武久源造の音楽には、徹底した細部へのこだわりと、がっしりと充実した構築感がある。しかしまた、時にそれらを破壊するかのような自由な発想の跳躍がある。その三つのベクトルが、武久源造の音楽をこの上なく魅力的なものとしていると感じる。
そんな希有な音楽の創造者である武久源造が「盲人」であるということに、驚嘆と同時に不思議な納得を覚えるのはなぜだろうか。
武久源造は、その著書『新しい人は新しい音楽をする』(アルク出版2002)の冒頭で、自分が盲人であることを正面から語っている。
音楽家はあくまでも音楽で自己を表現するべきであり、その障害を特化したり場合によってはそれをセールスポイントとすべきではない。武久源造は、そんなへんな色気をもってファンを取り込もうというヘボな音楽家などではむろんない。
武久源造の盲人としての自己表出は、自らの芸術的な立ち位置を確かめるためのものだ。
目が見えないゆえの弱点よりも、目が見えないゆえの、感覚・感性の洗練、知識の蓄積、深く鋭い思惟と洞察、そして、世界や宇宙と自己を繋ぐ信仰…を、熱く語るのだ。
そう、武久源造は、自分の位置から世界をどう認識するか、というところから音楽を発想する。そうしなければ音楽は無効だ、いまを生きる人々に何か新しい価値を提示することは不可能だと考えるからだ。
その原点は自己が盲人であるということに他ならない。ただ、盲人の音楽家がすべてそのような発想から音楽に取り組むのではない。
私は、何人かの盲人音楽家のエッセイを読んだ。多くは、自己の触れ得た部分、確かめ得た部分を温め、それを世人が価値を認めたというもののように思える。その点で、世界や宇宙を視野におさめた上で発想される、武久源造の音楽のスケールの巨大さはあまりにも特異だ。
しかし同時にこれは盲人にしか発想しえないものだとも感じられる。
あくまでも、自分が触れ得たもの、そしてそこから考えたものが基本であり、彼の発想の原点はそれ以上でも以下でもない。それは、大きな限定かもしれないが、反対に武久源造ほど確かな地場を持っている音楽家はいないだろう。
武久源造の語りには、クラシック音楽の故郷であるヨーロッパに対する無批判な羨望はない。盲人であること、それから東京の荻窪に居を構えている自己の日常を大切にする。私は、武久源造のこの立ち位置の認識が好きだ。
ヨーロッパも日本も、バロック時代も現代も、等距離に視野におさめることができるのは、武久源造が無類の勉強家であっただけでなく、彼が盲人であったところによるに相違ない。彼の音楽に説得力があるのは、そのへんに秘密があるのではないか。
武久源造の孤独だが充実した精神の営みは、なぞらえるなら、敗戦直後にちっぽけな日本の片隅で、皇国青年であった自己を世界認識の欠如という視点から批判した、吉本隆明の営みに近いように思う。
ところが一方で、武久源造の音楽には、知的に構築された建造物を一気に破壊してしまうかのような、発想の自由で大胆な跳躍がある。楽器の選択や奏法、装飾法、即興などにおいてそれがみられる。
現代の古楽演奏家は、作曲家が生きた時代の楽器を用い、その時代の演奏法や様式美の再現-それは前例がないのだから「再現」といいつつも純粋に創造的行為と言っていいだろう-に切磋琢磨している。
武久源造は、その営みを基調としながらも、そこに留まることを諒としない。それは、武久源造がいまを生きているということに意識的であるからだ。
表現しようとすること、それはある種衝動的な欲求ではないか。そのインパクトが、300年も昔のバロック音楽を演奏しながらも、いまを生きる私たちにこの上ない自由を感じさせてくれる源泉になっているように思うのだ。
いまここに私たちは生きている、それをこれほど生々しく感じさせる音楽が、他にあっただろうか。
(全文・主宰提供 / 改行編集・optsuzaki)