ひとつのテーマを巡って考えがぶつかり合うとき、思わぬ激しいことばを耳にすることがあります。
それは言いまわしの違いに過ぎないのか、あるいはそのことばの額面通りのものなのかも、アツくならずに考えたほうがいいのでしょうが、言葉を知り、正しく用いる工夫と努力をしたうえで、食い違いを理解しようとする姿勢が、いつでも良い結果を生むかというと、なかなかそうもいかないことが多いように感じます。
“正しく”語ることへの過信は、慢心と同じ。正論は人を追い詰めるだけで、すれちがいの解決にはなりません。
あえて今日書くのがいいかどうかですが、少し考えてみて欲しいです。