青木洋也との出会い
青木洋也に初めて出会ったのは、2008年9月、尾道カトリック教会における、バッハ『ヨハネ受難曲』だった。もっとも私はリハーサルを聴いただけで、コンサート本番を聴いていない。
今考えればたいへん悔やまれることだが、本番当日私は別の用があって、どうしても、本番を聴けなかったのだ。だから、前日のリハーサルに立ち会わせてもらったのだが、そのリハーサルでの演奏の素晴らしさを思うと、コンサート本番はどれほどだったか、今もって悔やんでも悔やみきれない。
今考えればたいへん悔やまれることだが、本番当日私は別の用があって、どうしても、本番を聴けなかったのだ。だから、前日のリハーサルに立ち会わせてもらったのだが、そのリハーサルでの演奏の素晴らしさを思うと、コンサート本番はどれほどだったか、今もって悔やんでも悔やみきれない。
オーケストラ13名、合唱8名という編成は、『ヨハネ受難曲』を演奏する最小限の人数だが、広くはないが響きの豊かな聖堂が割れんばかりに激震するかと思うばかりであった。
指揮者無しということであったが、実質のリーダーは青木洋也であった。
リハーサルは、楽曲の順番に、つまりイエスの受難の筋に従って進められたわけではない。オーケストラと合唱が絡み合う楽曲、コラール、そしてアリアという順番ですすめられた。
そういうわけであるから、コンサートのように「ヨハネ福音書」に描かれたイエスの受難に、時間の経過とともに、立ち会うというわけではなかった。それにもかかわらず、それぞれの曲が、断片が、血しぶきをあげているかのように、生々しかったのだ。紙に書かれた受難劇が、聖霊のはたらきによって、いっきに受肉したかのように思えたのだ。
そういうわけであるから、コンサートのように「ヨハネ福音書」に描かれたイエスの受難に、時間の経過とともに、立ち会うというわけではなかった。それにもかかわらず、それぞれの曲が、断片が、血しぶきをあげているかのように、生々しかったのだ。紙に書かれた受難劇が、聖霊のはたらきによって、いっきに受肉したかのように思えたのだ。
青木洋也の指示は、的確で手際よかった。現場で鍛えられた人の鋭く深い洞察が随所に感じられて、私は感嘆した。歌手、オーケストラ、全員が渾然一体の炎となるかと思えば、一方では、個性豊かなソロイストとして技倆を競った。とりわけ、青木洋也が歌ったアルトの二つのアリアの美しさに、私は言葉を失った…。
それ以来、私は、バッハ・コレギウム・ジャパンでのバッハのカンタータやモテット、ヘンデルの『メサイア』、鈴木雅明のオルガンリサイタルでのコラール唱、青木自身のグループ等で、青木の演奏を聴いた。
どれも素晴らしいものであったが、それでも、こんなもんじゃないぜ、という確信があった。というわけで、なんとか青木洋也を招くことが出来ないかと考えていた。それが、ようやく実現する。
音楽を聴く楽しみはさまざまだ。それでも、新しい才能に出会うスリリングな喜びは、何ものにもかえがたい。
(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)