金時鐘先生
ついに金時鐘先生にお会いすることを得ました。
お住まいのある街に先生を訪ねました。さすがに、ご自宅に、というわけにはいきませんでしたが、駅近くのカフェで2時間じっくりと話を伺うことができたのです。
著書の中では決して語ることのないようなことも喋って下さいました。金先生の、たとえば『光州詩片』にみられるような、難渋でありかつ一瞬の弛緩も無い、張り詰めた詩表現の根拠を、感じとることができたような気がします。
八十歳を過ぎた高齢ながら、背筋をピンと伸ばし、胸を張って大股で歩く姿は、やはり特別な生命を与えられた存在という感じでした。
多くの詩の舞台となった、そしてその名が消されて久しい、猪飼野にも足を運んでみました。商店が切れて、何の変哲もない通りを、ゆっくりと歩いてみました。細い路地にもあえて足を踏み入れてみました。「種族検定」「果てる在日」「日々の深みで」「猪飼野橋」…、その詩句が断片的に思い出されました。
詩とは、文学とは、不思議なもの。それに出会わなければ、決してこんな風景の前でたたずむことはなかっただろうなあ。
かつて、金先生の奥さんが経営されていたという居酒屋「すかんぽ」にも行ってみました。店の一角に、金先生やこの店に集って来られると思われる文人たちの詩集や文芸誌が置かれているほかは、こぢんまりとした、ふつうの居酒屋でした。それがよかったのです。
(全文・主宰 写真,改行・optsuzaki)