『夏の花』フィールドワーク
8月5日、今年も『夏の花』フィールドワークに参加した。不世出の詩人小説家、原民喜が、自身のそして近親者の、広島での被爆体験を描いた小説『夏の花』に出てくる場所をたどってみようという趣旨である。主宰したのは、原民喜の研究会「広島花幻忌の会」だが、この催しの中心になっているのが、私の友人でもある竹原陽子さん。御年75になるという、民喜の甥にあたる原時彦さんが、この行脚に随行して下さったのも嬉しい。
昨年も同じ日に、竹原さんの案内で、ほぼ同じルートのフィールドワークがあり、参加した。実を言うと、私自身も、それまでに2度友人を誘って、『夏の花』フィールドワークを試みたことがある。だから、今回が4回目ということになる。
『夏の花』は不思議な小説だ。
この小説にはもともと広島の地図は付されていない。読んだことのある人なら感じることだろうが、この小説は地図がないと描かれた状況を想像しにくい箇所が少なくない。それでは地図を求めて、小説を読みながらたどってみると、さらに細部の疑問が生じてくる。そうすると、今度はその地に足を運んで確かめてみたいという欲求が高まる。そこで実際に歩いてみて何かを確かめたという気持ちになるのだが、また違う機会に改めて読み返してみると、また新たな疑問が生じてくる。そして、またフィールドワークに行ってみたくなる……。
『夏の花』は読まれることによって完結しない。作者自身は意図しなかったかもしれないが、小説は、描かれた場所に足を運ぶことを読者に要求しているように思える。
それは小説がそれ自身完結した価値を持ち得ていないからか。
そうではない。
『夏の花』が読む者を惹きつけるのは、何よりも、思想化・抽象化される前の、生(き)のままの被爆体験を、作者が捉えることのできる精一杯の視野で、地上にうごめく者の視点からのみ、描ききっていることである。たしかに、「原子爆弾」という言葉は出てくるが、後年の調査・研究と反戦・反核の思想によって意味づけられたそれではない。「愚劣なものに対する、やりきれない憤り」という印象的な叙述はあらわれるが、それが具体的には何なのか明示されていない、否、作者自身それが何を意味するのか、はっきりとイメージ出来なかったのではないか、と私には思える。原民喜は知識人ではあったが、哲学者でも預言者でもない、まして社会運動家でもない。
それから、原爆とは関係なく夭逝した妻の墓参りをしたときのことが、とりわけ美しく静謐な文体で冒頭に置かれているのも、不思議な魅力を放っている。原民喜は、基本的に私小説の作家なのである。
フィールドワークでは、「広島花幻忌の会」のメンバーや時彦さんに、かねて確かめてみたいと思っていたことを、投げかけてみた。自信をもっていたことが、私の見当違いであるのがわかったのもいくつかあった。それでも構わない。そのような営みにしか文学を読む喜びは立ち現れないのだから。
ひるがえって、私にとっての8・6とは何なのか、広島に滞在したこの3日間、ずっとそれを考えていた。
竹原さんに誘われて、初めて平和祈念式典に参加してみた。資料館にも入った。夜は、NHKスペシャル「原爆投下・いかされなかった極秘情報」を観て衝撃を受けた。現代美術館でオノヨーコ展も観た。その間にも、『夏の花』の断片が私の心の中にドローンのように繰り返していた。
結局のところ、いまの私には、『夏の花』に真剣に向き合うということからしか、この問いの前に立つことが出来ないことに気づく。それは、原民喜という一人の人間と向き合うことから8・6を考えるということであり、それ以外の方法は、いまの私には発想できないようだ。
8月6日の夕方、原民喜が被爆した地のすぐ近くにある、世界平和記念聖堂でフォーレの『レクイエム』を聴いた。鋭い感情を際立たせる、モーツァルトやヴェルディの『レクイエム』に比して、フォーレのそれはいかにも穏やかで、何も明示したり対象化したりしないような優しさがあった。『夏の花』での、眼に見たものを描写する、醒めた鋭利な筆致とはまったく異なるけれど、思想として形あるものに結晶するのを是としない態度において、どこか似ているように思った。そしてそれは、さびしいけれどどこか幸福感があった。
(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)