朝... 寒い... 眠い...
でも今日は、がんばって峠を越えて歩いてきた。
子供たちが10メートル位前を 歩いているのに追いついた。
一人だけ列から外れて、下り坂の真ん中を通る子がいる。
知らん子だけどどういうかな、とか考えている間に、
つい口が勝手に、
「真ん中を通りよ」
って、言ってしまった。
「はぁ?」 というか、どうするんというか。
そのまま男の子の帽子をポンとして、ピッチを上げた僕。
う~ん...。まあ、そういうことよ。わかるよな。
笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります
2012-01-31
2012-01-30
2012-01-28
大きな晩白柚
まず「晩白柚」、僕は読めなかったです。
ばんぺいゆ、と読むのだそうです。
八代の名産ですが、ザボンの仲間らしく大きななりをしています。
20センチくらいのものですが、なんでも25センチ以上でも
珍しくないのだそうです。なんと、これで小振りなのか~。
新年の挨拶に行ったとき、お供えになっていたものでしたが
あんまり立派なので、お店の奥に飾って日夜愛でていました。
先日から、食べごろサインの甘酸っぱい香りをほんわりと
放ちはじめたので、持ち帰っていただいてみました。
熟れるまでゆっくり待ってやったのが、良かったようです。
以前にいただいた土佐文旦もとてもおいしかったですが、
負けずこちらもナカナカです。
2012-01-27
2012-01-26
国立病院へ行く 2012
岡山医療センター(通称国立病院)まで、お見舞いに行ってきました。
車で行ったほうがアクセスが良いことは、いうまでもないのですが、
電車とバスで行きました。
もうここに移って10年にもなるのですね。
立派な病院が、岡山県内にあることがありがたく、
でも、岡山市民が羨ましい気もしました。
最上階に近い10階からの眺めは、素敵です。
早く自分で見られるようになりますように...。
2012-01-25
2012-01-24
忘れかけてたPRAMクリア
OS-Xでも、ひとまずPRAMクリアをやってみましょう、というお話。
原稿打ちに使っているMacBookで、いきなりブルートゥースの
マウスが使えなくなった。
電池がないかな... たまにあるリンク切れかな...
メニューバーのブルートゥースの接続状況を見てみると、
「bluetooth 使用不可」とまで表示される、さて困った。
こんなときは、PRAMクリアを思い返しましょう。
(再起動でなく、終了→電源ONで。)
OS9時代はよくやってましたが、安定してきた現況に
すっかり忘れていました。
OS-X(10.6.8)でも、この場合は有効でした。
ショートカットは以前と一緒。
そうだ、僕が使っていたのはMacでしたね(笑)。
純正でなくてLogicool M555Bなんです |
原稿打ちに使っているMacBookで、いきなりブルートゥースの
マウスが使えなくなった。
電池がないかな... たまにあるリンク切れかな...
どうやら違う。
メニューバーのブルートゥースの接続状況を見てみると、
「bluetooth 使用不可」とまで表示される、さて困った。
こんなときは、PRAMクリアを思い返しましょう。
(再起動でなく、終了→電源ONで。)
OS9時代はよくやってましたが、安定してきた現況に
すっかり忘れていました。
OS-X(10.6.8)でも、この場合は有効でした。
ショートカットは以前と一緒。
そうだ、僕が使っていたのはMacでしたね(笑)。
2012-01-23
30分早いと
最近は歩いてないんでしょう、とある方に言われまして...。
(じっと腹を見る)
いえいえ効果はあがっていませんが(笑)、知っている人は知っています。
今日は久しぶりにカメラを持って出ました。
最近、海を撮ると桁違いにレベルが違う方もそばに登場しまして、
もう、その方面は任したほうがいいのでしょうが、懲りずに撮ります。
伏越港の今朝の様子ですが、平生より30分早いだけで、
光線の違いがずいぶんあって、全く景色は変わって感じます。
早起きの写真は、三文以上間違いなく得ですね。
2012-01-22
はばたきの表紙をさわる
表紙は、家で言えば「玄関」だ。
その家の印象そのものにも、受け止められる。
玄関しか入ったことのないお宅が、ほとんどともいえる。
だからといって、豪華な間取りや調度品が良いともいえない。
きちんと片付いた下駄箱が、おかえり、と微笑むのなら。
ちなみに我が家の玄関は、靴が並ぶだけの小さなもの。
