インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part7 武久源造
今回も、前回に引き続き、バッハが『インヴェンツィオン&シンフォニア』に選んだ 各調の性格を、マッテゾンの描写によって捉えつつ、それに該当する各々の曲について、コメントを加えていきましょう。
第6番はホ長調です。これまでのところ、マッテゾンの調性格論と、バッハの音楽 は、 まずまずの一致を見てきました。しかしながら、このホ長調に関しては、両者間にかなりの相違があると言わざるを得ません。マッテゾンの言うには、「寄る辺のない悲しみ、死にそうなほどの悲哀を表すことにおいて、ホ長調は抜群である。生木を裂くような苦悩、肉体と魂との不条理にのみ例えられるような、その種の情緒を表現する のに、この調は向いている…」これを読むとき、我々は直ちに、例えばヘンデルの 『メサイア』冒頭のアリア「慰めよ」、あるいは、同じく『メサイア』第3部冒頭の アリア「私は知る、和が救い主は行き給うことを」などの、ホ長調の名曲を思い出す ことができます。それらの曲では、まさに、肉体と魂、あるいは、人間と神との間の 不条理が歌われていました。これと相通ずるバッハの曲としては、『マタイ受難曲』 第1部の終曲、やはりホ長調の「おお人よ、お前の大いなる罪に泣け」を挙げることができるかも知れません。しかし、他の大半のホ長調作品の場合、バッハの考えは、 どうもこれとは正反対のように見えます。すぐに思い当たる例だけでも、カンタータ 第45番「人よ、汝に良きこと告げられたり」、『平均律』に収められたホ長調による 二つの前奏曲とフーガ、フランス組曲第6番、チェンバロ協奏曲第2番、ヴァイオリン協奏曲第2番…、いずれも、悦びに満ちた朗らかな曲想です。そして、『インヴェンツィオン&シンフォニア』の第6番もこの類に属するものです。 『インヴェンツィオン』第6番では、右手と左手が、1音ずつずれながら、反対方向に 動くことによって、最初は互いに近づき、今度は遠ざかる。そして、その間に挟まれる、いわゆる短短長角(バダバン、バダバンのリズム、スキャットで言ってみてください!)は、伝統的に喜びを表すリズムとされています。まるで、巧みな二人のダンサーによるコントルダンスを見ているようで、どこまでも気の置けないユーモラスな曲です。 『シンフォニア』の第6番がまたすばらしい。これは、有名な「主よ、人の望みの喜びよ」を想起させるような8分の9拍子の流麗な旋律を主題としています。この主題を使ってバッハは、実に大らかな絵を描いています。弾いていて、また、聴いていて、 ふと、笑顔のこぼれるような作品です。
第7番、ホ短調。「この調で、楽しげなものを表現するのは難しい。(やろうとすれば、できないわけではないが)通例この調は、感慨深く、気のめいるような雰囲気を もたらす。とはいっても、この調で慰められることも期待できるし、楽しくはないにせよ、幾分、急速な曲もあり得る。…」ここにおいては、このマッテゾンの性格描写 は、バッハの考えと完全に一致しているようです。『インヴェンツィオン』第7番の方は、幾分朗らかな曲想ではあるけれども、やはり、お天気は雨模様。 そして、『シンフォニア』の第7番となると、それはもうどっぷりと涙に暮れた音楽と言わざるを得ません。前述したように、この主題はバッハが好んで用いた嘆きの音型。曲の後半からは、それに呼応して、悲しげにかき口説くような音型が対位主題として現れます。最後にいよいよ感極まって慨嘆するような部分で曲が閉じられます。
第8番、ヘ長調。マッテゾン曰く「この世で最も素敵な気分を表現できる調である。 即ち、気前の良さ、大船に乗った感じ、…、そういった気分が、さりげなく、しかも、 どこまでも気楽に表せるのである…」この描写も、バッハのヘ長調の音楽にぴったり です。直ちに思い出される実例は、『ブランデンブルク協奏曲』第1、および、第2番 でしょう。 『インヴェンツィオン』第8番の主題は、『ブランデンブルク』第1番第1楽章のそれとよく似ています。これは分散和音で上行し、音階で下降する、典型的トランペット 音型とも言えます。そして、全曲を通じて不協和音がほとんど出てこない。全曲、日本晴れという感じです。 『シンフォニア』第8番も、これまた、口ずさみたくなるような魅力的な旋律を主題 としています。ここにも短短調角の悦びのリズムがきかれ、そして、不協和音がない。 今回私が使う調律法もそうなのですが、この時代の調律法では、だいたいにおいて、 このヘ長調が最も美しく響きます。この傾向は、ベートーヴェンにまで続いており、 例えば、ヘ長調の古今の名曲の一つ『田園交響曲』のような曲を生み出す遠因になっています。
