笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2013-08-26

印画紙の小宇宙

昨日の掃除の時、もうひとつの収穫がありました。

あるお父さんから、
「撮っていただいたカット、いい感じに追い込めましたよ!」
と声を掛けられました。

時間を掛けていい感じになる、という感覚は、銀塩の感覚みたい...
と思った瞬間、思い出したのです。 卒業式の時、シャッターを頼まれた中に
お一人だけ大事そうにフィルム・カメラを手渡されたことを。

(そうか、あれはモノクロだったんだ。)

焼付をご自身でされたとのこと、ここでそんなお話がでるとは。
“バライタ”が、という話で、一気に盛り上がってしまいました。


モノクロの焼付を自分でやっていた頃に、ちょうどプラスティックコート紙
(WPとかRCなんかの) が登場、水洗いの速さと速乾性からもてはやされ、
従来の繊細なバライタ紙がみるみる減ってしまいました。
一方で、モノクロ写真の大事な蓄積を放棄したように思います。

大伸ばしの印画での、スポッティング(粒子をまねて点描する)やエッチング
(黒い部分の表面を小刀で削る)も、バライタならではの技術です。

いまバライタを使うのは、グレイの豊かな階調とか深い黒色の表現、
といった理由もさることながら、そこに物質があるというモノとしての力、
平たくいう存在感に依るんじゃないかと、お話をしながら感じました。

美術館とかで大きな写真に向き合うと、この感じはどなたにも理解できます。


ノスタルジアでない、印画紙の可能性はあると思います。

印画を粒子の集合としてとらえるのは、フィルムの焼付けに関してであって、
分子レベルの化学反応の場である印画紙そのものは、桁違いに高い
実の解像度があるはずです。

その上に舞う印画は、背後に広大なミクロの世界を湛えるがゆえに、
漆黒や無限の階調を表現できるのだと感じます。


フイルム向きと思われるこの方は今いずこ