インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part10
武久源造
今回は、我々チェンバリストがチェンバロを弾く時、いったい何をやっているのか、
チェンバロの表現では、いったい何ができて、何ができないのか、についてお話しし
たいと思います。
チェンバロは、弦をはじく爪の角度、および、爪と弦との接触面積を、演奏中に自由
に変えることはできません。(演奏前の準備調整の際に、それを設定しておきま
す。)
したがって、演奏中、音の強弱はほとんど変わりません。その代わり、奏者は、発音
タイミングを僅かに変化させつつ、音楽の時間感覚を伸縮させます。つまり、ド・レ・
ミ…という音が、同じ16分音符で書かれていたとしても、そのそれぞれの音譜の長さ
をいくらか変えて弾くわけです。その変え方の度合いは、ほとんど気が付かないぐら
いの微妙なものから、かなり大胆なものまで、いろいろです。強弱の変化、つまり音
の波の振幅の変化が乏しいので、その分、時間の流れを遅くしたり速くしたりして、
アクセントを付けたり、フォーカスしたり、また、影を付けてぼかしたりするわけで
す。それがこの時代の音楽の重要な表現手段でした。
また、チェンバロでは、鍵盤を押し下げる速度を大幅に変化させます。それによって、
音の立ち上がり方を僅かに変えることができます。さらに、いったん鳴らした音をい
つ、どのように消音するか、に神経を使います。チェンバロでは、いったん音が出た
後でも、基音と倍音が時間差をつけて、減衰したり膨らんだりするので、たとえば、
ド・レ・ミと弾く際、それらの音を鳴らしっぱなしにしても、旋律は濁りません。ピ
アノでこれをやれば、多くの場合、それは、濁り、となって聴こえますが、チェンバ
ロでは、いわば、影を付けて立体的に旋律線を描いたような効果になるのです。そう
いうわけで、音をいつ、どのように消すかが重要になってくるのですが、その際、鍵
盤を上げる速度が肝心です。鍵盤を上げる、というのは、実は正確な言い方ではあり
ません。我々は鍵盤を押し下げている指の力を抜き、鍵盤が自分で上がろうとするの
を許します。そして、鍵盤が上がってからも、指は鍵盤から離しません。これを専門
用語でリリースと呼びますが、その際の力の抜き方によってリリースの速度を自由に
変える。これが、チェンバロでは大きな効果の違いとなって聴こえるのです。素早く
リリースすれば、鋭く消音できるし、ゆっくりリリースすれば、いつの間にか音がな
くなっていた、という風に聴こえます。これはチェンバロの消音装置が、非常に軽く、
微妙なコントロールを許すようになっているからで、これもまたピアノと大きく異な
る点です。(これも、演奏前の準備の際に、自分好みの消音ができるように、入念に
調整しておきます。)次いで、鍵盤をリリースした後、次の音を弾く前に、僅かな間
を作ることができます。この間はほんの0.1秒未満の間ですが、チェンバロやオルガ
ンの演奏では、これが大変重要なポイントになります。この間によって、音楽の言葉
が意味を持って聞こえるように、単語と単語の区切りをはっきりさせることができる
からです。これをアーティキュレーションと言います。ピアノでは、強弱の変化を使
って、効果的にアーティキュレイトすることができますが、チェンバロでは、それ
を、リリース速度の変化と、その後の間の長さで持って行います。
ではここで、具体的な例に則して、上で述べたことを説明しましょう。
『インヴェンツィオン』第1番の主題、ドレミファレミドソという音型をチェンバロ
で弾く時、私が何をするのか、そして、楽器はどう振る舞うのか、できるだけ丁寧に
解説してみましょう。これはあくまでも、私の解釈による弾き方であって、チェンバ
リストによって、全く弾き方が違ってくる、ということは、言うまでもありません。
まず最初にドを弾きます。鍵盤はゆっくり押し下げます。押し下げる速度によって、
その後に起こる音の立ち上がり方が変わります。チェンバロの場合、ピアノと違って
音はまず倍音から立ち上がってきます。なぜなら、はじかれた場合、弦の表面で作ら
れる倍音と、弦の中心部で作られる基音では、発音に僅かな時間差が生ずるからです。
具体的には、基音がドであれば、その1オクターヴ上のド、その上のソ、2オクター
ヴ上のド、そして、その上のミ…、(これらを低次倍音と言います。)が最初に聞こ
えるのです。(チェンバロの調性の具合によっては、もっと高い高次倍音が最初に聴
こえる場合もあります。)次いでほぼ0.1秒ほど遅れて、弦の中心部で作られる基音
のドが、徐々に立ち上がります。この遅れの程度は、弦の製法とチェンバロの構造に
よって変わってきます。また、その変化の仕方は、演奏前の準備調性によっても、変
えることができます。さて、0.数秒後、、基音も倍音も1度減衰します。しかしさら
に聴いていると、1秒近く経ってから、基音と倍音が、また膨らんできます。これは、
弦で発生した音が、響体(楽器のボディ)に広がることで起こる現象で、我々はこれ
を「ブルーム」と呼んでいます。この2度目の音の膨らみも、基音と倍音で僅かに時
