7月のある休日、陽射しの強い、暑い午後だった。
街に出て買い物をしていたときに、珍しくKさんから電話がかかってきた。
Kさんと言っても、漱石やカフカの小説に出てくるKではなく、音楽好きの年配のKさんだ。 Kさんは、私が催すジャズや古楽のライブに来て下さっていた人で、ここ何年かは、戦前からの福山の街の音楽文化の発展を、とりわけヴァイオリニストであり教育者であったご尊父の足跡を辿る形で、まとめておられた。私もわずかながら、資料の発掘をお手伝い申し上げたことがあった。
Kさんは、渡したいCDがあるから会えないか、とおっしゃった。 それならすぐにでも会いましょういうことになって、ショッピングセンターの駐車場でお会いすることにした。 ほどなく姿を見せたKさんは、くだんのCDを私に手渡し、早口に説明を加え、そそくさと車に乗って立ち去った。
手渡されたCDは、ハイフェッツやエルマン、フーベルマンやクライスラー、といった往年の巨匠ヴァイオリニストたちの、ショウピースを集めたものだった。 Kさんの説明によると、ご尊父が戦前線後にかけて演奏したそれらの名曲を、ご自身の演奏は残っていないので、巨匠たちの演奏で聴いて、今は亡きご尊父を偲ぼうという趣旨で編集した、というのだ。 「なかなかたいへんな作業だったよ。」 Kさんは、午後のきつい陽光に、こめかみのあたりに汗しながら語った。その表情は誇らしげであった。
こういった、ある個人の思い入れによって編集されたCDを、むかしでいえばカセットテープを受け取った経験は少なくない。逆に、自分の方から聴いてくれと言って渡したことも、かなりの回数ある。 しかし、作った側の思い入れとは反対に、受け取る方は気後れするものかも知れない。その時の自分がそうだった。 Kさんのご尊父がどんな方であったのか、私は知らない。まして、往時の福山の音楽シーンがどうであったか、演奏をしない故に師匠もいない私には、あまり関心がもてない。
CDの元になる録音は1920~30年台になされたものが主のようだ。実は私もそのころの演奏を熱心に聴いていたころがあった。このCDの中にある音源も私自身おそらくかなり持っているものだろう。Kさんは私に、お前は知らないだろう、と識者が無知な者に優れた価値を手渡すような気持ちで、くださったに違いない。でも「残念ながら」ほとんど聴き知っていたのだ。 そんなわけで、いただいたCDを車の中にしばらくほおっておいた。
が、ひと月ほどして、それでも、思いを込めて作って私にプレゼントしてくれたのだから聴いてみようと思い直して、カーステレオに入れてみた。 ビブラートが少なくそのかわりにいちいちポルタメントをかけ、そして大仰な立ち回りを頻繁におこなう演奏マナーはこの時代らしいものだ。自分が経験したことのない大時代に対する、ノスタルジーの感覚はまるでないわけではないが、それ以上の感懐は湧いてこない。
私はKさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。どうして俺は素直に感動できないんだ、このひねくれ者め、と自分を責めた。
KさんにCDを手渡されてから、間もなく手持ちのスマホが壊れてしまって、データを消失してしまった。Kさんの電話番号もわからなくなってしまった。
Kさんに感想を言えないのは、いいことなのか、悪いことなのか、ぼんやりと考えている。
(全文・主宰 写真,改行・石原健)