定期の血液検査を受けていると、母が電話をしてきた。
最近は、携帯電話を操ることが十分できなくなった。家の電話からかけていることは、“自分でベッドから無理やり降りている”ということを即ち表すわけで、診察が終わってすみやかに帰宅した。
部屋についてみると、父親がベッドの横で立ち往生しているものの、まずは転落とか大きな事故とかでないことがわかり、ホッとした。
伝えたいことは具体的なのだが、無意味にこだわり、ひどく怯えている。
自分のして欲しいことがうまく伝えられない時、母はとても悲しむ。自在に言葉が繰れた人の、老境の伝える不自由さは、長く共に過ごした自身の動かない足以上に、歯がゆく、ままならないようだ。
耐え、強く生きてきた人に、与えられる苦しみは何の試練か。それは、どうしたら分かち合えるのだろう。