そう、PTA広報紙・はばたきの表紙。
大事なのはわかっているが、なかなかうまく組みたたず、
少し気持ちが焦り始めていた。
一度選んでいた写真を流して、最初から見直してみる。
不思議だ。自分がこだわっていたものと違うテイクの方が、
ずっと見通しが立つ...。
なにか、殻がパリッと割れたような瞬間だった。
その家の印象そのものにも、受け止められる。
だからといって、豪華な間取りや調度品が良いともいえない。
きちんと片付いた下駄箱が、おかえり、と微笑むのなら。
ちなみに我が家の玄関は、靴が並ぶだけの小さなもの。
そう、PTA広報紙・はばたきの表紙。
大事なのはわかっているが、なかなかうまく組みたたず、
少し気持ちが焦り始めていた。
一度選んでいた写真を流して、最初から見直してみる。
不思議だ。自分がこだわっていたものと違うテイクの方が、
ずっと見通しが立つ...。
なにか、殻がパリッと割れたような瞬間だった。
2012-01-21
2012-01-20
レオンハルト~マイルス~武久源造
レオンハルト~マイルス~武久源造
グスタフ・レオンハルトが亡くなった。遅れてきたバッハファンにとっては、グレン・グールドやカール・リヒターよりも、レオンハルトのCDで、バッハの名曲たちに初めて出会ったものだ。「平均律」「インヴェンションとシンフォニア」「フーガの技法」「音楽の捧げ物」「フランス組曲」「カンタータ」「マタイ受難曲」…思い返せば、全部レオンハルトから入った。オリジナル楽器によるバッハ演奏家として、レオンハルトの演奏したCDは文字通り画期的だった。だから、彼の逝去には感慨はひとしおのものがある。
残念なのは、一度もライヴを観られなかったことだ。三年前の春に、チェンバロリサイタルの切符を買っておきながらも、仕事の都合で行くことが出来なかった。それがいささか悔やまれる。しかし、その時はそれほどには思わなかった。なぜだろうか。
あの時、レオンハルトはすでに80歳であったのだから、二度と聴くチャンスはないかもしれない、とはぼんやりとは思っていた。でも、その後もう一度来日したおりには、聴きに行きたいとは思わなかった。
巨匠の時代は終わっている。その頃には、いまも継続している古楽の演奏会を時々催していた。鈴木秀美や若松夏美の演奏に完全に魅せられていた。音楽の都は、ウィーンでもパリでもアムステルダムでもなく、東京であり大阪であり、ひょっとすると自分たちの街でもある、そんな感じがあった。いま目の前にいる、私たちの国の音楽家に注目する方が、遠い国からやってくる老巨匠を遠くから眺めるよりも、ずっとリアルでラヂカルな経験だった。
ジャズについても似たような経験がある。マイルス・デイヴィスが最後に来日したのは、たしか1988年夏の「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」だったと思う。当時の私は、マイルスなんかに全然興味は無かった。お目当てはサンラ・アーケストラで、サンラを聴くためだけに大阪に行った。そのステージはほんとうに素晴らしいものだった。私は、この感動を薄めてはいけないと思って、サンラが終わったらいそいそとバスに乗って会場を後にした。次のステージのデヴィッド・サンボーンのご機嫌なサックスの音が、聴衆の大歓声とともに聞こえてくる。「馬鹿な奴らめ」と思いつつ、サンラの目くるめく演奏の興奮に浸っていた。トリに出演することになっていた、マイルス・デイヴィスは、その姿さえ見ることも無かった。いまもそうだが、ジャズを聴きにニューヨークへ行きたいなどとは思わない。(もっともニューヨークへ行ったら、ついでにジャズを聴くかもね)ジャズはとうの昔に中心を消失している。マイルスの死も巨匠の時代の終わりを意味していたのだ。
さてそれでも、レオンハルトを通して、私はバロック音楽の名曲に触れた。それは、やはり素晴らしいことだった、と言うほかはない。おそらく、ネット上にも雑誌にも、レオンハルト追悼の文字が多く出るだろうし、レオンハルトを近い場所で知っている人たちは、その人にしか持ち得ない感慨をもって故人を語ることであろう。私も、一読者として、興味深くそれらを読むことになるのだろう。でも、それはそれだ。
レオンハルトの愛聴盤はたくさんあるのだが、ベストはと尋ねられれば、「オランダのルネサンスとバロック・オルガン」(SEON)という一枚だ。その一曲目にあるブクステフーデの「プレルーディウムト短調」は何度も繰り返して聴いた。名曲だけにCDはいっぱい出ている。最近では、大塚直哉がチェンバロでやっている「トッカーレ」という題名の一枚(ALM)はたいへんおもしろいものだった。
