笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2013-11-03

福山笛の会 オータムコンサート 2013


フルートが大好きな人の集い 福山笛の会 オータムコンサート

2013年 11月10日 (日)

開場 午後1:00 開演 午後1:30


会場: 広島県民文化センターふくやま

入場料 999円 

☆


チケット販売所 スガナミ楽器(株) 084-923-6150
主催 福山笛の会
後援 スガナミ楽器
協賛 (株)ヤマハミュージックジャパン

お問い合わせ 084-982-8032 (杉原さん)



2013-11-02

楽隊のうさぎ フライヤー


写真家・藤井豊さんが、持ってきてくれました、自分のフライヤーと一緒に。

裏面を見ていて登場する楽曲に、グスタフ・ホルスト「吹奏楽のための組曲 第一番 変ホ長調」があります。「軍楽隊のための組曲」として中学生の頃によく聴いたものでした。NHK-FMでやっていた、グスタフの娘・イモジェンが指揮の希少音源です。今ではそれを中学生たちが取り組んで聴かせてくれるのですね。

このあたりでは、年明けにシネマ・クレールでの公開だそうです。
美しいカットからも流れる音、なかなかよさそうですね。期待してます。

2013-11-01

写真展 『 僕、馬  I am a HORSE 』 藤井豊 @笠岡 #1




初日。豊饒な時間が流れ始めました。

震災の路を歩いても、小さく、静かな陽だまりを見る。

さっそくご来場いただいたり、やっとご来場が実現したり。
ひと月は短いです、お見逃しないように。



2013-10-30

まきたかしさん リハ中


17日のストアライブに向けて、マイナスワンと合わせた演奏の音量や
立ち位置を確認中のまきさん。

クラシックの名曲集から、ボサノバ、唱歌まで種々のナンバーを
音を確かめるように、次々と吹き分けていきます。


少し一服してから、ラヴェルやドビュッシー、武満、等も
聴かせてくださいました。いゃあ、嬉しかったデス。

こうして、ふたつのイベントが糸を撚るように、準備が進んでいきます。

2013-10-29

上野真フォルテピアノ・レクチャー・コンサート(2013.10.14尾道)



上野真フォルテピアノ・レクチャー・コンサート(2013.10.14尾道)

 ステージには、3台のピアノが並んでいた。下手から、シュタイン(1820)、シュトライヒャー(1846)、そして現代のスタインウェイ、である。

 尾道しまなみ交流館は残響が少なくしかも客席が広いので、いわゆる「古楽器」を聴くのに適したホールであるとは言い難い。おまけに、休日の午後でありながら、聴衆の数もまばらであった。私は、シュタインとシュトライヒャーの近くの席をとった。主催する方としては、お客さんが少ないのはつらいところだろうが、私としては、音の塩梅を想像しながら、席を選ぶことができたのはうれしかった。

 前半は、シュタインを用いて、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ウェーバーの名曲が演奏され、後半は、シュトライヒャーによってメンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、ショパン、リストが演奏された。これが、普通のモダン・ピアノの演奏会なら、ピアノを習い始めた子どもたちを対象にしたような田舎プログラムという感じだろう。それなら私が聴きに行く理由はない。ところが、作曲者が生きていた時代にまさに演奏された楽器を用いることによって、少年の日に魅了された名曲の、正真の姿に歳月を経て再会するようで、言い知れぬ感動を覚えた。

 演奏会の途中には、演奏者の上野真氏と、楽器のコレクターであり修復家である山本宣夫氏との対談があり、これもたいへん興味深いものであった。楽器にかかわる二人の愛情は並々ならぬものがあり、予定時間を超過しても語り尽くせないほどであった。

 シュタイン・ピアノ(1820)の音は、現代のピアノとくらべて、明るく軽い。楽器の大きさは決して小さくはないが、木の箱全体が朗らかに鳴っているという感じだ。まさに、ベートーヴェンやシューベルトが生きていた時代と、国際都市ウィーンのむしろローカルな風情を感じさせてくれるものだった。私にとってなによりも嬉しかったのは、ベートーヴェンの「ソナタ第30番」が演奏されたことだ。後期のベートーヴェンのソナタでいうと、「29番」と「32番」は独特の重厚さや深沈とした趣がある。それに対して、「30番」と「31番」には不思議な明るさ、軽さ、そして、湧き上がるような飛翔感がある。シュタイン・ピアノの響きは、この曲を演奏するのに過不足ない豊かさを備えているように思えた。

 このピアノには、四つのペダルが付いており、真ん中の2本はモデラート・ペダルという、ハンマーと弦の間に羅紗のようなものをはさみ音色を変化させる機能をもっている。上野も演奏の隠し味のように巧みにそれを用いていた。この時代のピアノは、強弱のみならず、音色の変化という、チェンバロが心を砕いてきた、美意識をまだ保っていたということなのだろう。

 後半のシュトライヒャー・ピアノ(1846)は、ぐっと現代のピアノに近づいてきたという感じの音である。鍵盤の数は85と、現代の標準的な88に迫るほどになり、何よりも音量・量感がぐっと豊かになった。しかし、それに加えて何とも言えぬ、聴くものの心に馴染む親和性がある。楽器本体は木目の美しい落ち着いた色調で、譜面立てにはたいへん細やかなレリーフさえほどこされている。コンサートホールというより、書斎とか小さなサロンにさり気なく置かれているのがふさわしいという感じである。中期~後期のロマン派の名曲が演奏されたが、これらの曲がまさにこのピアノのために書かれたと「錯覚」しても何ら不思議がないように思われた。とりわけ、自身がシュトライヒャーのこの型のピアノを生涯愛奏したというブラームスの、「作品118」はたいへん滋味深いものであったし、ショパンの「マズルカ」や「子守唄」は、深い余情を残すものであった。

