笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2013-11-10

藤井豊写真展「僕、馬 I am a HORSE」を観て



藤井豊写真展「僕、馬 I am a HORSE」を観て

 店主じきじきのお誘いを受け、1110日(日)の暮れ方、やや久しぶりに「メガネのツザキ」に標記の展覧会を観に行った。東北の被災地の写真展であると聴いていた。夏に自分が釜石を訪ねたこともあって、どこか格別に感じるところがあろうかと、店主が声を掛けて下さったようだ。ちょうど、写真家によるレクチャーが予定されていると聴いていたので、興味をもって足を運んだ。

 お店の二階に写真が並べられ、その前で、藤井さんがおもむろに語り始めた。青森県からはじめ被災地を南下していく、写真による紀行文という感じであった。眼の前に展示された写真を、時に指さし時に手に取りながら、まるでその写真と対話するように、その時々の様子を語っていく。しかし、その語り口は自信や確信を背景にしているというよりも、その意味を、いまだ模索し問い続けようとしている、ナイーヴな写真家の姿があった。
 被災地の惨状を伝えるとか、原発の停止を求めるとか、そういった特定の意図が写真に込めらているようではない。自分が立った場所で、何を感じそして考えるか、ということのみを手掛かりとして、撮られた写真群のように思える。すべてアナログフィルムによるモノクロという方法的なあるいは数量的な限定が、そのことと関連をもっているのか。
 それにしても、被災地を巡った写真展と言いながら、破壊された街や瓦礫の山、などといった、被災地らしい風景を切り取った写真は、驚くほど少ない。むしろ、何の変哲もない、と言ってもいいような何気ない風景を撮った写真に、藤井さんは熱い感情を注ぐ。素直な人なのだ。藤井さんの語りを聴きつつ、その写真を眺めると、また違った意味を語り始めるようだ。
 「最後のほうでは、祈るような気持ちでシャッターを押した」
そう語る藤井さんが、旅の最後に行きついたのは、被災地各所にただようもの言わぬ死者の魂との交感であったのだ。


(全文・主宰)