実は、武久源造にこの曲を演奏してほしいと何度か依頼した。「はっは~またね」と例の豪快な笑いとともに、忘れ去られたかに思えたが、最近になって、この1月29日(日)の演奏会のプログラムにこの曲を加える旨を伝えてきた。
プログラムには載せるつもりはないが、武久源造のブクステフーデ「プレルーディウムト短調」は、レオンハルトへのトンボーとして、私は聴くことにしよう。そして、巨匠の時代へのトンボーとしても。
グスタフ・レオンハルトが亡くなった。遅れてきたバッハファンにとっては、グレン・グールドやカール・リヒターよりも、レオンハルトのCDで、バッハの名曲たちに初めて出会ったものだ。「平均律」「インヴェンションとシンフォニア」「フーガの技法」「音楽の捧げ物」「フランス組曲」「カンタータ」「マタイ受難曲」…思い返せば、全部レオンハルトから入った。オリジナル楽器によるバッハ演奏家として、レオンハルトの演奏したCDは文字通り画期的だった。だから、彼の逝去には感慨はひとしおのものがある。
残念なのは、一度もライヴを観られなかったことだ。三年前の春に、チェンバロリサイタルの切符を買っておきながらも、仕事の都合で行くことが出来なかった。それがいささか悔やまれる。しかし、その時はそれほどには思わなかった。なぜだろうか。
あの時、レオンハルトはすでに80歳であったのだから、二度と聴くチャンスはないかもしれない、とはぼんやりとは思っていた。でも、その後もう一度来日したおりには、聴きに行きたいとは思わなかった。
巨匠の時代は終わっている。その頃には、いまも継続している古楽の演奏会を時々催していた。鈴木秀美や若松夏美の演奏に完全に魅せられていた。音楽の都は、ウィーンでもパリでもアムステルダムでもなく、東京であり大阪であり、ひょっとすると自分たちの街でもある、そんな感じがあった。いま目の前にいる、私たちの国の音楽家に注目する方が、遠い国からやってくる老巨匠を遠くから眺めるよりも、ずっとリアルでラヂカルな経験だった。
ジャズについても似たような経験がある。マイルス・デイヴィスが最後に来日したのは、たしか1988年夏の「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」だったと思う。当時の私は、マイルスなんかに全然興味は無かった。お目当てはサンラ・アーケストラで、サンラを聴くためだけに大阪に行った。そのステージはほんとうに素晴らしいものだった。私は、この感動を薄めてはいけないと思って、サンラが終わったらいそいそとバスに乗って会場を後にした。次のステージのデヴィッド・サンボーンのご機嫌なサックスの音が、聴衆の大歓声とともに聞こえてくる。「馬鹿な奴らめ」と思いつつ、サンラの目くるめく演奏の興奮に浸っていた。トリに出演することになっていた、マイルス・デイヴィスは、その姿さえ見ることも無かった。いまもそうだが、ジャズを聴きにニューヨークへ行きたいなどとは思わない。(もっともニューヨークへ行ったら、ついでにジャズを聴くかもね)ジャズはとうの昔に中心を消失している。マイルスの死も巨匠の時代の終わりを意味していたのだ。
さてそれでも、レオンハルトを通して、私はバロック音楽の名曲に触れた。それは、やはり素晴らしいことだった、と言うほかはない。おそらく、ネット上にも雑誌にも、レオンハルト追悼の文字が多く出るだろうし、レオンハルトを近い場所で知っている人たちは、その人にしか持ち得ない感慨をもって故人を語ることであろう。私も、一読者として、興味深くそれらを読むことになるのだろう。でも、それはそれだ。
レオンハルトの愛聴盤はたくさんあるのだが、ベストはと尋ねられれば、「オランダのルネサンスとバロック・オルガン」(SEON)という一枚だ。その一曲目にあるブクステフーデの「プレルーディウムト短調」は何度も繰り返して聴いた。名曲だけにCDはいっぱい出ている。最近では、大塚直哉がチェンバロでやっている「トッカーレ」という題名の一枚(ALM)はたいへんおもしろいものだった。
実は、武久源造にこの曲を演奏してほしいと何度か依頼した。「はっは~またね」と例の豪快な笑いとともに、忘れ去られたかに思えたが、最近になって、この1月29日(日)の演奏会のプログラムにこの曲を加える旨を伝えてきた。
プログラムには載せるつもりはないが、武久源造のブクステフーデ「プレルーディウムト短調」は、レオンハルトへのトンボーとして、私は聴くことにしよう。そして、巨匠の時代へのトンボーとしても。
