新年は 4日(水) 9:00より 営業いたします
笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります
2011-12-31
2011-12-30
2011-12-29
平田屋のうどんを教えてくれたのは
大阪から高校の同級生が里帰り、家にも帰らない間にめがねを
新調しに立ち寄ってくれました。本当に感謝です。
いろいろな同級生っているものだけど、彼は面倒見の良い兄のような存在で、
浪人して遅れて入学した頼り無さげな僕を連れて、街を歩いてくれたのも、
とても懐かしいです。
二人で行った平田屋のふにゃふにゃなうどんを
いつかまた一緒に食べにいけるといいなぁ、と夢のように思っていたのですが...。
残念、閉店していたのですね(建物はあるけど暖簾がなかったという話)。
大きな地図で見る
新調しに立ち寄ってくれました。本当に感謝です。
いろいろな同級生っているものだけど、彼は面倒見の良い兄のような存在で、
浪人して遅れて入学した頼り無さげな僕を連れて、街を歩いてくれたのも、
とても懐かしいです。
二人で行った平田屋のふにゃふにゃなうどんを
いつかまた一緒に食べにいけるといいなぁ、と夢のように思っていたのですが...。
残念、閉店していたのですね(建物はあるけど暖簾がなかったという話)。
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2011-12-28
2011-12-27
それでも今年の収穫は
度重なる怪我を ひとつずつ工夫でやりすごしたこと
お風呂&下水道工事の ローンが終わったこと
計画がうまくいかなくても 一回であきらめなかったこと
心の師に ほんの少しだけでも お手伝いができたこと
おお、どうしてどうして。
まだまだあるじゃない。
2011-12-26
2011-12-25
キャンドルも終わりなんとす
いろいろ試してきた今年のキャンドルですが、
そろそろ終わろうと思います。
ロウソク の奥深さがわかって、楽しかったですよ。
芯の太さ、位置。
ロウの材質。
ガラスの形状。
そして商品としての魅力。
すべてのことに理由があるんですね。
最後の晩はカラフルに終わりまっす。
そろそろ終わろうと思います。
ロウソク の奥深さがわかって、楽しかったですよ。
芯の太さ、位置。
ロウの材質。
ガラスの形状。
そして商品としての魅力。
すべてのことに理由があるんですね。
最後の晩はカラフルに終わりまっす。
2011-12-24
2011-12-22
2011-12-21
コカコーラ 125周年記念ヘリテージボトル
2011-12-20
OPUS 2nd stageをそろそろ
どうしても3時にくる、と言っていたアートリッジさん、
僕の予想通り4時に来ました(笑・そりゃ無理だって...)。
OPUSの第二弾をうんうんいいながら、セレクトしました。
ほっとくとどれも欲しくなるのですが、そこは「どうどう」ということで。
またそろってきましたら、1st stageともども、お目にかけましょう。
おくればせながら、正規取扱店となりましたので、
皆様よろしくお願いいたします。
僕の予想通り4時に来ました(笑・そりゃ無理だって...)。
OPUSの第二弾をうんうんいいながら、セレクトしました。
ほっとくとどれも欲しくなるのですが、そこは「どうどう」ということで。
またそろってきましたら、1st stageともども、お目にかけましょう。
おくればせながら、正規取扱店となりましたので、
皆様よろしくお願いいたします。
2011-12-19
2011-12-18
2011-12-17
2011-12-16
2011-12-15
2011-12-14
桐山建志 武久源造 バロック・ヴァイオリンとチェンバロによる、白熱のインタープレイ!
桐山建志 武久源造
バロック・ヴァイオリンとチェンバロによる、
白熱のインタープレイ!
白熱のインタープレイ!
