笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2011-10-30

板橋文夫トリオ

板橋文夫トリオ

1028()夜、ピアノの板橋文夫のライヴを聴きに行った。場所は、ミュージックファクトリー。板橋文夫のライヴは、何度も聴いた。もっとも、筆者が招いたことは一度もない。というのも、「展ギャラリー」というお店が、毎年のように板橋を招きライヴを催していたからで、筆者は客として欠かさず聴きに行っていた。板橋の演奏が、ライヴの度に大きく変化するわけではないが、それでも、いつも「何か」を期待させ、そしてそれに応えてくれるという、充足感があった。主催しておられた「展」さんも、同じではなかったか。

今回は、若いメンバーを引き連れてのライヴだ。いつもより、何かしらワクワクする。
その若いメンバーとは、ベースの瀬尾高志(b.1979)、ドラムの竹村一哲(b.1989!)の二人。
のっけからベースの瀬尾がいい。まるで、サルサかレゲエのベーシストみたいな、良質なアクの強さだ。技術はいいが個性を感じない若者が多い中で、瀬尾は明らかに違う。体臭というか、生きザマというか、汗臭さ、というか、そんなものを感じさせ、すぐに筆者は惹きつけられた。かといって、泥臭さ一本やりではなく、表現語彙は極めて多彩である。竹村のドラムは、瀬尾ほどの濃厚な個性を発揮するまで、成熟していないが(まあ22歳だもん)、柔軟で対応力があり、すでに相当の場数を踏んでいると想像される。

板橋のピアノの素晴らしさは、いつも腹の底から湧き上がってくるものに忠実であるということだ。はちゃめちゃで乱暴な打鍵も、ロマンティックで内省的なメロディも、この人の場合、腹の底からそう感じているから発せられるに違いない。板橋に熱心なファンが少なくないのも、そこに深い信頼を置くからだ。板橋のピアノは常に熱い、常に過剰である。そして、その腹の底から突き上げる情動に忠実であるがゆえに、もの凄くグルーヴするのだ。自らが発した音に自らがグルーヴし、他のメンバーがまたそれに共振する。瀬尾が発するパルスに、すぐさま、板橋が竹村が反応する。その展開のすさまじさは、めまいがするほどだ。

これがジャズだ!などと大言壮語するつもりはないが、私たちの国の音楽は、ここまで来ているのだ。かりにキース・ジャレットやチック・コリアが同じ編成で演奏したとしても、板橋文夫トリオの方が100倍いいに決まっている。

休憩時間に、ベースの瀬尾と少し話した。とっぽくてむこうっ気の強い語り口がますます気に入った。後半は、ドラムの竹村がぐんぐんと調子を上げて、よりハードなグルーヴを聴かせてくれた。素晴らしいライヴだった。

それにしても、この客の少なさはどうだろう。今にはじまったことじゃないし、この街だけのことではないだろうが、どうしていい音楽に客は集まらず、カスなものにわんさと集まるのだろう、そのメカニズムがわからないわけではないが、いつもながら悔しく情けない思いが残った。





(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)