笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2014-03-17

クリスチャン・ツィメルマン・ピアノ・リサイタル / ジャズ大衆舎 on web #24

クリスチャン・ツィメルマン・ピアノ・リサイタル 2013.12.27 三原芸術文化センターポポロ

11月尾道で催された上野真のリサイタルで聴いた、シュタイン作フォルテ・ピアノで演奏されたベートーヴェンのソナタ30番の印象が忘れ難くて、その後、自分がもっている30番のレコードをあれこれ聴いていた。どれも悪くはないが、かといって、あの時の印象を補ってくれるようなものに出遭うことができなかった。

木の箱の中で、ころころ、あるいは、かたかた、と鳴るフォルテ・ピアノの音は、いかにも古雅で、19世紀前半のウィーンという、過ぎ去った時代とどこか鄙びた風情を聴く者に空想させるに十分であり、それが仮に見当違いのものであったとしても、幸福でいられるような、素敵な幻想を誘うものであった。現代のマッチョな全天候型のピアノを標準とするなら、このフォルテ・ピアノは使い勝手の悪い、玩具に等しいものとけなすことは難しくないだろう。まあ、それもありだろう。でも、私にとっては、自分が生きている時間と場所という限定を越えて何か違うものを垣間見せてくれるようで、わくわくするような、不思議な体験であった。

加えて、大井浩明のリサイタルを企画したこともあって、この冬はいくつかのピアノの演奏会を聴きに行った。


最初にクリスチャン・ツィメルマン

 ベートーヴェンの最後の三つのソナタ、すなわち30~32番を演奏するというこのリサイタルには、もちろん興味をそそられた。はじめこのリサイタルは、12月6日(金)が予定されていた。この日私は都合が悪く、諦めていたが、演奏者が腰痛を理由に、27日(金)に延期された。それを知ったのは、演奏会のわずか2日前であった。この日は都合がよかったので、迷うことなく聴きにいくことにした。

 三原ポポロには初めて入った。自分の席は、中央やや奥の下手寄りで、決して悪い席ではなかったが、ふだん、小さな空間で演奏会を催したり、聴きに行ったりしているので、ステージ上にある、スタインウェイ・ピアノがひどく小さく見える。驚くことに、しかし、ひょっとしたら当然なのかもしれないが、この広いホールの客席がほぼ完全に埋まった。

演奏会に先立って、ツィメルマンからの「メッセージ」が、日本語に訳され、女性の声で読み上げられた。私は、東日本大震災についての弔意・激励か、あるいは、自分が腰痛で演奏会を延期したことへの詫びか、と想像したが、全然違った。簡単にいうと、自分の演奏を録音・録画するな、ということであった。もちろん、そんなことを演奏者が演奏前に言わなければならない背景には、そのような「被害」に遭っているからなのだろうが、聴きに来ている者としては、いささか興醒めであった。

 さて、演奏会は30番から始まった。始まって私は一瞬戸惑った。それは、ピアノの音の小ささである。音の量感、表現の細部が、届いて来ないのだ。広い空間の中に音が、あるいは音楽が拡散していくようでちっとも楽しめない。そうした戸惑いのうちにあっという間に終わってしまった。31番もそうだった。休憩になった。聴きに来ていた人々はみな讃辞を惜しまない。不思議だ。みんな何かの暗示にかかっているかのようだった。

 それでも、私は最後の32番に期待した。老いることのないベートーヴェンの、のたうちまわる感性と肉体の表現がこの曲にはあるからだ。

 しかし、演奏は期待とは大きく違った。それは、楽器や会場という物理的な問題だけではないことがだんだんとわかってきた。あえて、即興性という言葉を使おうとは思わないのだが、生まれ出たばかりの音楽のなまなましさ、そんなものはツィメルマンの演奏にはどこにも感じられなかった。すべて計算されたかのように、冷然としていた。バロック期の組曲の、「プレリュード」とか「アルマンド」を連想させる、第一楽章の冒頭部においても、洒落っ気も何らかの感興ももよおしては来ない。テクニックが優れているからか、どこにも破綻は見当たらなかったかわりに、面白みも感じられない。第二楽章でダンスするかのようにうねる部分もほとんどビート感がないし、まるでグルーヴしないのだ。

 こうして、ツィメルマンは、「見事に」ベートーヴェンの最後の三つのソナタを弾ききった。おそらく予定していたことを、きちんと予定通りにこなしたことだろう。会場の多くの人々は、有難いものを聴いた、とばかりに拍手を惜しまない。私は、ライヴを聴きに行ったというより、完璧な技術で作られた退屈な彫刻を美術館へ観にいったような気持ちになった。

 ツィメルマンは、先の「メッセージ」の中で、聴者を「友」と言い、何かを「共有する」ことの喜びを語っていた。しかし、そうした親密さは演奏からは伝わって来なかったし、別の場所でも、寸分違わない演奏をするのだろうことが、想像された。

(全文・主宰 写真,改行・石原健)