2012年1月29日(日)16:00 日本キリスト教団福山延広教会
(福山市本町1-6 084-923-0094)
曲
J.S.バッハ ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第1番~第3番
J.S.バッハ ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第1番~第3番
J.S.バッハ=武久源造編曲 独奏ヴァイオリンのための「トッカータとフーガ」
J.S.バッハ=武久源造編曲 独奏チェンバロのための「シャコンヌ」
J.S.バッハ=武久源造編曲 独奏チェンバロのための「シャコンヌ」
ビーバー ロザリオのソナタ第1番「受胎告知」
桐山建志(バロック・ヴァイオリン)
鑑賞料:3,000円 高校生以下1000円
切符のお求めは、スガナミ楽器、延広教会にて
主催・問合:コンセール・ジャズ大衆舎
2011-12-13
2011-12-10
2011-12-09
2011-12-08
2011-12-07
2011-12-06
2011-12-05
2011-12-04
小山彰太=スガダイロー
小山彰太=スガダイロー
12月2日(金)、小山彰太(ds)とスガダイロー(p)のデュオをポレポレへ聴きに行った。
小山彰太は、山下洋輔トリオ時代からたびたび聴いた。山下時代は圧倒的なパワーとスピードを誇っていた森山威男に何かと比較され、いささか気の毒な感じはあったが、その後は、彼らしい少しとぼけた、そして懐が深く味のあるドラミングで、個性が全面に開花した。その素晴らしさは、タイプは違うが、故富樫雅彦にも比肩しうるように思う。
おそらく山下洋輔は、小山の個性を見抜いていたのだろう。俳句や短歌をモチーフにした曲、あるいは、寿限無やピカソの名前に節をつけた曲を演奏していた。森山在籍の頃の硬派一徹のトリオに熱狂したファンは、山下の変節を苦々しく思ったに違いない。しかし、いま考えれば、それは小山の個性を引き出すためのものであったようだ。
スガダイローを聴くのは初めてだ。37歳を若手というには失礼な気がするが、過日の瀬尾高志、竹村一哲同様に、長らく待たれた新しい才能の擡頭は嬉しい。
スガダイローの演奏は、ラヂカル・ジャズのピアニストたちのそれとは、一線を画す。そう、たとえば板橋文夫が、歌を基調としながら、自らが出す音、あるいは共演者の出す音と共鳴して、大きくうなりを伴って音楽を構築していくのに対し、スガダイローの演奏はどこかクールな印象を受けた。即興の組み立て方は、常に方法的で選択的である。クラシック音楽を相当に勉強していたのであろう、抜群に指が動く。ときに、リストやラフマニノフのコンチェルトのみたいにさえ聞こえる。フレーズは、パーカッシヴであったり瞑想的であったり様々だが、それが自然に繋がるというよりも、むしろ一つ一つの部分を無媒介的に繋ぐという感じだ。そして、板橋にあるような、うねる感覚、歌う感覚があまり無いかわりに、時間の流れに音楽が垂直的に介入するようだ。はじき出される音楽は、抽象度が高くむき出しの非情ささえ感じられる。
雑誌のインタヴューでは、日本的なものを意識的に取り込んだり、スタンダードを取り入れたりしたい、ということを語っていたが、少しばかり印象が違っていた。
小山はさすがというべきだろう。スガを十分に引き寄せつつも、起伏と抑揚のある、ある種自然体で、彼らしい滋味を感じさせた。
そうはいっても、ドラムとピアノという組み合わせはピアニストの個性が全的に引き出される形ではない。もしベースが入っていたら、サックスと一緒だったら、あるいはピアノソロだったら、などといろいろと考えた。
それにしても今回も客が少なかった。
福山のみなさん、いい音楽は案外近くにあるものですよ。
(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)
12月2日(金)、小山彰太(ds)とスガダイロー(p)のデュオをポレポレへ聴きに行った。
小山彰太は、山下洋輔トリオ時代からたびたび聴いた。山下時代は圧倒的なパワーとスピードを誇っていた森山威男に何かと比較され、いささか気の毒な感じはあったが、その後は、彼らしい少しとぼけた、そして懐が深く味のあるドラミングで、個性が全面に開花した。その素晴らしさは、タイプは違うが、故富樫雅彦にも比肩しうるように思う。
おそらく山下洋輔は、小山の個性を見抜いていたのだろう。俳句や短歌をモチーフにした曲、あるいは、寿限無やピカソの名前に節をつけた曲を演奏していた。森山在籍の頃の硬派一徹のトリオに熱狂したファンは、山下の変節を苦々しく思ったに違いない。しかし、いま考えれば、それは小山の個性を引き出すためのものであったようだ。
スガダイローを聴くのは初めてだ。37歳を若手というには失礼な気がするが、過日の瀬尾高志、竹村一哲同様に、長らく待たれた新しい才能の擡頭は嬉しい。
スガダイローの演奏は、ラヂカル・ジャズのピアニストたちのそれとは、一線を画す。そう、たとえば板橋文夫が、歌を基調としながら、自らが出す音、あるいは共演者の出す音と共鳴して、大きくうなりを伴って音楽を構築していくのに対し、スガダイローの演奏はどこかクールな印象を受けた。即興の組み立て方は、常に方法的で選択的である。クラシック音楽を相当に勉強していたのであろう、抜群に指が動く。ときに、リストやラフマニノフのコンチェルトのみたいにさえ聞こえる。フレーズは、パーカッシヴであったり瞑想的であったり様々だが、それが自然に繋がるというよりも、むしろ一つ一つの部分を無媒介的に繋ぐという感じだ。そして、板橋にあるような、うねる感覚、歌う感覚があまり無いかわりに、時間の流れに音楽が垂直的に介入するようだ。はじき出される音楽は、抽象度が高くむき出しの非情ささえ感じられる。
雑誌のインタヴューでは、日本的なものを意識的に取り込んだり、スタンダードを取り入れたりしたい、ということを語っていたが、少しばかり印象が違っていた。
小山はさすがというべきだろう。スガを十分に引き寄せつつも、起伏と抑揚のある、ある種自然体で、彼らしい滋味を感じさせた。
そうはいっても、ドラムとピアノという組み合わせはピアニストの個性が全的に引き出される形ではない。もしベースが入っていたら、サックスと一緒だったら、あるいはピアノソロだったら、などといろいろと考えた。
それにしても今回も客が少なかった。
福山のみなさん、いい音楽は案外近くにあるものですよ。
(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)
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