まずは、難曲に果敢に挑まれた伊藤さんに、惜しみない拍手をおくりたいです。
弾ける方が難曲を軽々弾いてしまうとき、そこには何の意義もないものですが、ピアノソナタ第一番が生まれた背景、スクリャービンの逆境ぶりを思えば、それは一つ一つをどう弾き、響かせるかが問われると思います。
第三楽章・プレスト終盤、連打の間の休符の静けさは、そんな底知れぬ絶望をあらわすのでしょうか。ぞっとするほど屹立した音と静寂でした。ピアノ・ソナタ第一番にして最終章で、人生終わったとばかり葬送行進曲ですか。凡人の人生ならそこまででしょうが、鬼才にどんな結末が待ち受けているでしょう。来年2/10に演奏されるピアノソナタ第十番まで、実際の年月は、まだまだ21年もあります。
練習曲集では、時に“ピアノなのに二段鍵盤になっているのではないか”と錯覚するほどの、鮮やかで立体的なパッセージに、なんども耳を奪われました。
同行二人。作曲家と演奏者の旅は、始まったばかりです。
(文・写真 石原健)