間差があります。我々は、これらの音の振る舞いを聴きます。音は常に変化しており
しかも、その変化は直線的なものではなく、波状的な変化です。我々はその変化の曲
線に自分の脳を同調させつつ、ここぞというところで、次の音であるレに進みます。
この時、ドの鍵盤は押し下げたままにしておきます。つまり、ドはまだ鳴り続け、変
化し続けています。ここに新たなレの音が加わるわけです。レもまた、倍音から立ち
上がってきて、それに続いて基音が鳴ります。減衰しつつあるドと膨張してくるレの
間に、新たな波状効果が生まれます。同時に、ドとレの、それぞれの倍音間に一瞬
ハーモニーが生じます。奏者は注意深くそれを聴きます。
次にミの音を弾きますが、このとき、レの音は素早くリリースします。しかし、ドの
鍵盤はまだ押し下げたままにしておきます。そうすると、この段階では、鳴りつづけて
いるドの上にミが乗ることになります。耳にはハ長調の基本和音が聴こえ、この曲が
ハ長調であることがここで初めて感得されます。例えばチェンバロが、バロッティ律で
調律されているとすると、このドとミは、かなり美しくハモります。そのハモり具合を
聴きつつ、ドの鍵盤をゆっくりリリースし始めます。
次に、ファの音を弾くわけですが、その前に、今まで鳴っているドとミの和音を、完
全に消音します。今までの響きを全部消すわけですが、次のファを弾く前に、本の僅
かな無音の間を作ります。それから、素早くファを弾くと、ファが、より印象深く聴
こえます。ファの鍵盤を直前のミよりも素早く押し下げると、基音を僅か強めに響か
せることができます。こうしてファにアクセントが付くわけです。さらにここで、ファの音は、
直前のミよりも長く響かせておきます。そのために、次の音であるレを弾く
タイミングは、予想されるポイントよりも少し遅らせます。ファのアクセント感は
さらに強まります。ここでレを弾きますが、ファは鳴らせたままにしておきます。つ
まり、ファの鍵盤はまだリリースしません。そうするとここに、ファとレが和音を作
ることになります。耳はファとレの基音と倍音の振る舞いに注目しています。これを
良く味わった後、再び、ファとレの和音を消音します。つまり、速度を加減しつつリ
リースします。次に、先ほどと同じように、無音の間を作ります。つまり、アーティ
キュレイトします。
次にミ・ドと弾きます。ここまでお読みくださった方にはもうお分かりのことと思い
ますが、やはり、ミとドで、綺麗な和音を作るようにします。ここでいよいよ最後の
音であるソに到るわけですが、その前にミ・ドの和音をどうするかが問題です。これ
を消音し、やや長めの無音の間を作ってからソを弾けば、ドからソまでの距離を印象
付けることができて、かつ、ソに大きなアクセントが付きます。しかし、もしもここ
で、ソにアクセントを付けたくなければ、逆に、ミ・ドの和音はそのまま鳴らしてお
いて、そこへソの音を乗せるように静かに弾きます。そうすると、ここにド・ミ・ソ
の和音が完成するわけです。大雑把にいえば、この二つのやり方のどちらかを選ぶわ
けですけれども、実際には、ミ・ドのリリースの速度、ソの鍵盤を押し下げる速度、
また、それらの発音タイミングを調整しますので、音型のデザインは、この主題を弾
く度に毎回変わることになります。
こうして、ド・レ・ミ・ファ・レ・ミ・ド・ソという旋律を弾いたわけですが、その
際、ドミ、レファ、ドミ・ソ、という和音を響かせ、いわばその影によって、旋律の
背景を立体的に描くことができたわけです。そして、今の場合で言えば、ファの音に
アクセントを付けました。これも、毎回同じようにアクセントを付けるわけではな
く、そのつど、何の音に、どの程度のアクセントを付け、また、どの音にフォーカスし、
どの音に影を付けるか、は、自由に変化させます。
いかがでしょう。こうして言葉で表すと、実に、複雑で面倒なことをしているように
聞こえますね。でも、実際には、長年の訓練によって、これらのことは、我々の脳が
ほぼ自動的にやってくれます。我々の意識としては、いわばただ、ハンドルを握って
いるだけです。周りの様子を見ながら、方向を選び、また、微調整をするのです。後
は自動車に任せている、という感じです。
最近の脳科学の研究データによると、我々が何かの行動を起こす際、脳内では既にそ
の直前に、その行動はシミュレイトされている、とのことです。つまり、我々が行動
しようという意識を持つかなり前、場合によっては、2・30秒も前に、脳内では既に
その準備が始まっているそうです。実に驚くべきことですが、しかし、私は音楽をや
っているとき、そのことを、よく実感します。特にチェンバロの演奏の際、時間の流
れ方を伸縮させるのですが、そのとき、脳は体の動きとは別に、未来を先取りしたり、
過去へ戻ったりしながら、現実の時間とは少しずれた時間感覚を創出しているようで
す。チェンバロという楽器は、そのことを実に生き生きと体験させてくれます。チェ
ンバロはまさに、時間のキャンバスである、と言えるかも知れません。
(全文・武久源造 写真,一部校正/改行・optsuzaki)
2012/11/12 revisited