笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2010-05-03

鈴木秀美と仲間たちコンサート /ジャズ大衆舎 レポート


2/14 鈴木秀美と仲間たちコンサート(於・福山リーデンローズ)で、
終日、写真を撮らせていただきました。

福山市を中心にコンサート,ライブを企画実行する、ジャズ大衆舎。
主宰は、15年来のお付き合いをいただいている盟友です。

出会いは、同じホールで催された「高橋悠治・ピアノ」
シンプルに題された、氏の手になるコンサート。

折しも、阪神淡路大震災直後のことでした。

その日からすり抜けた光と陰を 時に振り返ります。 


さて、私は氏のパンフ,ミニコミの文章が好きで、これが散逸
するのが惜しい、とかねてから思っていました。

ご本人は、生の音楽と同じで残らなくて良い ということ
なのか、てんで頓着ない様子なのですが、勝手ファンの私が
ボチボチとお目にかけていこうと思います。

手始めに、先日送られてきたパンフレットより前半を抜粋させて
いただきました。Vol.6の告知を切り離しましたので、そちらは
先般の記事をご覧ください。

氏にしては、いつになく熱すぎる文面かなとも感じますが、
問答無用で(笑)、アップします。




フリージャズへの先駆的な仕事をなしながら若くして逝った、
アルトサックス奏者、エリック・ドルフィー(1928-64)は、
晩年のライヴ盤『ラスト・デイト』の中で次のように語っています、

…音楽が終わると、空気の中に消え去り、
二度とそれをとらえることはできない…

音楽を愛するみなさまも、素晴らしい音楽に触れ得たときに、
ドルフィーが語るように、音楽の一回性のかけがえのなさ
消えてゆくことの切なさを、 甘美な陶酔の中に感じとるような
経験を幾度ももたれたことでしょう。

むしろ、その崇高な場に立ち会う経験を積み重ねることによって、
人は音楽をより深く愛するようになり、決して引き返すことの
できない美の迷宮に、奥深く引き込まれていくことになるのでしょう。


去る2月14日に私たちが催した、鈴木秀美と仲間たちによる、
ベートーヴェン「七重奏曲」、シューベルト「八重奏曲」の
コンサートは、掛け値なしに、そのようなコンサートであったと、
いま私たちは誇りに思います。

ベートーヴェンに始まった心地よい緊張感は、シューベルトでは
さらに熱気を加え、一時間を越える大曲でありながら、終楽章の
カタストローフにいたって、このまま突っ走れと叱咤しながらも、
どうかこの歓びが終わらないでほしいという、矛盾する二つの
感情が、DNAの二重螺旋のように、心の中で渦巻いていたのは、
一人私ばかりではないでしょう。


個人的な感懐をくだくだしく述べるのもいささか気がひける
ところですが、少しおつきあいください。

長く愛してきたこの二つの曲を、私は以後封印してもう二度と
聴くまいと決心するほどでした。この夜のコンサートで、私は、
自分の能力として、聴くことができるもの、受けとめることが
できるものを、すべて引き受けたような恍惚を感じたのです。

これは、オリジナル楽器であるからとか、モダン楽器であるから
とか、という問題ではありません。ただひたすら、音楽を聴く歓び、
感動に満ち溢れていたのです。


それでもオリジナル楽器ゆえの感興もひとしおのものが
ありました。

まず何よりもクラリネット。現代楽器にくらべて、確かに音は
小さいし 妖艶さ 饒舌さもありませんが、その素直な響きは、
現代楽器が完全に失った純粋形の美の原質がはっきりと示されて
いるように感じられました。

リードを付けた縦笛・フルートといった方がぴったりするくらい
でした。弦楽器群との溶け合い方も抜群でした。

「ああ、こういうことだったのか!」と膝をたたきたくなる瞬間が
何度もありました。ベートーヴェンもシューベルトも、これをこそ
クラリネットとして作曲したのです。

ホルンは、交響曲のようなゆたかな膨らみをアンサンブルに
付与する一方で、突如として、調和を破るかのごとく飛翔し、
変幻自在に明滅するしなやかな獣のようでした。

そして、何と言っても主役格は、若松夏美の ヴァイオリンでした。

両曲ともアンサンブルをぐいぐいとリードしつつ、聴かせどころを
いとも巧みに料理してしまう力量に改めて感服しました。
ガット弦の、 ややノイズを含んだ古雅な響きを堪能された方も
いらっしゃるでしょう。

そして、リーダーの鈴木秀美は、アンサンブルを底辺から支え、
全体を重厚な響きに仕立て上げました。

歴史的CDで聴く、ウィーンフィルやベルリンフィルの名手たちが
集まった演奏ももちろん素晴らしいのですが、ややもすると
名技主義的傾向に傾き浅薄な印象を受けたものですが、鈴木秀美と
仲間たちの演奏は、機知にとみながらも、交響曲に匹敵する色彩と
構築感を示し、作品の印象を更新するにたるものであったと
言うことが出来るでしょう。


聴きに来て下さったみなさま、
ほんとうにありがとうございました。

ゆたかな音楽をわかちあうのは何と素晴らしいことでしょう。

(原文以下・Vol.6のご紹介へ続きます。文・主宰提供)