笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2012-11-30

トリオにやられました

いや、なんだかそんな語感でもあったのだが、まさか(笑)。

それは、こんなところか~い。あゝもうひと月経ったのか。


2012-11-29

Nikon F-801のそれから

先月捕獲したNikon F-801のその後です。

Nikon F-801に翻弄される

 

わりと小忙しい日が続いたので、ゆっくり付き合って
いなかったんですが、先日から気になり始めて、
ちょっと皆さんのトラブル対処法を調べてみました。

んー、丈夫でメンテ知らず!とか、挑発的なコメントが
多い(笑)。

1つずつ読んで頭を冷やして考えてみると、電池の問題が
浮かんできたのです。

そう、Eneloopの電圧の問題です。

結構多くのカメラで動作が確認できるので、つい油断
していましたが、F-801でうまくいくとは限らないですよね。

で、新品のアルカリ電池を入れたところ、立ちどころに
ほとんどの不具合が解消してしまったのです...。
まず、電源を疑う、というのはこういうカメラの基本でした。

キチンと動き出して実感するのは、基本性能の充実です。

ファインダーの明るさ、アイポイントの高さは前にも述べた
とおりですが、安っぽく感じていたジョグダイヤルも、実に
操作の絞り込みが良くて、使いやすいです。

今のNikonのデジタル一眼に慣れている方にとっては、
ちょっとした先祖帰りのようなもので、おそらくは何の
違和感もなくオールドレンズが繰れることでしょう。

ああ、F4、危うし(笑)。

F4のプレビュー鳴きのような経年的な弱点が、果たして
忘れられたこの銘機にはあるのでしょうか? もしなければ
Ai Nikkorを使うこれ以上優れたモデルは、ないような気がします。


2012-11-28

皆様にハンエイを

店内のフレームの値札は、サイズ、店頭参考価格を表側に、
裏側に仕入先を記して、ほぼすべてテンプル(腕)部分の
原則、左手につけています。

いろいろな札がありますが、最近のテンプルの太いものに
対応できるものは、そんなに無いと思います。

わたくしどもは、大阪の「ハンエイ」(06-6329-2272)という値札専門の
業者さんから仕入れています。太枠メガネ用値札 A-1という商品です。

いっぱいあるように見えますが、結構なくなっていって
いつもあわてて注文しますが、すぐ届いて安心です。




え、どこかのように全部同じお値段なら、札なんかいらないだろうって?

ワンプライス商品の落とし穴は、よく考えるとどなたでも
ご存知の商品、お寿司で例えると、腑に落ちます。

ウニも卵焼きも同じ値段なら、まあいいウニはないのが自然でしょう。
もし同じ値段で並ぶのなら、実は卵が高いのではないでしょうか。


ところで、今日は月食。えっ、そうだったかなという方も多いでしょう。
半影月食」ですね。はい、ハンエイつながりで、思い出しました(笑)

2012-11-27

井笠バスのその後・駅前の実感として

井笠バスがながい歴史を閉じて、ひと月近くなりました。

あれほど賑やかに歩きまわってた愛好家たちの姿も消え、
経営も新体制に移行して、ぱっと見は、なにもなかったか
のように赤白のバスが、今日も元気に走っています。

店内で感じられるのは、大きな車両が減ったせいか、
マンホールを横切る時の「ドーン」という振動音が
激減したというあたりです。

世相を斜め読みなさる方にとっては、異論があると思いますが、
市内の各地区の高齢者にとっては、便数やルートに
強い要望があることは、いうまでもありません。

非経済的なタテマエの話ではなく、市内の循環を担っているのは
なにも運転できる若い方ばかりではないのですから。



2012-11-26

そろそろ替えどきですので


他ならぬ自分のめがね、なんです。(笑)