第9番、ヘ短調。「この調は、穏やかで、落ち着いた性格だが、重く深い絶望、死に 臨んだ心の苦しみを表すことができる。…」 これがまた、なんと巧くバッハのヘ短調音楽の真髄を言い当てていることでしょう。 ここまで読んできた方にはすぐお分かりのことと思いますが、ヘ短調の調性格につい て、マッテゾンが言うところは、ホ短調のそれに酷似しています。それに賛同するかのように、バッハのヘ短調インヴェンツィオンの主題は、ホ短調インヴェンツィオン のそれを本の僅かに変形したものです。全体的な曲想も似ています。 そして、『シンフォニア』第9番が、バッハの生み出した鍵盤独奏曲の中でも、稀にみるほど、宗教的な悲しみに満ちていることについては、既に詳述しました。
第10番、ト長調。「この調は、人を引き付ける雄弁な性格を強く持ち、輝かしさも少なからずあり、真面目な表現にも、活気のある表現にも適している。…」ここでも、 マッテゾンとバッハの意見は一致しています。そして、この性格描写は、そのまま、 同じ調で書かれた『ブランデンブルク』第3番、そして特に『ゴールトベルク』に も、 良く当てはまっています。 『インヴェンツィオン』の第10番は、ここでも分散和音のトランペット音型の主題、 8分の9拍子のジーグで、活気と華やかさに溢れています。 『シンフォニア』の方は、落ち着いた4分の3拍子。9度の広い音域に渡る唐草模様風 の主題。このような主題を、二つの手だけを使って、3声部で転回するのは、なかなか困難な演奏技術を必要とします。この点でも、この曲は『ゴールトベルク』を予見しています。
第11番、ト短調。この調について、マッテゾンは、「真面目さと愛 らしさとを兼ね備えた、この世で最も美しい調」という意味のことを述べています。 これを読むとき、私が直ちに思い出すのは、なんといっても、モーツァルトのあのト短調の名曲、『交響曲第40番』です。あれこそは、「この世で最も美しい音楽」の一つでしょう。しかし、バッハもけっして、負けてはいません。特に、「シンフォニア 第11番を聴いてください。全体は落ち着いたメヌエット。下降分散和音の主題は、まるで、天から落ちる雪のように、はらはらと舞い散る。これこそ、私の最もお気に入りのバッハ作品の一つです。 『インヴェンツィオン』第11番も、その魅力は、大変なものです。ここでの主題は、 『シンフォニア』第10番のそれに似た、唐草模様。それに対する対位主題は、ジグザグの半音下降。実に心憎い洒脱さです。
第12番、イ長調。「輝かしくはあるが、非常に好戦的な調であって、気晴らしよりは むしろ、嘆き悲しむような表現に向いている。…」とマッテゾンは言います。確か に、 『インヴェンツィオン』の第12番には、ある種の攻撃性を感じます。主題は、ひっかくようなモルデントの繰り返しと長いトリル。対位主題は、まるで、勢いをつけて自転車を漕いでいるかのような旋回音型。これが全曲を力強く駆動します。 『シンフォニア』の方は、より落ち着いた動きではありますが、主題は旋回音型+小 刻みな跳躍音型、この二つの要素が組み合わさって全体を構成しています。やはり、 大変アクティヴな音楽です。
第13番、イ短調。「嘆くような、品位のある落ち着いた性格」がイ短調の特徴だとマッテゾンは言っています。確かに、『シンフォニア』の第13番は、この言葉にぴった りです。ことに、「品位」という言葉がここにはもっとも相応しい。そして、この曲の後半に突然現れ、何度も繰り返されるポロネーズのリズムは、これはまた、いった いどうしたことでしょう。バッハのポロネーズへの偏愛は、良く知られているところ です。そういえば、『ゴールトベルク』の第1変奏も、いきなりこれで始まるのでし たね。 『インヴェンツィオン』の第13番の方は、マッテゾンの言うところとは少し離れるよ うですが、流麗な分散和音のヴァイオリン的音型を主題とし、今回演奏する曲の中で、 最も器楽的な性格だと言えるでしょう。
