「聴く」文学2
文学はいうまでもなく読むものであり、他人が朗読したものを傾聴する、というのは長いことピンとこなかった。ところが、ふくやま文学館でときどき催される、藤井康治さんの朗読会に足を運ぶようになって、その面白さを知るようになった。朗読そのものの味わいのみならず、何を読むか、それをどう解釈するか、また、それを作家の生涯、時代、社会にどう位置づけていくか、といった多面的な視点から、自由にそして豊かに文学を鑑賞する、刺激にみちた会なのだ。木山捷平、井伏鱒二、宮沢賢治、高村光太郎等々、藤井さんが採り上げる作家たちは、私が必ずしも積極的関心をもっているものばかりではないが、かえってそれゆえに、新しい発見の喜びにいつも出会う。会が終わって、友人たちと近くのジャズ喫茶dootoに行って、文学や音楽の話で盛り上がるのもたのしい。
さて、そんな藤井康治さんとのかかわりで、紹介したい催しがある。
チラシにある、「朗読劇 少年口伝隊一九四五」というのがそれだ。井上ひさし作の朗読劇を、藤井康治さんの愛娘康代さんが演出するものだ。しかも、若者組、熟年組という二つのキャストで二回の公演をおこなう。康代さんは、東京の前進座という劇団で演出を担当していた。康治さんは、熟年組のみならず、若者組でも出演する。また、わがジャズ大衆舎のメンバーも参加している。
広島原爆をテーマにした井上ひさし作の戯曲は、他に「父と暮らせば」がある。昨年三月、尾道のジャズ喫茶「Aトレーン」で麦人(むぎひと)の朗読で観た。武久源造が即興ピアノで加わっていた。あのときは、藤井康治さんと一緒に観た。味わいのある語り口が印象深かった。帰りの車の中で、いつもにもまして康治さんの言葉は熱を帯びていたのを思い出す。
今回の公演が、康代さんの発案なのか、康治さんのサジェストなのか、それはわからない。いずれにしても、原爆の日を前にして、私たちの街で、この朗読劇が上演されることの意義は大きい。
(全文・主催者)