梅津和時・坂本弘道Duoに
第一部の坂本弘道のソロは、氏の即興のエッセンスを凝縮したような音世界であった。ピックアップを通した音と、生音の組み合わせに思うのは、バランス感覚の絶妙さである。
坂本氏は自身をどう見せるか、ということに非常に気を使っている方だが、同じようにどう聞こえるかという音の位置関係をとても意識している。
アーニーボールのボリュームペダルを足先で微妙にコントロールしながら、単なる音の大小ではなく音色の変化をつけていた。その変化によって音に距離感を生み出し、ループを上書きしていく様子は、リアルタイムなオーケストレイションと呼んでも過言ではあるまい。
音色そのものへのエフェクティブな着色は意外と少ないと感じた。それゆえ大胆なトリートも際立つ。MoogのリングモジュレータはModulatorのFrequencyを多用していたが、素晴らしい耳に支えられて最高のノイズを繰り出していた。
ループの切り方は実に絶妙なのだが、決して奇をてらった強引なものではなく、むしろオーセンティックな感覚と思った。暴力的と思われるほどの剛と、叙情を歌い上げる柔のコントラストが語られる氏の演奏表現に、強い統一感のある力が働いているのは、こうした普遍的な楽理にならうスタイルからと思う。
チェロという楽器は、改めて柔和な楽器であると思う。持ち込む様々なアイディアをいったん受け止めては吐き出すそのとき、すでに大きなボディは中和をはかっている。楽器に添い、突き放す姿は坂本氏そのものに見えてきた。
梅津和時のソロは、バス・クラリネットの単音の倍音の変化を面白く聞かせてくれた。フィルターではなくレゾナントの変化の強烈さが、聴き手を飽きさせない。
技巧を駆使したブレスで、ドローンのように音が果てどなく続く。切れ目なく同じことが続く音の中に現れるスライドしてくる倍音に、途切れない緊張を込めている。
それはなにを表しているのか。演歌、そして自身のオリジナル「東北」と続く中に答えはあった。歌は、歌でしか表現できないから、ひとは声を上げる。そしてそれは、わけほどくことのできない人の喜びと悲しみを語るもの。
お二人のソロが素晴らしすぎた感はある。おっと、そうだった、今日は一人旅に道すがら同行した日だったのだから。