作品の、時に色鉛筆とは思えなくなるような濃密なタッチもさることながら、宇宙空間から小さく野辺に咲く花までを巡るようなタイトルにも、強いイマジネイションの広がりを感じます。
時にこの構築感は、プログレッシブ・ロックのそれを想起します。しかもなめらかでない変拍子を多用したインストルメンタルに近いもので、ぼく自身には馴染みがある匂いともいえます。
つい先生とお話していると、次々と作品自身の話よりも音楽の話になってしまうぼくなのですが、自然そうした名プレイヤーの名前が次々と連なっていって、こうした音楽から先生がインスパイアされる強さが伺いしれます。
時にこの構築感は、プログレッシブ・ロックのそれを想起します。しかもなめらかでない変拍子を多用したインストルメンタルに近いもので、ぼく自身には馴染みがある匂いともいえます。
つい先生とお話していると、次々と作品自身の話よりも音楽の話になってしまうぼくなのですが、自然そうした名プレイヤーの名前が次々と連なっていって、こうした音楽から先生がインスパイアされる強さが伺いしれます。
ぼくたちのようにロック・ミュージックの黄金期をやや後から辿った世代と違い、その興隆とともに青春のエネルギーを燃やす時代を過ごされた方には、自然に備わった世界観なのかもしれません。作品への豊饒な結実が、少しうらやましいです。
去年と同じ中華料理店で少し違うメニューを頼み、舌鼓。よく似た道すがらであっても違う路地に立ち寄りながら、春の風に吹かれ、ゆったりとした休日を過ごしました。
帰り道、駐車場の車止めを見ていても、違うものに見えてしまう |