笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2013-10-26

八月釜石 / ジャズ大衆舎 on web #21

八月釜石

 八月に、岩手県の被災地釜石を訪ねた。仲間とともに短いボランティアに参加するためであった。何かをやろう、あるいは被災者のために何ができるのか、という気負いがまるでなかったとは言わないが、わずかの期間に見当違いの使命感や正義感を抱くのはむしろ慎むべきだと感じた。あまり自分がどうしたいということは考えずに、与えられた仕事を無心にこなす、それ以上でも以下でもない。仕事そのものは、仲間とともに身体を動かす小気味よさがあった。

しかし、被害が大きかった、釜石市郊外の鵜住居(うのすまい)地区、大槌地区の惨状をつぶさに見て、背筋の凍るような恐怖と衝撃を覚えた。とりわけ、大槌町役場、鵜住居防災センターでは、おしゃべりな私たちでも、声を出すこともできず、その場に佇み手を合わせるばかりであった。

一つだけ心残りは、被災者の話をあまり聞くことが出来なかったことだ。ボランティアに集う人々は、総じて女性が多い。私のようなおっさんは、話を聞くよりも、力仕事や野良仕事が歓迎されるだろうと、むしろ、自分からそちらを志願した。というわけだ。

自分の街に帰って、「未来へ伝える私の3・11①」「同②」(竹書房)という発行されたばかりの本を読んだ。岩手県の地方ラジオ局に寄せられた被災者の手記を集めたものだ。アナウンサーの朗読CDもついている。それまでに、知識人たちが3・11に寄せた文章を編んだ本も読んでいたが、被災者の手記の方が、文章の巧拙を超えて、はるかに強い印象を受ける。読みながら、ふと気づいたことがある。近親者を失った方の文章が、まるでないというわけではないが、少ないということだ。主に、被災から一年余りを経て書かれた手記が多い。一年という時間は、近親者を失った方々に口を開かせるに十分な時間であるとは言えないということだろう。否、あるいは、もっと時間が経過したとしても、失った近親者のことを語るには相当の勇気や決意や、心の中に大きな何かが必要なのだろう。何も語ることなく命を終える被災者も決して少なくはないだろう。

「復興」とは何だろう。道や港湾や建物が元通りになり、人々が帰ってきて、また産業が興る…。それは大事なことだ。しかし、その「復興」の陰で、さまよう死者の魂やそれを思いつづけながらおし黙るしか術のない人たちのことを忘れるわけにはいかないだろう。











(全文・写真 主宰)