テレマン『パリ四重奏曲』を聴きながら
テレマン(1681~1767)は、バッハやヘンデルと並んで、ドイツの後期バロックを代表する音楽家とされている。バッハもヘンデルも多作であったが、テレマンはそれらをさらに凌ぎ、生涯に4000曲をものしている…、という。しかしながら、バッハやヘンデルならこの曲だと頭に浮かび口ずさむことの出来るものが少なからずあろうが、さて、テレマンにあっては、思い浮かぶ曲が…ない!?これはテレマン先生に失礼な話ではないか。せっかく演奏会を催すのだから、これを機会にテレマンをもっともっと聴くことにしたい。
手元に『パリ四重奏曲』のいいCDがある。前田りり子の師である有田正広がフルートを吹き、チェンバロはクリストフ・ルセ、それに、ヴァイオリンの寺神戸亮とヴィオラ・ダ・ガンバの上村かおりは、私たちの催す演奏会で弾いてくれるその人である。(DENON Alaireのシリーズの中の一枚なので手に入りやすい。)ここで聴ける音楽は、典雅で格調高いのはもちろんだが、なによりも活力に溢れ、音楽がひとりでにステップを踏んでいるような愉しさに充ちている。バッハでいうと、『ブランデンブルク協奏曲』あたりを連想させる。随所で各人の名人芸が遺憾なく発揮され、演奏会では、聴く者も演奏する者もこのうえない歓びを共有することになる違いない。
CDを聴いていると、ブラヴェやフォルクレ(子)らフランス宮廷の名楽士たちに招かれたテレマンが、パリやヴェルサイユの宮殿で、彼らとともに大得意でこれら珠玉の名品を披露している姿が想像される。そこには、フランス宮廷的なギャラントや、仲間内にしか通じないような、音楽の隠語も散りばめられているのだろう。
テレマンは、ハンブルクで五つの教会の音楽監督を任されていたという。ならば、受難曲やカンタータなどには、『パリ四重奏曲』の明朗さとは違う音楽を聴くことが出来るのだろうか。興味は広がっていく。
ところで、演奏会を予定している7月14日(日)は、奇しくもフランス革命の勃発した日にあたる、つまり革命記念日である。何という皮肉な偶然なのだろう。この革命を契機として、音楽の担い手は宮廷から市民階級に移っていった。フランスに遺された、テレマンの名品たちも、この革命によって葬り去られたのだろうか。こんにち音楽を愛する私たちも、精神史的にいうと、革命で勢力を得た市民階級の末裔の末裔の、そのまた末裔くらいにあたるのだろうか。そんなことにちらりと思いを馳せながら、名人たちの妙技に酔うのも悪くないだろう。
ロココの愉悦/テレマン「パリ四重奏曲」
(全文・主宰 写真,改行・石原健)