そう、今のフレームになって、3年弱。
とても評判が良かったフレームだったんですが、
そろそろ傷みも目立ち始めました。

この間、各社のレンズを試しているので、
数回レンズを変えました。

先日から側方のぼやけも、以前より目立ってきて
どうなのかな、とは思っていたのですが、
測ってみると自分の度数そのものが変わってましたね...。

皆さまには、「変わりやすい年代では結構変わりますよ」と、
お話しているものの、おそらく今までで最も大きな変化の
幅に、ほぉ、という感じです。


今日のポイント
何もなくても、時々はチェックにお立ち寄りくださいね~。

2012-11-25

くるくるまわるものなんだ

さっきまでレコードプレーヤの掃除をしていた。
放っておくと、どこからともなくハムが乗るようになる。

毎日慌ただしく過ぎていったここしばらくだったが、
1つずつ終わって、さぁて次のポイントに向かう日。


一昨日の事になったが、友人の娘さんがふたりで
家に遊びに来てくれた。

おふたりともうちの娘達と、それぞれ同級生。
それはなんとも偶然なのだが、それぞれに仲がいいのは
偶然だとは思わない。

パパさんから、高校生の頃ダビングしてもらったカセットを
まだ持ってるよ、と聞いたことがある。

そんな頃から使い続けているレコードプレーヤに、
そっと針を下ろす夜。

2012-11-24

カトリック福山教会 パイプオルガン第10回定期演奏会のご案内


カトリック福山教会 パイプオルガン第10回定期演奏会のご案内

2012.12.2(日) 17:00開演

カトリック福山教会 聖堂 入場無料

主催・お問い合わせ/ カトリック福山教会 084-923-0614


シリーズ化しているカトリック福山教会の、パイプオルガン演奏会、10回目を迎えます。

2012-11-23

11月上旬に聴いた演奏会二つ/ ジャズ大衆舎 on web #10



11月上旬に聴いた演奏会二つ

風ぐるま 時代を越えて音楽の輪を回す 波多野睦美・栃尾克樹・高橋悠治
2012111()福山リーデンローズ小ホール

 「ことばを贈る」と題した、高橋悠治と波多野睦美のコンサートからわずか1年8ヶ月後に、この二人に栃尾克樹を加えたメンバーのコンサートを、その時と同じ会場に、客として聴きに行くことになるとは思ってもみなかった。しかし、その内容は、バリトンサックスが入ったからというだけではなく、前回とは随分違っていた。
 波多野睦美は、前回のチラシには、「歌」としたが、今回のそれには、「声」とあった。この場合、両者に本質的な違いがあるとは思えないが、それでも、コンサート総体の印象として、前回が「歌」であり、今回が「声」であることに、なかなか説明し難いのだが、不思議に納得がいく。

 コンサートは、パーセルの劇音楽から2曲がまず披露された。「ばらよりも甘く」「ダイドーのラメント」である。どちらも、語りの延長として歌があることを暗示させる小品であり、波多野睦美の歌い(語り)振りであった。この方向性は、後に演奏された、辻征夫の詩に作曲した、高橋悠治の三つの作品や、バッハの「わたしを憐れんでください」にも、引き継がれているように思った。

 波多野睦美は、ロマン派のオペラ歌手のような朗々たる歌唱をけっしておこなわない。ことばは歌を導き出し、また歌はことばに還っていく、そのあわいをこそ、表現しようとしているように思えた。これは、バロックの流儀と言っていいものだろうか。

 バロックの流儀と言えば、栃尾克樹のバリトンサックスの役割である。パーセルやバッハの歌曲で通奏低音的な役割をするのはわかるとして、クープランのヴィオル曲やテレマンのフルート独奏曲を、わざわざプログラムに挙げようとするのだから、もうこれはバロック宣言!とでも言えるような、徹底ぶりである。聴く者としては、ヴィオルやフルートと音色やアーティキュレーションの違いを、楽しむことになる。

 アンコールで演奏された「別れのブルース」は、こういったバロック路線の白眉とも言うべきで、波多野睦美の歌う、「窓を開ければ~」のメロディは、よく知られたままの、いわばコラールの定旋律のようで、高橋悠治のピアノと栃尾克樹のバリトンサックスが、オブリガートのように絡んでいくさまは、バッハのカンタータやブクステフーデのオルガン曲を連想させて、思わずにやりとさせられた。




VAN弦楽四重奏団 2012114() 宝泉寺(福山市神辺町)

 広島交響楽団のメンバーによる弦楽四重奏団の、宝泉寺での3回目のコンサートである。その1回目に感動した私は、2回目のコンサートに、ベートーヴェンの14番をリクエストした。なんとそれが叶えられたのはいいが、仕事が入ってどうしても聴きに行くことができず、主催者と演奏者にたいへん失礼なことをしてしまった。私自身もたいへん悔しい思いをした。これは、やはり仕事が突然入って、フリクションのライヴに行けなかったのと匹敵する悔しさであった。そんなわけで、今回は万難を排し、会場に一番乗りして、演奏者の間近で聴くことができた。

