笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります
2016-10-29
ライラのバラード - 響(PANTA & Takumi Kikuchi)
「ライラのバラード」
この曲の主人公ライラ・ハリド(Leila Khaled)は、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の一員として1969年に初のハイジャックを成功させ世界的に有名になった女性。その凛とした美しさ故、「ハイジャック・クイーン」などとも呼ばれた。現在は、暴力的手段によるパレスチナ解放を否定し、パレスチナ民族評議会のメンバーとして活躍している。
作詞の重信房子は、70年代の日本赤軍最高責任者として知られる女性活動家。曲中、ライラの言葉では「マリアン」という愛称で登場する。現在、八王子医療刑務所に服役中。
そして作曲のPANTAは、学生運動の時代を象徴するロックバンド「頭脳警察」のボーカルである。獄中の重信房子とPANTAが書簡を交わし、この「ライラのバラード」が2007年に生まれた。
ここまで読んで音楽に強い政治色を感じ、曲を聴く前から拒絶してしまう方々も多いかもしれない。
しかし一度、そうした先入観を捨ててほしい。
ここにあるのは、パレスチナに住んでいた「ライラというある女性の半生」と叙情的なメロディーの楽曲。曲を聴けば、政治的な強いメッセージでも過激なパンクロックでもないことが分かるはずだ。
曲にあわせて使ったスライドショーの写真は、主に私が2002年に「パレスチナ代表サッカーチーム」の取材に訪れた、パレスチナ自治区ラマラ、ベツレヘム、ガザで撮影したもの。一部のモノクロ写真は、パレスチナやアフリカの最も危険な前線で撮影を続ける写真家・亀山亮氏からお借りした。2002年に起きたジェニンの虐殺現場である。
また、曲の途中に、2012年6月に京大西部講堂で開催された「5.30リッダ闘争40周年メモリアル」の写真を入れた。
(テルアビブ空港乱射事件を日本赤軍及びPFLP関係者はリッダ闘争と呼んでいる)
この日、PANTAは来日したライラ・ハリドに初めて会い、「ライラのバラード」を目の前で披露した。
少し、余談になるが10年以上、PANTAを追いかけ撮影を続ける私自身、大きく誤解をしていることがあった。
それは、PANTAと日本赤軍についての関係だ。
70年代を代表する頭脳警察PANTAの曲に「世界革命戦争宣言」「銃をとれ」「赤軍兵士の詩」がある。
日本赤軍のことを歌った革命三部作と呼ばれる楽曲群。当然私は、当時からPANTAと日本赤軍には強い繋がりがあったと信じていた。
しかし、京都で元日本赤軍の人物に話を伺ったところ、当時は「若い奴が勝手にオレたちの事を歌っている」程度の認識だったとか。
実際に、PANTAが元日本赤軍関係者に会ったのは90年代に入ってから。そして目の前で曲を披露したのは21世紀になってからだという。
PANTAは詩人であり、音楽を愛するロック屋。活動家ではない。
デビュー当時もそして40年後の今も、自分が感じたものを曲にしただけなのだろう。
発売禁止になったデビューアルバム同様、まったくブレない視点で、今も音楽を作り続けているのだ。
元々このスライドショーは、年に数回、授業を担当している大学で、学生たちにパレスチナ問題に触れてもらうために作成した。
youtubeで公開しようと思ったきっかけは、多くの学生たちが「スライドショーの曲をもう一度聴きたい」とアンケート用紙に書いてくれたことだった。
「家も街も祖国も なにもかも奪われた」
「祖国を奪われた民には 抵抗する権利がある」
「わたしの物語 だけどそれはみんなの物語」
この曲の詩は、パレスチナ問題や政治的なイデオロギーを超えていると私は思う。
曲中の言葉通り、世界中で起きている「みんなの物語」だと感じるからだ。
今回、スライドを公開する事で、この「曲」が少しでも多くの人々の心に辿り着き、「世界の片隅で発せられる届かぬ声」が伝わる事を切に願う。
2012年11月
シギー吉田