10月22日(土)、在日朝鮮人詩人、金時鐘(キム・シジョン)さんの自作詩朗読ライヴを、広島のライヴハウス、カフェ・テアトロ・アビエルトへ、聴きに行った。筆者がアビエルトを訪ねるのは、10年ぶりである。広島リアルジャズ集団を主宰していた権田将晃さんが店長をしていたおりに、芝居やフリーミュージックのライヴを幾度か観に行った。もっとも、オーナー(こういう言い方はこの方にはなじみにくいが…)の中山幸雄さんは、アビエルト開店以前に、筆者が学生の頃に親しんだ、「風の旅団」や「野戦の月」といったテント芝居の広島公演を地道に続けておられ、話をしたことはなかったが、そこまで遡れば30年近い年月が経過したことになる。
金時鐘さんの朗読ライヴが、たとえ規模は小さくとも、公共事業でもなく労働団体の主催でもなく、アビエルトのような場所で、出演者のことを愛しよく理解しているスタッフの手によって催されることは、なによりの喜びだ。
古い話ばかりだが、筆者が金時鐘さん(などと言うのは居心地が悪いので、以後、「金時鐘先生」とする)の著書に出会ったのは、『在日のはざまで』(立風書房1986)でという評論集によってであった。20年くらい昔のことである。日本人である私(たち)が、何ら疑念を抱かなかった、社会、教育、歴史、民族の問題を、鋭利なそして温かい視線で読み解く、その語り口に瞠目した。以後、金先生の著作は新旧あわせて、継続的/断続的に読み進めていった。講演も2度聴いた。「大切なことは詩を書くことではない、詩を生きることだ」講演の中で語られたこのことばに、どれだけ勇気と励ましをいただいたか。
しかし、金先生の文学の真骨頂は、なんといっても、詩にほかならない。
1929年に元山(ウォンサン、現北朝鮮)で生まれた金時鐘先生は、植民地支配下において、当然のように日本の教育を受け、日本の詩歌に深く親しんだという。四季の移り変わりと、五音七音の繰り返しがもたらす、纏綿たる情緒にどっぷりとひたった。言うまでもなく、日本はその間、戦争への道をひた走りに走った。日本での抒情詩の興隆がこの時期と一致する。日本の近代抒情詩は、情感はゆたかだが、「批評」の機能はなかった。
金先生は、日本に住む朝鮮人として、日本語を用いつつも、日本的な抒情と訣別した、新しい抒情を生み出すという命題を自らに課した。(このあたりの事情や文学理論は、ライヴでも語られたが、評論集『クレメンタインの歌』(文和書房1980)に詳しい)
この日の朗読ライヴでは、最新詩集『失くした季節』(藤原書店2010)から撰ばれた詩十数編が詩人本人によって朗読された。のみならず、フリージャズのピアニスト原田依幸の演奏、テント芝居の役者水野慶子による金時鐘詩数編の朗読、役者翻訳家で広島大学の教員である崔真碩(チェ・ジンソク)による司会と、金先生とのトーク等で構成され、盛りだくさんであった。
アビエルトの外壁には、金先生の肖像を描いた大きな看板が掲げられ、会場には漆黒の背景に「金時鐘 詩の朗読 四月よ、遠い日よ。」のタイトル文字と満開の桜が描かれている。アビエルトのスタッフのこの公演への思い入れの深さが胸をうつ。だが、日本の抒情を拒否するという金時鐘の詩に、桜とはどういうことだろう? と、よく見ると、その花弁は人間の掌そのものであり、それは大きいのも小さいのもある。節くれだった幹は血塗えはられたように赤い。これは、『失くした季節』の「春」の詩か、それとも、最初に読まれた、東日本大震災と福島原発事故災禍を憂えた『夜の深さを 共に』のイメージによる寓意なのか。
ライヴは、気合の入った崔の語り、ハードな原田のピアノ演奏、そしてこれまた力のこもった、水野による金時鐘詩の演劇的朗誦により、金先生の登場を盛り上げる。
