2025-12-13

笠岡駅前イルミネーション 2025

 



今回は雨の心配と、出演者の病欠のためステージが急遽縮小となったため、セッティングもよりシンプルなものになりました。楽器を持ち込まなかったのは、少し残念でしたが...

とはいえ、小さめのセットでもうまく取り回せて、感謝でありました。

撤収時には、スピーカーとミキサー、そしてMac miniだけ残して、次々と店にバラして運べたので、ギリギリまで音を出しておくことができました。これはいい余韻でしたね。


写真もいただいてしまいました^^

2025-12-12

あすから駅前イルミ

2025/10/30-08:31:27

もうイルミの季節、なんですよ、はい。

年中、ある華やかさを纏う場所では、そこにふさわしい飾り方と駅前らしい賑わいというテーマがありますが、それに対して美の専門家の立場から“芸術的な価値”を求めるのは、お角違いというものだと思うんです。

シリアスアートにこそ援助をとか、あんな残りもしないうわべだけのものを指してアートとは思えない、そこに予算を採る必要がなく、芸術の世界を動かしているのは、プロやアカデミズムだけだ というのは高慢な思い込みではないですか。

全国の小京都よ、そんな都のエリートの逆張りを見習うな。小さな町の小さな楽しみは、決して無駄ではないよ。


2025-12-11

やっと草刈り

 


雨までに なんとか通路の確保だけできました

 

2025-12-10

酔ったように紅く

 


最後の幾葉w 

2025/12/07-09:08:12

2025-12-08

巡る落葉に

 

2025/12/07-09:11:06

もう剪定したことなんか すっかり忘れるほど

2025-12-07

もふもふ

 


浄心寺の木蓮の冬芽。モフモフであります。
少し遅れますが(←言い訳)、歩くといろいろなものに目が向いていきます。

2025/12/07-09:12:19

2025-12-06

そんなに寒いの

 

2025/11/29-09:00:54

今朝はどうして 我が家の屋根だけ 霜が降りてたんでしょう


2025-12-05

冬に立ち向かう姿に

 

2025/11/22-10:55:01


この写真を撮ったころ、なんどか指先の動きや知覚に、限界を感じたものだった。

ともかくうまく直せない(と思えるほどの)修理や調製が相次いだ。商品が多様化したため、パーツや構造がメーカーによっては、互換性が乏しく独自になっているものがある。

誰かに頼めばできるものは、費用と時間が掛かってもそれが一番なのだけれど、納期とお客さんの都合で、外注できるものとできないものはある。製造元が先方の都合で販売ルートを制限してしまったような場合は、ことさらに難しい。

自店で販売したものは「これはすぐになおりません」とはなるべくなら言いたくないのだが、想像していたよりも時間がかかる場合は、もう待っていただくほかない。

問題はその作業時間の見通しが立たないときである。

そんな遅々として進まない作業に、全く違うポイントであるとき対応策を考え付くときがある。やはり切実感がなければ、知恵は出ないのかもしれないが。


パーっと視界が開けるようなちょうどそのとき、ちいさなアリが机を横切る。

彼もまた道を探していたのだろう。小さなプラケースにさえぎられた空間の下、隙間をすり抜けるように歩き去っていった。小さいからこそなし得る回避策、というのはあるものだ。


2025-12-04

しっかり休む

2025/11/20-14:50:51

 寒い一日 鍼をうってもらい 足の筋肉をブルブルと動かしてもらいました


2025-12-03

放送は見ないけど

2025/10/31-09:43:54

 いつかは ゆっくり見せてもらえるでしょ


2025-12-02

次へ向いていく

 

2025/11/27-14:49:41

片づけたり 掃除したり 入れ替えたり

次に向かうこの準備が大事です


2025-12-01

12月だよ

 

2025/11/15-09:03:36


今日通ったら まだ咲いていた いつまで楽しめるかな