笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2011-11-06

武久源造オルガン・リサイタル at カトリック福山教会


 予想を超える大勢の入場者を得て、武久源造オルガン・リサイタルを無事終了することができました。聴きにきて下さった方々、教会のみなさん、ありがとうございました。

源造さんのオルガン・リサイタルは、私たちの街では初めて。価値のある演奏会となったと思います。チラシで公表していた、ブクステフーデ、バッハ、ギルマンの他に、ブラームスの「主題と変奏」(弦楽六重奏曲第1番第2楽章 武久源造編)が演奏されました。源造さんらしい、多彩な選曲と曲に応じた表情のつけ方に、思わずにんまりとさせられるところが多々ありました。アンコールには、幽玄無比のインプロヴィゼーションによって、余韻豊かに1時間20分の演奏会を終えました。
お客さんの惜しみない拍手、また演奏してほしいとの声、高揚した気分、素晴らしいひとときでした。

また、ストップ操作で、短いリハーサルの中で源造さんの高い要求に応えた仲谷沙弥香さんにも、拍手を送りたいと思います。

 2011年の当舎の催しはこれで終わりにします。まいどまいどの自転車操業で、はたしてお客さんが集まるだろうかという不安をいつも抱えながらも、今年は6回も催すことができました。みなさん、ありがとうございました。

 今年は、3月11日の大震災、原発事故によって、西日本に住み直接の被害を受けなかった私たちにも、それまでの常識や自分自身の生き方について、深く考え直さなければならない、という課題をつきつけられた年でした。誰もが、それぞれの生活の場で、何かしなければ、何ができるのか、と模索したことでしょう。

 音楽家の中にも、この事態に鋭く反応を示した人が少なからずいます。なかでも、10月のNHKTVのETV特集「希望をフクシマの地から~プロジェクトfukushima!の挑戦」には、衝撃を受けました。敗戦の日8月15日に新たな被爆地福島で大規模な野外ライヴを催そうとするプロジェクトのドキュメンタリーでした。中心となったのは、福島出身の2人のミュージシャン、大友良英と遠藤ミチロウでした。大友はかつて当舎が2度招いたことがあります。ミチロウはたびたび私たちの街を訪れポレポレでライヴをやっており、思えば震災の2ヶ月前に3時間を超える熱唱を聴いたばかりでした。
そういった馴染みのミュージシャンが、賛同者をオルグし多くの人を巻き込み野外ライヴを実現・成功に漕ぎ着けたのを観るのは、眩しい限りでした。

 ジャズ大衆舎では、自分たちの企画に被災者支援を謳うことをあえてしませんでした。その理由はいくつかあります。スタッフの多くが別のチャンネルで支援活動に何らかの形で係わっていたこと、「被災者支援」を冠する催しの中にはたんに売名的、あるいは便乗かと思われるよう胡散臭いものも少なからずあったこと(7月に招いたヴァイオリンの若松夏美は被災地仙台の出身でしたがそれを表にしてお客さんを集めようというのは、どうもはばかられました)、「古楽」という音楽の性格上、被災者支援と直接結びつく内容を構想しづらかったこと、などです。

 筆者自身が音楽をする人間であったら発想は違っていたかもしれません。しかし、私たちはむしろ音楽のもつ内的なエネルギーを信じ、すぐれた音楽に接し、そのエネルギーを享受したものが、それぞれの生活の場でより善いはたらきができることを祈りました。

それはいささか消極的な態度かもしれませんが、音楽とはそんなものではないでしょうか。いやすべての音楽がそうだとは言いません、かつてのミチロウの「スターリン」や大友の「グラウンド・ゼロ」のように、政治性を色濃く含みアジテートするのも、たしかに音楽の一つのはたらきであり、魅力だと思います。でも、いま私たちが愛している音楽は、少しばかり性格を異にしているように思われるわけです。

ひるがえって、震災・原発事故を通して、音楽の意味とは何かを問われる年でもありました。それは音楽にとどまることなく、すべての表現者にとって、そうであったと思われます。表現者が自己の慰みのために、あるいはそれを愛する一部の人のためだけに、その世界をひらくというのは、無意味とは言わないまでも、説得力を失いつつあるように思われます。

そういった意味で、このブログにも前に書いた、82歳の金時鐘さんが、詩の朗読ライヴの最初に、福島原発事故を批判した『夜の深さを 共に』を読んだことは、この偉大な詩人が、まさにいまを呼吸し、開かれた感性を保ち続けていることの証左のように思われました。

 私たちジャズ大衆舎が催すものが、いまという時にどのように突き刺さっているか、演奏会を聴きに来て下さる方々に、それが関心事となるか否かは、私たちにはわかりません。しかし、これからも「古楽」の演奏会を継続するとしても、その視点だけは失わずにいたいと考えています。

 これからもよろしくお願いします。


(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)