もう先々週のことになりましたが、岡山県立美術館で開かれている「レオナール・フジタとパリ1913-1931」に立ち寄りました。藤田嗣治 渡仏100周年記念、とサブタイトルがついてました。
小学校低学年の頃、同じ岡山市の葦川会館で開かれた「近代美術の百年展」で初めて触れた藤田の絵ですが、そこには夥しい数の猫が一枚の絵の中で、お互いを睨み、鋭い歯を見せながら争っていました。
まだ幼かった僕は、「猫は可愛いものだ」というイメージしか持っていなかったので、そんな絵を見てもなおそのまま、「可愛いね」と母に話したのでした。
「可愛いじゃろうか? すごい顔でケンカをしてないかな。よう見てみ。」
そういわれて、初めて違う目で見てみると、どうやら思い込みとは違う世界がそこにあるようでした。目の鋭さ、ヒゲの一本まで描き尽くされた猫。それはただ可愛いという言葉でくくれない、猫の本性。でもそれは猫への憎しみの視線? ...うん、わからないや。
以来、僕にとっての藤田の絵とは、あの日見た「猫」でした。
今回の展示でこどもを描いた絵を見ていた時に、その描写に手を打ちました。それは長年の「猫」への疑問に答えてくれたように感じました。種明かしを是非会場でご覧になっていただきたいです。
そして、「猫」はやっぱり僕を待っていました。「裸婦と猫」の裏側から、再び僕を睨みつけ...。
40年以上前に見た、あの目のままでした。少年だった僕の方は、こんなくたびれたオジサンになっているのに。全く古びることなく、心の深みに潜んでいた猫が、目の前に再び現れました。
もっとも、そんな中年ともなれば、裸婦の美しさもまた、少しは分かるのかもしれないけれどね。
帰り道に撮りました 較べちゃイカンですよ |