明るい話をとんと聞かない昨今ですが、そんな世相とある意味で関係なく、ある意味で微妙に影響を受けながら、昨年も自分たちのできる範囲の活動を積み上げることができました。支援して下さった方々に、心よりお礼を申し上げます。
今年も、自分たちが大事にする音楽の価値を、地道に伝えていきたいと思います。かわらぬご支援をたまわりますようお願い申し上げます。
今年は、さっそく、
1月13日(日)カトリック福山教会での「武久源造オルガン・リサイタル」と
2月3日(日)ロフト(ジャズ酒場)での「高橋悠治・内橋和久/U9(悠久)」を
準備しているところです。
これ以降も、ジャズ大衆舎ならでは、というか、ジャズ大衆舎にしか発想し得ない、ライヴを計画しているところです。それらについては、追って当ブログに掲載しますので、ときどき覗いてくださいますように。
さて、「武久源造オルガン・リサイタル」については、演奏者本人からのメッセージをすでにお読みのことと思います。さらに加えて、武久源造から特別に、カトリック福山教会のみなさんに対して、挨拶文が届いています。彼の篤い信仰心を吐露するかのような語り口にますます期待が高まります。本人の許しを得て、後掲しています。
武久源造出演の当舎主催の演奏会は、2010年8月に1回目を催して以来、今回が10回目になります。
こういう言辞は、主催者の自己満足以上のものにはならないことが多いので、声高らかに言うことではありませんが、私自身に特別の感慨があるのもまた事実ではあります。
(文・主宰)
今回のプログラムの中で、私は、「天にまします我らの父よ」というコラールに基づく作品を三つ演奏いたします。
言うまでもなく、これは、「主の祈り」です。ご案内の通り「主の祈り」には、我々に必要なすべての願いが込められています。そこには、悲しみがあり、悦びがあり、嘆きがあり、また、希望があります。実に、多様な内容を持っているわけです。したがって、これを音楽にする場合、作曲家は、これらの要素の内のどれにフォーカスを当てるのか、まずそこのところを考えねばならないのです。
ブクステフーデのコラール編曲「天にまします我らの父よ」は、この作曲家が得意とする抒情詩的な作品です。ここでは、主に、我々の心の深みから発する嘆願が表現されています。ここでは、悲しみを表す半音階が特徴的です。
ベームの同名のコラール編曲では、ペダルによってそうされる音型が、頼もしく前進する歩みを表します。ここでは、希望と喜び、神の御計画の確かさが讃えられるのです。
そして、メンデルスゾーンの大作、オルガン・ソナタ第6番では、このコラールの様々な面が網羅的に描写されます。そして、終楽章では、ついに祈りが聞き届けられた、と信ずるわれわれの心の平安を表す音楽が、この上なく美しく奏でられます。
今回はこれらの3曲を縦軸とし、これに対して、スウェーリンク、ブクステフーデ、バッハの、見事な自由作品の名曲を横軸として、一つの十字架を形作るプログラムとしました。
どの曲も、宝石のようなオルガン曲ばかりです。どうか、お楽しみください。
武久源造
(写真,一部校正/改行・optsuzaki)