音楽のまちづくりギャラリーコンサート
~桐山建志ヴァイオリンコンサート~
2013年7月19日(金)尾道しまなみ交流館市民ギャラリー
を聴いて
劇場のロビーを会場とした行政主催の無料コンサートだから、凡百の演奏家ならよく知られた名曲を並べてテキトーにお茶を濁すところだろうが、桐山建志はまったく違っていた。
休憩なしのワン・ステージだが、前半にバッハのソナタとパルティータを配し、後半にイザイとヒンデミットを対置させるというプログラムがまず強い興味をそそる。加えて、前半をバロック・ヴァイオリンで弾き、後半はモダン・ヴァイオリンに持ち替える、という凝りようである。これだけでも、この演奏会がお気楽なものではなく、桐山が自分の音楽と思想を伝えるための全力投球のステージであることがわかる。
桐山は、イタリアで発明されたヴァイオリンが、はじめは単旋律の楽器として用いられていたが、ドイツに渡りバッハによって複数旋律を同時に奏でる可能性を追究されることになったことを語りつつ、「パルティータ第3番」の「プレリュード」と「ソナタ第1番」を演奏した。ついで、大曲「シャコンヌ」を挟んで、20世紀の作品が二つ奏でられた。桐山によると、19世紀には、バッハが範を示したような一つのヴァイオリンによって多声部を奏でるというやり方は不完全なものと見なされ、独奏曲に見るべきものが無かったが、20世紀になって、さまざまな作曲家がバッハのやり方を学び直し新しい独奏曲を書いたという。その二つの例として、イザイの「ソナタ第2番」の「プレリュード」とヒンデミットの「ソナタ」が演奏された。イザイの「プレリュード」はこの演奏会の冒頭に弾かれたバッハの「プレリュード」の大胆な引用がなされているし、ヒンデミットの「ソナタ」についてはバッハの「ソナタ第1番」の影響が明瞭にうかがえる。イザイの「プレリュード」は即興的で剽軽さも感じられたが、ヒンデミットは重厚でいささか難渋だった。決して楽に聴ける曲ではない。演奏はそれ以上だろう。そして、アンコールとしてバッハの「ソナタ第2番」より「アンダンテ」がモダン・ヴァイオリンで演奏された。
振り返ってみると、バッハの独奏曲と200年を隔てたその変奏を聴くということになったわけだ。演奏会全体がバッハへのオマージュとなっている、と言ってもいいだろう。こういった構築感のあるプログラムに加えて、二つのヴァイオリンを使い分け、その特質を存分に生かしつつ、音楽に多彩な彩りを加えた、桐山の力量はさすがだ。
ところで、この演奏会には、緊密なプログラムとは凡そ関係のない一曲が披露された。それにはある事情があったものと思われる。
私は、前から三列目に座ったのだが、最前列に知的障害者と思われる青年が座っていた。彼は、隣に座った同行の女性に時々話し掛けていた。おそらく、今どの曲をやっているのか、そんな類の話だと思われる。低い声だし、音楽に決定的にダメージを与えるほどではなかったが、やはり気にはなった。最前列に座をもった他の人たちは、熱心な音楽ファンなのだろう、青年の声がする度に、彼の方を振り向いた。明らかに不快の様子だ。演奏者の桐山も、気にはなっているのだろう、表情に変化は無かったが、時々彼に視線を落としていた。
私にもかつては知的障害者とつきあいをもっていた時期があった。この日のように、コンサートに連れて行って最前列に座ったこともあった。その時のことも含めて、この日の彼に寛容でありたいと思った。しかしながら、バッハの諸曲を鑑賞するにはやはり静寂と集中を要する。これが、最初に触れたようなお気楽な名曲コンサートなら、大して気にもならなかっただろうに。なんとも恨めしい。
イザイが終わったところで、桐山は、「次にプログラムには載っていませんが、誰でも知っている有名な曲を演奏します。」と言って、その曲を演奏しはじめた。
童謡の「ふるさと」だ。すると青年は、桐山の奏でる旋律にあわせて、小さな声だが歌いはじめた。桐山の表情が一瞬ほころんだ。続いて、その変奏が、素晴らしい名人技によって、次々に繰り出された。会場は和んだ。
演奏会の全体像から考えて、この「ふるさと変奏曲」は筋違いも甚だしい。熱心なファンの中には快く思わない人もいたかもしれない。料金を徴収してコンサートホールで催される演奏家では、絶対にこのようなことはないだろう。しかしながら、この日は違った。音楽にたいして関心のない人もいるだろう。無料だから来たという人もいるだろう。ひょっとしたら、あくまでも想像だが、その代表として、この知的障害の青年がいたのかもしれない。桐山が示した態度は、彼(ら)に対する最高のサービスであったのだ。
私自身は、その時は桐山の所行に疑問を感じた。しかし、帰りの車の中で考えた。その時の私は、寛容でありたいと望みながらも、面倒なヤツだという苛立ちを一方で感じていた。むしろ私は狭量であった。そこで桐山が示した態度は、ただ寛容であるだけでなく、来場した人をあくまでも音楽で楽しませようとする、音楽家としての献身であった。それを絶妙のタイミングでやってのける桐山はあっぱれであった。
(全文・主宰 写真,改行・石原健)