当舎の古楽シリーズも、去る5月15日(土)の前田りり子(バロック・フルート)・大塚直哉(チェンバロ)の演奏会で、6回目を終えました。演奏会は、演奏がいくら立派であっても、それを受けとめて下さる聴き手の存在が無ければ、成立しません。
というよりも、良質の聴き手が集って下さることによって、演奏者の妙技はますます冴え、演奏会はより輝きを加えるのです。聴き手のみなさまの存在が、演奏会の存続を可能とするのみならず、演奏会の質を高めているのです。
みなさまが演奏会に聴きに来て下さるということは、すぐれて創造的な行為であると言うことができるのです。私たちがわずか2年の間に小規模ながら6回の演奏会を成功させることができたのは、これは驚異というより奇跡に近いと考えてもいいくらいです。それほど、聴きに来て下さったみなさまに負うところがたいへん大きいのです。
前田りり子・大塚直哉
さて、5月15日の演奏会を少しだけ振り返ってみます。前田りり子の機知に富んだ演奏とプログラム構成、そして語りについては、昨年11月のソロ・リサイタルを聴いていただいた方はご存じのはずですが、チェンバロをしたがえた当夜の演奏会でも、その力量はいかんなく発揮されました。
「バッハ家の音楽」というテーマで集められた珠玉の曲集は、18世紀後半の、父ヨハン・セバスチャンの複雑な多旋律の音楽から、息子カール・フィリップ・エマヌエル、ヨハン・クリスチャンらの単旋律と伴奏の音楽へと変遷していく様子が、端的に示されました。
また、当時のフルートでは明瞭に音を出すことが出来ない調で書かれた曲をあえて取り上げ、作曲者が意図した、くぐもった、憂鬱な雰囲気を演出してみせました。
もしこれが、どんな調でも均一な音を出すことのできる現代のフルートであったなら、作曲者の意図した効果は霧消するに違いありません。チェンバロとのバランスも絶妙であって、主従のスムーズな交代、陰影ある曲の進行など、オリジナル楽器だから味わえる幾多の発見が、聴きに来て下さったみなさまの心を静かにうったことでしょう。
それから、大塚直哉のチェンバロ独奏による『シャコンヌ』もこの演奏会の大きな聴きものでした。
言うまでもなく、『シャコンヌ』はヨハン・セバスチャン・バッハのヴァイオリン独奏曲の傑作ですが、大塚直哉は、オリジナル譜にはもちろん存在しない対旋律や通奏低音や装飾音を巧みに付加し、華麗な『シャコンヌ』に仕立て上げました。
この演奏で大塚直哉が使った楽譜は、ヴァイオリンのオリジナルニ短調を4度下のイ短調に移調したもので、さまざまな「付加」はすべて即興によるものだったのです。大塚直哉の力量も大したものでした。
こうして、チェンバロのお披露目もかねた演奏会は、さまざまな余韻を残して終了しました。私たちにとっても、聴きに来て下さったみなさまにも、心のどこかに深く長く記憶される演奏会であったに違いありません。
カークマン・チェンバロ
さて、5月15日(土)の演奏会にお出でいただいた方々はすでにご存じのことですが、ちょっとびっくりするようなニュースがあります。
なんとチェンバロを購入したのです。
バロック期の室内楽の演奏会を継続していくには、チェンバロが必要であることは言を俟ちません。しかしながら、チェンバロは総じて高価でかつ繊細な楽器なので、演奏会のたびに借り受けることは困難です。
どうしたものかと頭を悩ませていたところへ、信頼できる筋から、この楽器の話が舞い込んで来ました。中古ではありますが、十分な機能をもち、当舎でもまあなんとか購入出来る価格でした。
このチェンバロのオリジナルモデルは、18世紀後半すなわちC.P.E.バッハ、モーツァルト、ハイドン等が活躍していた時代の、ロンドンのカークマン工房のものです。
18世紀後半は、長く鍵盤楽器の王者として君臨してきたチェンバロが、新しく台頭してきたフォルテピアノ(現代のピアノの始祖)にその座を明け渡そうとしていた時代です。したがって、その時代の特徴が、このチェンバロにも見ることが出来ます。
二段の手鍵盤をもち、その音は強く伸びがあり、楽曲にくっきりとした輪郭を与えます。バッハ等ドイツ系の構築感のある音楽には力を発しそうです。チェンバロといえば、美しい装飾を期待する向きもありますが、この楽器には、現代のピアノのように、華美な装飾はありません。
産業革命期イギリスならではの質実剛健の風貌と言えましょう。この楽器を復元したのは、フィリップ・タイアーというアメリカ人で、タイアー作のチェンバロはこの楽器を含め日本に十台ほど入っているとのことです。
この楽器のもう一つの大きな特徴は、着脱可能な2オクターヴ半の足鍵盤を備えていることです。ということは、オルガン曲をもこのチェンバロでカヴァー出来るということになります。
この楽器は、延広教会に常置し、演奏会で使用するほかに、教会の礼拝等でも使っていただくことにしています。
武久源造リサイタルを
さて、それはそれとして、きちんとみなさまに告知する形でチェンバロ独奏の演奏会を催したい、聴いてみたい、と思うのが当然の気持ちです。17世紀と18世紀にはチェンバロ独奏用に書かれた名品が数限りなく存在するのですから。
そこで急遽決定したのが、武久源造の演奏会というわけです。もっとも急遽というにはいささか語弊があります。むしろ、どうしてもこれはやっておかなければならない、それもまず初めにおさえておかなければならない、そんな演奏会なのです。
なぜなら、このチェンバロを私たちに紹介してくれたのが、他ならぬ武久源造であったからなのです。
先に触れた、日本に十台ほどあるカークマン=フィリップ・タイアー・チェンバロは、すべて武久源造の紹介によるものであり、武久源造ほどこの楽器を弾き込み、その特性を熟知している演奏家は他にいないのです。
武久源造は、自分が所有している一台を用い、各方面から絶賛を浴びた『バッハ/ゴールトベルク変奏曲』(ALM)を録音しています。また武久源造が、2000年に福山で演奏した『ゴールトベルク変奏曲』にもフィリップ・タイアーの楽器が使用されたのです。
このチェンバロをあらためてみなさまに披露させていただくのに、その弾き手には武久源造のほかに考えられないことがご理解いただけるでしょう。
このたびの演奏会は、チラシにあるとおり、尾道での公演とセットになるものです。演奏曲も、それぞれに違うものを用意しました。しかも、タイプの違う3台の楽器を弾き分けるのですから、これは要注目の二夜と言えましょう。
みなさまどうぞお聴き逃しのないように、お友達をさそってお出で下さるようお願い申し上げます。私たちは、マスな宣伝媒体をもちません。みなさまの美意識をこそ信頼申し上げます。
2010年夏