武久源造氏ご本人が弊blogに書き下ろして下さった
リサイタルへの手引きです。数回に分けてお届けします。
インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part1
武久源造
『2声部のためのインヴェンツィオン』と『3声部のためのシンフォニア』は、それぞ
れ、15の異なる調で書かれた15曲から成る曲集です。
今回私は、これを続けて演奏いたしますので(間に休憩を挟むかも知れませんが)、
都合30曲の連作として聴いていただくことになります。
前回のリサイタルで演奏いたしました『ゴールトベルク変奏曲』も、その内容は主題
と30の変奏でした。30という数字が共通しておりますが、後に述べますように、これ
は単なる偶然ではありません。
『インヴェンツィオンとシンフォニア』は、バッハが残した500曲余の鍵盤曲の中で
も、特によく知られた作品です。現在、バッハの美しい自筆譜が写真コピーによって、
広く流布していますが、それに加えて、ヨーロッパ、アメリカ、アジアの各国(そし
て、たぶん、南ア連邦などのアフリカ諸国も含めて)から、おのおの特徴ある編集譜
(演奏家、作曲家、音楽学者などによってデザインしなおされた楽譜。多くの場合、
フレージング、表情記号、指使いなどが書き加えられている)が、現在なお続々と出
版されています。実は、私は、かつて(1996年)、これをCDに録音するにあたって、
ちょっと調べたことがありましたが、その時、19世紀初頭以来200年に渡って、世界
中から出版されているこの曲集の楽譜を、少なくとも7・80種類は確認することがで
きました。つまり、例えて言えば、これらの曲集は、そのくらい様々な国の言葉に翻
訳されている、と言ってもいいでしょう。
さて、先ほど、鍵盤曲、と言いましたが、これらの曲集は、厳密には『2声部、また
は、3声部』のための作品であり、バッハは、その自筆譜のどこにも、いかなる楽器
名も書いてはおりません。したがってこの曲集は、『フーガの技法』などと同じよう
に、基本的にはどんな楽器で演奏しても(あるいは、人声、つまり、声楽作品として
演奏しても)差し支えない、という建前を取っております。実際、弦楽器や管楽器、
または、合唱によって演奏された例も、過去にたくさんありました。しかしながら、
『フーガの技法』がそうであるように、やはりこの『インヴェンツィオンとシンフォ
ニア』も、まずもって、チェンバロ、クラヴィコード、オルガンなどの鍵盤楽器で弾
かれるための作品であることは間違いないでしょう。とはいっても、当時、バッハの
周りで選ぶことのできた鍵盤楽器には、実に驚くほどたくさんの種類がありました。
したがって、現在これを演奏しようとする私たちにも、様々な選択の余地があるとい
うことになります。上述の私のCDでは、チェンバロ、オルガン、クラヴィコードの3
種類の鍵盤楽器を用いましたが、今回の演奏では、これを1台のチェンバロで弾こう
と思います。前回の『ゴールトベルク』と同じく、カークマン・チェンバロの多様な
機能を使って、これらの曲から、可能な限り豊かな色彩を引き出してみたいと思って
おります。
ここまで読まれた方の中には、「へえー、ずいぶん面倒くさいんだなあ」と思われた
方もあるかも知れません。だいたい、なぜ、バッハは『2声部』とか『3声部』などと、
わざわざ持って回ったような言い方をしたのでしょう。
バッハのことですから、やはりそれには少し深い意味があります。バッハが自筆譜に
添えた序文を読むと、この曲集は、バッハが学習者のための教材としてまとめたもの
であることが分かりますが、それは、演奏のための教材であるとともに、作曲のため
の良き模範として創られたものでもありました。考え方によっては、後者のウェイト
の方が、より大きいともいえるでしょう。バッハはここで、声楽や器楽といったメデ
ィアの違いを超えた、2声部や3声部の動かし方を実地に学んでほしい、と言っている
わけです。ここでのバッハの態度は、極めて職人的です。このころの庶民が仕事を憶
えるには、現代の私たちのように学校に行くのではなく、尊敬する親方のところに徒
弟として住み込んで、何年もかけて学ぶのが普通でした。バッハ自身も10代前半に、
長兄ヨハン・クリストフの家に住み込んで音楽の修業をしましたし、後には、自分の
家に多くの弟子たちを住まわせました。バッハの二男エマーヌエルが報告していると
ころによれば、常時40人ほどの子供たちや生徒たちが、バッハ家で生活していたよう
です。『インヴェンツィオンとシンフォニア』は、そのにぎやかな学習の場のために、
バッハが生み出した無数の教材の中から選び抜かれた「最良の模範例」だったのです。
それを思うとき、これらの曲に貫流する生命力が、師と生徒の生きた対話、そして、
何よりもバッハの激しい愛情から来ていることが分かります。激しい愛情というのは、
やや不思議な言い方かも知れません。彼の愛情は、積極的、能動的、そして、優れて
プラクティカルなものだったと思うのです。かれは、生徒に向かい合うタイプの、い
わゆる「何でも知っている先生」ではなかったでしょう。そうではなく、彼は自らも
前に進みつつ、生徒には背中だけを見せるような「苦闘する師」であったと思います。
背中だけを見せながらも、彼の生み出す「教材」には、生徒である私たちを鼓舞し、
奮起させずにはおかない激しい力、より高い音楽のレベルに我々を巻き込んでいく強
靭な駆動力があるのです。今、私は、来るべきリサイタルのために、この30曲を毎日
弾いておりますが、毎回毎回、その力に打たれ、そこに溢れる愛情に激しく感動して
いる自分を発見します。全く驚嘆すべき曲集です。この驚嘆と感動を、来るべきリサ
イタルでは、是非皆様に、できるだけたくさん手渡したいと思います。
(続く)
(全文・武久源造 写真,一部改行・optsuzaki)