 前半は、コントラバスを加えた弦楽五重奏で、モーツァルト、ヨハン・シュトラウス、そして、ヴィオラが抜けて珍しいロッシーニと、軽いノリの曲が集められていたが、なんといっても、ハイライトは、後半演奏されたバルトークの弦楽四重奏曲第6番であった。もっとも、おおかたの客にとってはその逆であったろうから、演奏者は、四つの楽章ごとに解説を加え、「気持ちが悪くなったら、遠慮無く外へ出てくれて結構です。」とまで言って、たいへんな気の遣いようであった。しかし、その熱気溢れる演奏に、それは無用であったように思う。

 VAN弦楽四重奏団は、本拠地の広島でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏に取り組んだ。その完結後に、バルトークに取り組むことになったと聞く。まあ、そんなことをことわるまでもなく、前半の心地良さとはまったく異質のバルトークの音楽に、彼らの本音がそこにあることは、そこに集った人々は誰でも、楽しめたか否かは措くとして、すぐにわかったに違いない。

 さて、そのバルトークの6番だが、Mesto(悲しみ)の主題が、四つの、すべての楽章の冒頭に呈示され、重苦しい情感が垂れ込める。それが、楽曲全体を統一的な気分となる。ごつごつした岩場を喘ぎ喘ぎ疾駆するかのような息苦しさがある一方で、民謡風のどこかとぼけた旋律があらわれたり、ナチスの軍靴を思わせるような重々しい行進のリズムがあらわれたり…、第二次世界大戦が勃発した1939年に書かれたというが、暗鬱な時代を生きた作曲家の、見聞きしたものや、生き様そのものが、描き込まれているように思えた。この曲はヨーロッパで初演されることなく、バルトークは楽譜をもって、戦禍を逃れてアメリカに渡り、その地でやっと初演された。バルトーク自身は、二度と故郷の地を踏むことなく、1945年に客死した。

 武久源造に聞いた話だが、ハンガリー人は、ヨーロッパで、ユダヤ人の次に蔑視された民族であったという。

解説を交えつつ演奏を聴いていると、ちょうとそのときに格闘していた、金時鐘(キム・シジョン)の長編詩『新潟』とその印象が重なった。金時鐘が『新潟』を書いたのが1950年代の終わり頃という。ならば、バルトークの6番とは、わずか20年の開きしかない。しかも金時鐘は、この長編詩の原稿が散逸するのをおそれ、小型耐火金庫に入れて1970年に出版されるまで持ち歩いていたという。詩の中には、後年詩人によって明かされることになった、済州島43事件の生々しい記憶とそれを逃れて日本にやってきたことが描き込まれている。20世紀は、戦争と迫害、亡命、ディアスポラの世紀であったことが、図らずも意識された。

VAN弦楽四重奏団の演奏は、スマートなものではなかった。むしろ力いっぱいの、必死の演奏であったというべきかもしれない。しかし、それがおそらくバルトークの真実の音楽の姿なのだろう。たとえばアルバン・ベルク四重奏団あたりが演奏したら、もっと整然とした、あるいはこんなの楽なもんよと言いたげな、「完璧」な演奏になることであろう。でも、それはもはやバルトークではないのだ。

VAN弦楽四重奏団のリーダーと思しきは、ヴァイオリンの鄭英徳(チョン・ヨンド)という、関西弁の在日朝鮮人2世であった。

バルトークと金時鐘…、私の勝手な連想に過ぎないのだろうが、それを仲介してくれたのが、在日2世であったのは、偶然ではないように思うのだが…。

 (全文・主宰 写真,改行・optsuzaki)

2012-11-22

演奏会を終えて / ジャズ大衆舎 on web #9



演奏会を終えて

 夢幻の色彩感、自由闊達な語り口、得も言えぬ抒情、そして、がっしりとした物語の構築…、5月の武久源造による『ゴールトベルク変奏曲』は、「完璧」な演奏ではなかったが、すぐれて魅力に溢れた、まさにライヴの醍醐味を伝えるものであり、私たちと武久源造との関係において、一つの大きなエポックとなった。

