2017-08-19

せんべいごはん


お盆明け、おかげさまでお店も暑い中、皆さん次々とやってこられます。

そんな中、腹ペコで帰ると、ああ、ご飯がない!

おかずは何とかなりましたが、こんな時にぴったりが、大きいせんべいです。遠慮なくバリバリと、最後の一枚を平らげました^^


2017-08-18

陽炎と蜉蝣


思い出す遠い夏 暑さを逃れた君は まだそこにいた


2017-08-17

あたりまえの会話


八月の最大のイベントも終わり、ゴロゴロと充電の一日でした。

娘と二人、夕食に出て、語り、くつろぎました。

ただそれだけの日、です。


2017-08-16

高橋悠治 50人のためのコンサートin 広島 のご紹介



秋にはステージも、CD新譜も、目白押しの高橋悠治さん、それらと一筋違う伏流から水脈を引くのは、広島を拠点とする 盟友“耳の空”氏。ウェーベルン、J.S.バッハ、そして自作... 長い間温めていた氏のリクエストを 静かに受諾した悠治さんは、どんな可能性を我々の前に示してくれるのでしょう。

     現在、残席僅少の模様です。お問い合わせは、お急ぎください。

2017-08-14

イベントの夕闇に






夏の夕闇に浮かぶ、実に華やかなイベントである。こんな日、ゆっくりと隣町に出たことは、今までなかったのだけれど、とあるミーティングで街を訪れることになった。

予想通り、同業のお店は灯りが落ちていた。店を閉めて町内の屋台等のお手伝いに出ていたのかもしれない。が、そもそも地域振興が目的の一つのこうしたイベントにあって“置いてきぼり感”に見舞われていたことは、想像に難くない。圧倒的な人通りに既存店はただ飲み込まれ、屋台の壁紙になるだけである。いつもはない姿をそこに演出するということは、いつもの姿をより一層薄め、忘れさせる。

届け物で立ち寄った馴染みの店は、どこも閑古鳥だ。こちらもお休みしているところも多く、明らかに目の前の人の流れとは無関係だった。こういう時、「人通りがあれば、それを生かして何か売ってみたら」と必ず“建設的な”意見を賜るものなのだが、言われなくても、そんなお店はその日常364/365の中で、もっと大事な人と人の間を一つずつ繋ぎ、積み上げている。

この日、無造作に投げ捨てられたゴミを、行政やボランティアたちが拾うかもしれない。だが、通りすがりの道にゴミを投げるその手を止めて考えて欲しい、その町がくる年もくる年も、祭りを受け入れるに相応しい美観を保っているのは、住み、暮す人々の静かな努力のたまものなのだ。区画整理後の中心市街地は恵まれているから、なのではない。


2017-08-13

高橋悠治「エリック・サティ:新・ピアノ作品集」



高橋悠治|エリック・サティ 新・ピアノ作品集
2017年9月20日発売 UHQ-CD 
COCQ-85373 ¥3,000+税

【収録曲】 ・ジムノペディⅠ-Ⅱ-Ⅲ     Gymnopédies Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
・3つの歌曲より「天使たち」    3 Mélodies ~Ⅰ.Les Anges
・グノシエンヌⅠ-Ⅱ-Ⅲ-Ⅳ-Ⅴ-Ⅵ-Ⅶ Gnossiennes Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ-Ⅳ-Ⅴ-Ⅵ-Ⅶ
・3つの歌曲より「悲歌」     3 Mélodies ~Ⅱ. Élégie
・サラバンドⅠ-Ⅱ-Ⅲ     Sarabandes Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
・3つの歌曲より「シルヴィア」   3 Mélodies ~Ⅲ. Sylvie
・ノクチュルヌⅠ-Ⅱ-Ⅲ-Ⅳ-Ⅴ-Ⅵ   Nocturnes Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ-Ⅳ-Ⅴ-Ⅵ
Bonus track
・ジュ・トゥ・ヴ     Je te Veux

収録: 2017年6月20~21日 五反田文化センター 音楽ホール

2017-08-12

たとえ何がそこにあっても


上っていくと 必ず入口が待っているのは シアワセ


2017-08-11

お盆の間もメガネのツザキは営業しています 2017

こちらは(いつも)お休みの模様ですが...


お盆の間もツザキは営業しています


 私ども・メガネのツザキお盆期間も「通常営業」いたします。
  次回の店休日は通常通り17日(木)です。 土日についてももちろん開いております


 どうぞ、ご来店をお待ちしています。


2017-08-10

ディエゴ・ヤスカレービッチ 福山2DAYS 福寿会館

福寿会館は洋館と→

和室が廊下でつながっている





Diego Jascalevich、チャランゴのソロと箏奏者を擁するユニークな編成のバンドとの、切れ目なく変幻する自在なパフォーマンスでした。

ストイックなソロ演奏においても、楽器の持つ“軽み”を忘れることなく、心のひだにひらりと問いかけてくるアプローチは、一層素晴らしいです。見知らぬ遠い世界の哀しみ、苦しみが、時空の隙間を震わせながら、すべての人が心の奥深く眠らせている叫びを呼び覚ましにくるかのようです。

アンサンブルでは、四人が圧倒的に巧いということが、何の基準にすらならないほどに、一つひとつの音が凛とした存在感を放ちます。それは競い合うディベートではなく、慣れ合ったおしゃべりでもなく、初めて聞く言葉同士で交わされる、怖れを伴った囁きのようでもありました。

パーカッションを手渡し、インプロを促すディエゴの、次の世代に何かをつなげようとする素敵でお茶目なオジサンの情熱は、子どもたち(や、大人にも全く同じように、何かヤレ、と振るのだけれど;)にも、今はわからないかもしれない何かを 伝えたに違いないと思うのです。