金先生の声は、やや甲高く、そしてややしわがれている。その語りは、むしろ淡々としていると言ったほうがよいかもしれない。82歳だというが、長身で背筋も伸び、かくしゃくたる印象だ。かといって、居丈高なところはどこにもない。優しく、しかし不思議にハリのあるリズムで私たちに語りかける。
金先生は、最新詩集『失くした季節』の前に、先述した『夜の深さを 共に』を朗読した。今年(2011)6月30日に『東京新聞』に発表された詩だという。大震災と原発事故による災害を、人為災害と読み、それを生みだした日本の現代社会に批判の声を挙げる、そんな詩だ。四つの連の冒頭には「私は見ました」ということばが繰り返され、語彙や語り口も黙示的ななかみの詩だ。嫋嫋たる抒情の詩を排し、批評としての機能を示した、そして何よりもわかりやすく、そくそくとその思想が伝わってくる詩だと思った。
『失くした季節』は、表紙に「金時鐘四時詩集」とある。「四時」とは「四季」のことであるが、季節を章立てにしているとはいえ、金先生の詩にべっとりとそこに寄り添おうという感性はない。金先生の四季は、「夏」に始まり「春」に終わる。夏8月は、1945年8月15日のぎらつく白日夢の「解放」の月であり、春4月は、1948年4月3日に始まる済州島「4・3事件」の血塗られた記憶である。
たとえば、詩集の題名にもなっている『失くした季節』の冒頭をひろってみよう。「夏」の章の最後におかれた一編である。
われらの季節はとっくに失くして久しいのだ。
あるのは町工場でうだっているカネモトヨシヲの
こけた項(うなじ)をかすめてはまた吹き戻ってゆく
業務用扇風機の懸命のうなりであり、
あるいはハローワークの待合でくたびれている非正規雇用の
額でぬめっているエクエクリン腺のてかりだけである。
ここから読み取れる季節は疑いもなく夏だ。だが、それは、灼熱の太陽の夏ではなく、吹きつける大地の熱風でも、あるいは、木陰の安らぎでもない。どこにでもある、町工場や職安での、くたびれたそしてつい読者が自分自身の姿を重ねてみたくもなるような、夏の景である。自然としての季節を意識させることもない、虚無の夏だ。
もっともすべての詩にこんな具合ではない。金先生の詩に、自然への讃美のようなものがまるでないわけではない。たくさんの植物や鳥の名があらわれる。それらの詩の、花の名前も知らねば、そしてそれらを賞美したこともない私は、初めから「日本的なもの」を知らない日本人みたいで、恥ずかしい気持ちだった。
後半の崔真碩とのトークでは、短歌的抒情との葛藤がテーマとなり、2冊の訳詩集『再訳朝鮮詩集』(岩波書店2007)と『尹 東柱(ユン・ドンジュ)詩集 空と風と星と詩』(もず工房2004)が話題に採り上げられた。先行する訳者によって、日本的短歌的抒情に引き寄せられて訳されたことへの批判として、改めて訳したことが語られる。
金先生は、短歌的抒情の本質を、五音七音の韻律と自然讃美を中心に語っておられたが、まあ前者はわかるとして、金先生の詩にも後者の要素は少なからず存在するのを、どう考えればよいのだろうか。また、日本人として、金先生の短歌的抒情批判をどのように引き受けるのか。そのあたりは、金先生の詩集、また日本の近代文学を読むうえでの、私の今後の宿題ということになりそうだ。
福島原発事故批判の詩に始まった、この日のライヴは、短歌的抒情や自然讃美への、ひいては、権力や政治、現代文明への批判へと繋がり、金先生の詩世界をスケールの大きさを、私たちの前に示してくれた。
金先生自身の、詩の朗読と、詩の理論の解説によって、加えて、金先生をサポートする面々、とりわけ崔真碩の真摯な読みとアプローチは、金先生の詩世界の魅力を伝えるのに的確な道標となった。
金時鐘先生、出演者のみなさん、スタッフのみなさん、ありがとうございました。最高でした!
(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)