第14番、変ロ長調。マッテゾンによると、この調は、「非常に気晴らしに富んだ、壮麗な調」であるとのこと。『インヴェンツィオン』も『シンフォニア』も第14番は、 大変快い、平和に満ちた音楽です。『インヴェンツィオン』第14番の主題は、第8番 の主題とほぼ同じ分散和音のトランペット音型ですが、14番のほうには、宝石の付いた小さな鎖の耳飾りのような旋回音型がアクセントを添えています。この装飾によって、この曲がいかに気晴らしに富んだものになっていることか。 『シンフォニア』第14番は、4度下降の音階を軸とするなだらかな主題。おそらく、 今回の演奏曲目中、この曲は最も、いわゆる「癒しの力」に富んだ音楽だろうと思われます。恐れや不安といった感情からこれほど隔絶した音楽が他にあるでしょうか。
第15番、ロ短調。マッテゾンがこの調について述べるところを読むと、「奇異(グロ テスク)」「メランコリック」という二つの言葉が目立ちます。バッハの作品で、まず、我々が思い出すロ短調の大曲といえば、なんといっても『ロ短調ミサ曲』。しか しあの場合、全曲の大半はロ短調以外の調で書かれています。あそこで、ロ短調の印象的な曲はといえば、二つの「キリエ」、「聖霊によって、処女マリアより生まれ」、 そして、「主のみ名によって来るものは幸いなり」の部分でしょう。そこでは、やはり、メランコリックで、多少ともグロテスクな表現が、我々を神秘の世界に誘っています。 『インヴェンツィオン』第15番が、イタリア風の、かなり長い旋律を主題としていることについては、既に述べました。加えてこの曲は、、溜息の音型の反復を含んでおり、それらの組み合わせが、ある有名な曲にそっくりです。それは『マタイ受難曲』 の中で、ユダが裏切りの密謀を企てるところで歌われる、ソプラノのアリア「何と血だらけなこと!」です。内容、表現ともに、これほどグロテスクで、なおかつメランコリックなものを、私は他に知りません。
そして、『シンフォニア』第15番、今回最後の曲は、16分の9拍子。この拍子を選んだことだけでも、バッハとしてはかなり奇異です。この主題は、『インヴェンツィオン』の第15番の主題を変形した物。そして、これに絡み合う対位主題が、ごく急速な アルペッジオ。これによって、今回の演奏曲中唯一のトッカータ的な曲想を示してい ます。演奏会の最後を飾る曲としても、実に適しています。
さて皆さん!、後半の方は、かなり駆け足でしたが、一応、今回演奏する全ての曲 を、 調性の立場から概観したわけですが、ここまで、私に付き合ってくださった方たち、 まことにお疲れ様でした。私の拙い文章力のせいで、皆さんの曲に対するイメージが損なわれていないことを、ひたすら祈ります。 元来私は、プログラムやCD解説などに、楽曲の分析や解題などについて書くことを好みません。なぜならそれは、これらの曲が現に生きている生ものだと、私には強く感じられてならないからです。例えば、自分の恋人を第3者に紹介する際、彼女のレントゲン写真を見せる人がいるでしょうか。仮に私が彼女の解剖学的データを知ってい たとしても、それを人前に晒すのは野暮というものだし、ある種の冒涜でさえあるでしょう。 しかし今回は、あえて、楽曲の真髄に触れる内容を、演奏前に公開してみようと思いました。それは、それだけすばらしい内容をこれらの曲が持っているからであり、こ れほどの宝物を私蔵することに、罪の意識に似たものを感じたからです。とはいって も、私が少しばかりのことを知っているからといって、いったい私に何が分かるとい うのでしょう。知れば知るほど、これらの曲は、さらに大きななぞとなって、我々の前に立ちはだかる。それは、大きな謎であるとともに、この上なく美しい宝石であり、 生きた恋人であります。私はこれまで、彼女についていくらか述べましたが、私の描写は、上の例えでいえば、彼女のスリー・サイズに触れる程度に止めたつもりです。 (笑)
音楽は生きたものであり、生きたものとして提供されねばなりません。生きているものは、機械ではない。 それぞれのパーツの意味が分かっても、全体の意味は分からない。生命においては、 全体は常に、部分の総和を超えているからです。生命は、常に、それを包む環境と共に、「一なる者」として味わわれなければなりません。その意味で、今回の私の演奏 が、命に満ちたものとなることを願っています。この命は、演奏家と聴衆が協力して、 産み育てるものです。どうか、コンサートに足を運んでくださり、『インヴェンツィ オン』と『シンフォニア』に、また一つの新たな命の灯を灯そうではありませんか。
(全文・武久源造 写真,一部校正/改行・optsuzaki)
2012/11/12 revisited