝統です。ところで、この主題は、例えばKyrie Eleisonとい う歌詞をつけても、実に歌いやすい。グレゴリウス聖歌にも通ずる素朴な旋律です。 これに対して、『シンフォニア』の第1番は、オクターヴ上行に始まる広やかな旋律を主題としていて、より器楽的な性格です。ここでバッハは、この美しい主題を、細かい要素に分解することなく、丸ごとそのまま繰り返す、当時としては新しい手法の フーガを展開しております。
第2番、ハ短調。マッテゾン曰く、「ハ短調は、どこまでも愛らしく、悲しみをも伴う調であるが、実に和やかでもある。その和やかさは眠気をもよおさせるほどである 云々」この性格描写は、『インヴェンツィオン&シンフォニア』に、実に良く当てはまりますね。「眠気をもよおさせる」というのは、ちょっと言い過ぎのようにも思われますが、『インヴェンツィオン』の第2番も『シンフォニア』の第2番も、実に愛らしく和やか、そして、幾分悲しい。両者とも、かなり長い旋律を主題としていて、そこに、それとは対照的な音型が対位主題として絡んでくる、という構成になっています。『インヴェンツィオン』の第2番が美しいカノンであることは前述しましたが、 『シンフォニア』の第2番は、8分の12拍子のジーグ。跳ねるような主題に対して、素早く流れるような対位主題のコントラストの妙がすばらしい。
第3番、二長調。「この調は幾分くっきりとした頑固な性格で、にぎやかな曲想では、 愉快な、あるいは、好戦的な、人を鼓舞するような音楽に向く一方、精妙な音楽に使うこともできる。…」とマッテゾンは言っています。この性格描写の前半、「人を鼓 舞するような」というところは、特に『シンフォニア』の第3番に良く当てはまって います。この主題は非常に印象的なはじけるようなリズムを特徴としています。『インヴェンツィオン』の第3番は、まさに「愉快な」音楽。その主題は第1番の主題を拡張した形になっています。ところが、第1番では37回も主題が繰り返されたのに対して、この第3番では、主題そのものはたったの3回しか出てきません。その代わり、主題がどんどん変形されて現れる。こういうのを、音楽修辞学では、アポコーペ(変形 模倣フーガ)と呼びます。
第4番、ニ短調。「一心に打ち込んだような静けさを湛え、心の平安に向かう崇高さ、 心地よさ、満ち足りた雰囲気を表す。しかし、享楽的な曲もありうる。その場合は、 跳ねるような性格ではなく、流れるようなものになるだろう。…」このマッテゾンの 指摘は、まさにこの場にどんぴしゃりです。『インヴェンツィオン』の第4番は、流麗で享楽的、『シンフォニア』の方は、実に心地よい、平安に満ちた雰囲気、時に半音階が現れ、宗教的な崇高さをも感じさせます。
第5番、変ホ長調。この調に関するマッテゾンの指摘が面白い。「情熱に満ち、専ら 真面目な曲か、嘆きの曲化のいずれかである。この調は極めて豊穣であり、いわば太り過ぎて嫌悪感をもよおさせるほどである。」この意見に照らしてみるならば、『インヴェンツィオン』の第5番は、専ら真面目な曲、『シンフォニア』の方は、嘆きの曲、という風に言えるかも知れません。「嫌悪感をもよおさせる」ほどではないにせよ、『シンフォニア』の第5番は、確かに、異例なほど豊かな内容を持っています。 これは、リュートの伴奏に乗って二人のソプラノが歌う、フランス風のデュエットであり、また、セレナーデのようにも聴こえます。豊かに施された装飾音が、得も言われぬアラベスクを織りなしています。これに比して、『インヴェンツィオン』の方は というと、まずその主題はリズミカルに4度上行するだけの、これ以上ないほど単純な音型です。それは、幾分古風なレース飾りのような対位主題に支えられつつ、どこまでも生真面目に曲を紡いでいます。
(続く)
(全文・武久源造 写真,一部校正/改行・optsuzaki)
2012/11/12 revisited