笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2012-10-27

インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part8

インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part8
武久源造 
 
 
前回まで、主にマッテゾンの調性格論に照らしつつ、バッハのインヴェンツィオンと
シンフォニアの各曲の性格の素描を試みました。マッテゾンの言うところは、確かに
面白い。参考になるところは多いのですが、しかし、彼自身、後の著作では、前作と
矛盾するような性格描写を行ったり、訂正を加えたりしていて、結局、実はよく分か
らなくなっているような部分もあるのです。もともと、各調の性格を言葉によって明
確に定義する、というようなことには、かなり無理があると言わざるを得ず、その点
では、マッテゾンに同情しつつも、彼の意見を全面的に信用するわけにもいかない、
というような、やや複雑なものを、私などは感じています。

というわけで、一部保留つきではあるのですが、ともかくも、調性格というものが、
バッハ時代の作曲家の頭に、かなり引っかかっていたことは、間違いのないこととし
て、おさえておきましょう。それによって、我々が失うものより、得るものの方が、
遥かに多いからです。たとえば、ハ長調について、マッテゾンは「おごり高ぶった」
という性格を挙げていましたね。これはつまり、作曲家が、おごり高ぶった何かを表
現したいときは、ハ長調を選ぶといいよ、と言っているわけです。我々が思い出すの
は、例えば、ヨハン・クーナウの『聖書ソナタ』第1番の「ダビデとゴリアテの戦
い」。あそこで、ゴリアテの傲慢さを表すのに、このハ長調の性格がフルに発揮され
ています。あるいは、ヘンデルの『メサイア』におけるハ長調といえば、有名なバス
のアリア「なぜ国々はいきり立ち」が思い浮かびます。実は、『メサイア』には、
『インヴェンツィオン』でバッハが使った15の調が、ことごとく出てきます。そこで
ヘンデルは、やはり、かなりマッテゾンに一致した考えで各調を扱っていることは明
らかです。バッハの他の例を挙げるならば、やはり何と言っても彼の教会カンタータ
の処女作の一つである71番でしょう。「神は我が君主なり」という歌詞を表現するの
に、ここではハ長調の威圧的性格が、ポジティヴな意味で、効果的に用いられていま
す。

既に述べたように、このような調性格は、バロック時代の「按配調律」によって生み
出されたものと考えていいでしょう。しかし、調性格を生み出す要素は他にもあるで
しょう。たとえば、楽器の特性です。フルートという楽器は、バロック時代にはいわ
ゆるD管でした。したがって、フルートにとっては、長調が最も吹きやすい調、と
いうことになります。同じようにオーボエにとってはハ長調、リコーダーにとっては
ヘ長調、という風に、それぞれの楽器が得意とする調があった。また逆に、それぞれ
の楽器が苦手とする調もあったわけで、それらの総合的結果として、調性格が醸し出
されてくる、という部分は無視できません。弦楽器の場合は、やはり、解放弦を多く
含む調は、よく鳴る。したがって、まずはニ長調、ト長調、イ長調などは、大変いい
音で弾くことができる、というわけです。

鍵盤楽器には、物理的な意味では、このような問題はありません。しかし、鍵盤音楽
では、ヴァイオリンやフルートのイディオムを盛んに借用します。そのときには、や
はり、それぞれの楽器の性格が、いわば乗り移ってきます。また、バッハ時代に使わ
れていた指使いでは、どうしても弾きにくい調があります。このことが、バッハ以後
の鍵盤テクニック上の大きな課題となっていくのは、周知の通りです。

最後に、調性格を論ずる上で、どうしても触れておきたいことが、もう一つありま
す。
それは、古い伝統における教会旋法の性格のことです。旋法というのは、音階組織を
意味するだけでなく、旋律の動かし方の特徴をも指示する概念でした。ここでは、ド
リア旋法では倫理的内容を表す、とか、フリギア旋法は悔悛の情を表す、リディア旋
法では戦いを表現することが多い、といったような、用途別の性格もあったのです。
旋法というのは、音組織論的な意味で、調性と完全にイコールではありません。しか
し、ドリア旋法の性格はニ短調、フリギア旋法の性格はホ短調へ、リディア旋法はヘ
長調へ、…と引き継がれたことは確かです。例えば、カトリックの礼拝音楽のクライ
マックスを作る「聖体奉擧」のトッカータは、決まってホ音を中心とするフリギア旋
法、または、ホ短調の調性で弾かれました。したがって、バッハが『マタイ受難曲』
の冒頭合唱を、ホ短調で歌わせるとき、我々はキリストの犠牲を表現するこの古い伝
統を思い起こすことを期待されている、といっていいでしょう。

この古い伝統は、その出発点では、インドのラーガなどと結びついていたかも知れ
ません。インド音楽の旋法であるラーガは、今日でも、それぞれ、それが演奏される
べき内容や時間帯まで厳密に決まっています。それに似たことは、日本の雅楽の調に
おいても見られます。やはり、葬式用の調、祝賀用の調、というような概念があるよ
うです。これを考えるとき、中国の陰陽論などが強く影響したのだろう、ということ
は容易に想像できますが、面白いのは、このような東洋的な思考法がヨーロッパの古
い伝統にも流れていて、それが、バロック時代にもまだ死んではいなかった、という
事実です。バッハが『インヴェンツィオン』という名前をこの曲集に与えた時、この
ような伝統的思考法をも、その視野に収めていたことを、私などはかなりリアルに感
じるのです。
 
(全文・武久源造 写真,改行・optsuzaki)