(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)
2012-01-19
2012-01-18
2012-01-17
阪神大震災から17年
2012-01-16
インフルエンザいよいよ
娘の隣のクラス(と下のクラスも)が、インフルエンザで学級閉鎖に。
そうか。きたな、とうとう。
あまり丈夫な方でない娘だが、こんなときに、案外けろっとしてるんですヨ。
でも、今日は眠くなったらしく、帰ったらもうスヤスヤ寝てました。
僕も、細心の注意でくぐるシーズンですので、今日はこのあたりで。
2012-01-15
2012-01-13
福山・ともんちゃの新メニュー
とうとう冬休み中に行けなかったのですが、昨日やっと行ってきました。
予定通り「ともんちゃバーガーたまご」を頼み、圧倒されながら
いただきました。ハンバーガーはここまで美味しいものなのかぁ...。
(2015/3 revisited 残念、パン・メニュー、なくなりました)
テーブルのメニュースタンドに、おお、新メニューが貼ってあるぞ。
カツカレー と (なんと)オムカレー 単品 750円 セット 850円。
そう、驚くのは新メニューもさておき、これらが、こちらで初の「カレー」メニューであること。
どうして今までなかったのか不思議なくらいだけど、それでも、単品カレーはしないあたりが、クールでともんちゃらしいっす。
予定通り「ともんちゃバーガーたまご」を頼み、圧倒されながら
いただきました。ハンバーガーはここまで美味しいものなのかぁ...。
(2015/3 revisited 残念、パン・メニュー、なくなりました)
テーブルのメニュースタンドに、おお、新メニューが貼ってあるぞ。
カツカレー と (なんと)オムカレー 単品 750円 セット 850円。
そう、驚くのは新メニューもさておき、これらが、こちらで初の「カレー」メニューであること。
どうして今までなかったのか不思議なくらいだけど、それでも、単品カレーはしないあたりが、クールでともんちゃらしいっす。
2012-01-12
カブニの仲間 第4回公演 ミュージカル「カブニのかくれんぼ まぁだだよー」のご案内
原作/辻山琢平
脚本 作曲/金池兼広
演出/山田代子
日時 平成24年3月11日(日)
開場13:30 開演14:00
会場 笠岡市民会館
・入場料
前売り券
大人 1,000円 中学生以下 800円
当日券
大人 1,200円 中学生以下 1,000円
・チケット販売場所
笠岡市教育委員会生涯学習課
笠岡市経済観光活性課
笠岡市市民活動支援センター
笠岡市民会館
主催/ 「カブニの仲間」
共催/ 笠岡市教育委員会
(財)笠岡市総合福祉事業団 吸江社
後援/ 岡山県 里庄町教育委員会
山陽新聞社 中国新聞備後本社
(財)笠岡文化・スポーツ振興財団
笠岡放送 笠岡文化連盟
助成/ (財)福武教育文化振興財団
(財)笠岡市総合福祉事業団 吸江社
(財)日本教育公務員弘済会 岡山支部
お問い合わせ先 0865-63-5987(伏本)
2012-01-11
新学期早々の文化広報部会
始業したか、部会が早いか位な(笑)。今年初めての文化広報部会でした。
いきなり、先生と子どもたちに頼んでいたアンケートがばっちり回収
できていて、なんかすごい気分が高揚しました。
2年間やってきて、これはなんか珍しいくらいの嬉しさ。
さあ、締め切りまでノリノリで参りましょう。
2012-01-10
地産池消なトマトのあめちゃん
お休み明け。
トマト銀行笠岡支店に入金に行ったら、同行80周年記念ということで
「とまとキャンディー」 を窓口でいただいた。
先日来、あめちゃんカゴを強化しているツザキには、強力な助っ人デス。
とはいえ、先着6個なので、お勤め帰りに速攻でどうぞ。
なんでも岡山県産のトマトを使用しているとのことで、
色のみならず味もトマト。
え、なんでわかる? そう、残りは5個、よ(笑)
トマト銀行笠岡支店に入金に行ったら、同行80周年記念ということで
「とまとキャンディー」 を窓口でいただいた。
先日来、あめちゃんカゴを強化しているツザキには、強力な助っ人デス。
とはいえ、先着6個なので、お勤め帰りに速攻でどうぞ。
なんでも岡山県産のトマトを使用しているとのことで、
色のみならず味もトマト。
え、なんでわかる? そう、残りは5個、よ(笑)
2012-01-09
2012-01-08
ジルバーマン・フォルテピアノ再び!
ジルバーマン・フォルテピアノ再び!