 そして、最後にアンコールとして、現代のスタインウェイによって、リストの「メフィストワルツ」が演奏された。ピアニストの上野真は、どんな曲においてもその意図するところや情感を巧みに表出していたが、よっぽどの腕達者と見えて、リストにおけるテクニックの冴えは圧倒的であり、文句のつけようのない、スリリングな快演であった。しかし、私たちは直前まで、シュトライヒャーの慈しみ深い響きに慨嘆していたのである。スタインウェイの響きは、輝かしくて立派であるが、あまりにも音が大きすぎるし派手過ぎる、むしろやかましいと言ってもいいくらいだ。これは、演奏者の技量というよりも、楽器そのものの性格によるものに違いない。

 スタインウェイの勝利の歴史は、世界史でいうなら帝国主義から現代にいたる過剰な資本主義の歴史に重なる。時代や社会が欲した音なのだろうが、シュトライヒャーからスタイウェイにいたるピアノの変遷が、この楽器の「発展」であったとは素直には言えないような気がしてならない。それほどまでに、現代ピアノが失ったものの大きさをしみじみと感じさせる演奏会であった。悔しいことに、こういった歴史的な楽器を聴く機会はきわめて少ない。私たちは、いつまで我慢してスタインウェイを聴かなければならないのだろうか。



















(全文・主宰 写真,改行・石原健)

2013-10-28

笠小おかげいち 2013


暑くもなく寒くもなくの絶好の天気のもと、「笠小おかげいち」が
無事とりおこなわれました。

子どもたちが少ない学年ですが、七福神ならぬ六福神が登場、
ば・先生のこれもユーモアなのかもしれません。

例年のメニューに加え、今年はリクエストにこたえて歌を歌ってくれるという
“お接待”もあって、道行く人たち(保育園の園児たちも!)は、和やかに
耳を傾けていました。

百縁笑店街も、次回はいちょうまつりの11/17と併催されます。
なんだか、とってもいいアイディアをいただけたように思いますよ。

2013-10-27

28日・おかげ市に笠小の三年生の盛上げ隊登場


笠岡小学校の三年生たちが、おかげ市盛り上げ隊でやってきます。

10月28日(月) 9:30~11:30 笠岡商店街一円

9:30~10:30
子ども六福神、おもしろ芸、歌やおどり、クッキー

店の手伝い
・フライビーンズ
・ぜんざい
・百円くじ

10:30~11:30
マッサージ、わなげ、しゃてき、ボウリング、ダーツ、くじ。

2013-10-26

八月釜石 / ジャズ大衆舎 on web #21

八月釜石

 八月に、岩手県の被災地釜石を訪ねた。仲間とともに短いボランティアに参加するためであった。何かをやろう、あるいは被災者のために何ができるのか、という気負いがまるでなかったとは言わないが、わずかの期間に見当違いの使命感や正義感を抱くのはむしろ慎むべきだと感じた。あまり自分がどうしたいということは考えずに、与えられた仕事を無心にこなす、それ以上でも以下でもない。仕事そのものは、仲間とともに身体を動かす小気味よさがあった。

しかし、被害が大きかった、釜石市郊外の鵜住居(うのすまい)地区、大槌地区の惨状をつぶさに見て、背筋の凍るような恐怖と衝撃を覚えた。とりわけ、大槌町役場、鵜住居防災センターでは、おしゃべりな私たちでも、声を出すこともできず、その場に佇み手を合わせるばかりであった。

一つだけ心残りは、被災者の話をあまり聞くことが出来なかったことだ。ボランティアに集う人々は、総じて女性が多い。私のようなおっさんは、話を聞くよりも、力仕事や野良仕事が歓迎されるだろうと、むしろ、自分からそちらを志願した。というわけだ。

自分の街に帰って、「未来へ伝える私の3・11①」「同②」(竹書房)という発行されたばかりの本を読んだ。岩手県の地方ラジオ局に寄せられた被災者の手記を集めたものだ。アナウンサーの朗読CDもついている。それまでに、知識人たちが3・11に寄せた文章を編んだ本も読んでいたが、被災者の手記の方が、文章の巧拙を超えて、はるかに強い印象を受ける。読みながら、ふと気づいたことがある。近親者を失った方の文章が、まるでないというわけではないが、少ないということだ。主に、被災から一年余りを経て書かれた手記が多い。一年という時間は、近親者を失った方々に口を開かせるに十分な時間であるとは言えないということだろう。否、あるいは、もっと時間が経過したとしても、失った近親者のことを語るには相当の勇気や決意や、心の中に大きな何かが必要なのだろう。何も語ることなく命を終える被災者も決して少なくはないだろう。

「復興」とは何だろう。道や港湾や建物が元通りになり、人々が帰ってきて、また産業が興る…。それは大事なことだ。しかし、その「復興」の陰で、さまよう死者の魂やそれを思いつづけながらおし黙るしか術のない人たちのことを忘れるわけにはいかないだろう。











(全文・写真 主宰)