さて、次のリサイタルの曲目として、『インヴェンツィオンとシンフォニア』が提案されたとき、正直なところ軽い失望を憶えた。バッハのチェンバロ曲で一番の人気曲であり大作である『ゴールトベルク』の後に何をやるか。何をやるにしても、『ゴールトベルク』を超える「何か」を提示するのは、たいへん困難な課題であるように思えた。そこで『インヴェンツィオンとシンフォニア』とはちょっとしょぼくはないか、…素人考えでそう思ったのだ。

武久源造は、リサイタルの一ヶ月前に、当ブログ掲載用にと『インヴェンツィオンとシンフォニア』の解説文を送ってきた。最初から“Part1”とあり、終わりに(続く)と記してあったので、2,3回分くらいが送られてくるのかと思っていたら、なんと『インヴェンツィオン』そして『シンフォニア』の曲数と同じ15回分の原稿が次々に送られてきたのである。それも、昼と言わず、夜と言わず、この人はいったいいつ眠っているのか、と思われるほど、矢継ぎ早に、弾丸のように送られてきたのである。

武久源造が、文筆においても卓越しているのは、その著書『新しい人は新しい音楽をする』(アルク出版2001)を読めばすぐにわかるのだが、それにしても、この解説は面白い。『インヴェンツィオンとシンフォニア』に直接かかわることはもちろんだが、『ゴールトベルク』との関係、数の象徴、調性、調律法、カークマン・チェンバロの構造と機能、演奏においてどのようなストップを用いるか…、等など、武久源造のよく使う言葉を借りるなら、より求心的な、そして遠心的な、双方からの話題の提供であった。

せっかくなので、演奏会当日は30部ほど印刷して、お客さんのなかで興味ある方に配布した。B5サイズの紙に印刷したところ、なんと52ページにもおよんだ。

多岐にわたる話題の中で、私がとりわけ注目したのは、ストップにかかわる叙述であった。手元にある何枚かの『インヴェンツィオンとシンフォニア』CDを、その叙述と引き比べながら聴いて、実際の演奏をあれこれと想像してみるのは、たいへん楽しい作業であった。そうしていくうちに、だんだんと演奏会への期待は膨らんでいった。もし、このブログを読んで下さっている方で、演奏会に足を運んで下さった方がいらっしゃったなら、同じようではなかっただろうか。

演奏会は、2部構成で『インヴェンツィオンとシンフォニア』全30曲が、武久源造の解説を織り交ぜながら、ゆったりと演奏された。『ゴールトベルク』の興奮はなかったが、そのかわり、しっとりとした、慈味に溢れた演奏だった。また、ストップ操作による音色の変化も、とりわけ『インヴェンツィオン』において、事前に「予習」したものよりずっと色彩豊かなものであった。

『インヴェンツィオン』は2声のシンプルな形で書かれているが、そのぶん2段鍵盤による音色の対比を効果的に表現することが可能となる。ここらあたりに、武久源造がこの曲集を『ゴールトベルク』の後に取り上げようとした、重要なモチーフの一つが蔵されているのではないか、とふと考えた。一方で、3声の『シンフォニア』では、内声部を右手左手双方で繋がなければならない。そうすると、二つの鍵盤を同時に使用することが出来ない。その分だけ、音の運動性に焦点をあてた演奏であったように思える。

その『シンフォニア』の中で、武久源造が唯一二つの鍵盤を同時に使用して演奏したのが、第5番であった。武久源造は、左手の分散和音を、上鍵盤でフロント8’にバフストップをかけて弾き、上2声の絡み合う旋律を、下鍵盤でバック8’で弾いた。この弾き方でCDにもなっているし、かつて尾道でのリサイタルでアンコールとして弾いたのも、同じやり方だった。武久源造の十八番と言ってよいだろう。まるでリュート歌曲のようなアイディアだが、こういうやり方をする演奏家を、私は他に知らない。

武久源造は、この曲集をバッハによる「チェンバロ詩集」だと評した。シンフォニア第5番のみならず、その香気は随所に溢れていた。そして、私は『インヴェンツィオンとシンフォニア』についていかにわかっていなかったか、その不明を恥じた。

(全文・主宰 写真,改行・optsuzaki)

2012-11-21

霧のむこうに



昼になれば なかったかのように