『テロ!ペルー派遣農業技術者殺害事件』(寺神戸曠著)を読んで
注文していた本が届いたので、早速読んでみた。
題名とともに、「プロローグ」に描写された日本人農業技術者の「処刑」シーンを読むと、ミステリー小説のような肌触りがある。が、そうではない。
1991年に、著者の後任としてペルーに渡った人を含む、「ペルー野菜生産技術センター計画」の日本人農業技術者3人が、ペルー人カウンターパート(協力相手国側の人材)とともに、「センデロ・ルミノソ」という反政府テロ組織によって惨殺された。その背景を、ペルーの歴史、民族、地理、経済、農業と流通の実情、そして当時の国状等から、精細にあぶり出し、そういった事情をほとんど鑑みることなく彼らを送り出した日本政府の責任を追及した、義憤の書なのだ。
正直なところ、そのような事件があったことを、私は忘れていた。(否、恥ずかしながら知らなかったと言うべきか。)もっとも、フジモリ大統領政権下の1996年におこった「トゥパク・アマル」という反政府組織による在ペルー日本大使公邸占拠事件のことは鮮明に覚えている。「トゥパク・アマル」と「センデロ・ルミノソ」とは直接関係がないようだし、その後、在任期における権力濫用や殺人容疑によってペルー政府から責任を追及された、フジモリ元大統領の功罪について筆者は言及を避けているように思える。しかしながら、2つの事件の背景には、ペルーでのし上げていた経済大国日本を快く思わない、ペルー人の国民感情が背景に濃厚にあることは、間違いないことのように思える。
筆者は、批判と責任の鉾先を、直接テロに及んだ反政府組織やペルー政府に向けるのではなく、あくまでも、技術者を送り出した日本政府に求める。それが筆者の立ち位置なのである。外務官僚や関連機関には耳の痛い批判であるし、国際貢献・国際協力とは何かを考える上で重要な示唆となるだろう。
しかし、1991年におこった事件を22年経った、いま書くのはなぜだろうか。この長きにわたって書けなかった事情が、筆者の前に横たわっていたのだろう。それは想像できなくもない。だが、むしろ勇を鼓して、後輩たちの無念の死に報いようとした、筆者の情念をこそ汲み取るべきだろう。
ところで、筆者の息子、ヴァイオリニスト寺神戸亮氏は、名前さえもまったく登場しなかった。
(全文・主宰 写真,改行・石原健)