武久源造は、最新作のCD「New Perspective on BACH未来系バッハへの道」(ALM ALCD1127)で、全編にわたってジルバーマン・フォルテピアノを弾いている。この楽器を用いてのCDは「バッハmeetsジルバーマン・ピアノ」(ALCD1107)が出ているから、最新作はその続編と言っていいだろう。しかし内容は、前作がソロであったのに対し、今回はコンチェルトであり、ジルバーマン・フォルテピアノの可能性探究の いっそうの深化であり、言うまでもないことであるが、武久源造がこの楽器からいまも創造力を沸き立たせる何かを受け取っているということの証左であろう。
録音によるものなのか、楽器の特性なのか、この録音では、最小編成のアンサンブルとフォルテピアノとの、生々しいダイレクトな音のやりとりが聞こえてくる。さらに、フォルテピアノの内声部の音の動きが生き物のようにうねるのがよくわかる。題名は忘れたが、ソニー・スティット(テナーサックス)とバド・パウエル(ピアノ) らのセッションで、ソロのみならずバッキングに回ったバド・パウエルが、ぐいぐい コンボを引っ張っていく、あの音楽の推進力を思い出した。しかし、チェンバロになれた耳にはある種の違和感を覚えないでもない。それは武久源造自身が解説で語っているところであり、その違和感こそが音楽探究の偉大な源であり、それを「未来系」 と称する所以でもあるように思う。
正直なところ、筆者はバッハのコンチェルトの熱心な聴き手ではなかった。これまで 聴いてきたCDでは、上品だがどこかよそよそしい印象があって、その世界に没入していく何かが足りなかったような気がしていた。武久源造のバッハ:コンチェルトの求心力を、音楽的に説明するのは筆者には出来ないことだ。だが、歴史的考証を徹底しつつも、なおかつその先にある音楽の可能性を洞察する、大胆な直感と情熱は、不世出のこの音楽家にしかなし得ない境地と言えるだろう。
さて、桐山建志(ヴァイオリン)とのデュオの演奏会が近づいてきた。この演奏会で、武久源造は、そのジルバーマン・フォルテピアノを持って来る。どの曲でこの楽器を弾くのか、ヴァイオリンとの響きはどのようなものになるのか、興味深い。2010 年10月に我々が催した武久源造の2回目のリサイタルで、すでにこの楽器は紹介されている。古楽をただのもの珍しさだけでとらえるならば、それで済ましてよいかもしれない。しかし、我々はほんとうの音楽、生々しくリアルな音楽を体験したい。
(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)
武久源造は、最新作のCD「New Perspective on BACH未来系バッハへの道」(ALM ALCD1127)で、全編にわたってジルバーマン・フォルテピアノを弾いている。この楽器を用いてのCDは「バッハmeetsジルバーマン・ピアノ」(ALCD1107)が出ているから、最新作はその続編と言っていいだろう。しかし内容は、前作がソロであったのに対し、今回はコンチェルトであり、ジルバーマン・フォルテピアノの可能性探究の いっそうの深化であり、言うまでもないことであるが、武久源造がこの楽器からいまも創造力を沸き立たせる何かを受け取っているということの証左であろう。
録音によるものなのか、楽器の特性なのか、この録音では、最小編成のアンサンブルとフォルテピアノとの、生々しいダイレクトな音のやりとりが聞こえてくる。さらに、フォルテピアノの内声部の音の動きが生き物のようにうねるのがよくわかる。題名は忘れたが、ソニー・スティット(テナーサックス)とバド・パウエル(ピアノ) らのセッションで、ソロのみならずバッキングに回ったバド・パウエルが、ぐいぐい コンボを引っ張っていく、あの音楽の推進力を思い出した。しかし、チェンバロになれた耳にはある種の違和感を覚えないでもない。それは武久源造自身が解説で語っているところであり、その違和感こそが音楽探究の偉大な源であり、それを「未来系」 と称する所以でもあるように思う。
(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)
2012-01-07
2012-01-06
2012-01-05
親子達のペイヴメント
今朝はとても冷えましたね。雪を載せた車もちらほら。
凍った道を滑りそうになりながら、なんとか娘と早朝散歩。
そんな今朝の風景、といいたいところですが、ちょっと違うようです...。
ね、ワシンが写っています。おそらく2005年頃の写真です。
凍った道を滑りそうになりながら、なんとか娘と早朝散歩。
そんな今朝の風景、といいたいところですが、ちょっと違うようです...。
ね、ワシンが写っています。おそらく2005年頃の写真です。
2012-01-04
2012-01-02
2012-01-01
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