インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part3 武久源造
前回は、文系の話でしたので、今回はやや理数系のお話、数字と配列について、です。
直ちに「ああ、つまらなそうだなあ」と思った人もいるかも知れませんね。 その気持ちは分かります。
しかしこれが、なかなか奥深い話ではあるのです。
さて、今回のリサイタルで、私が演奏するバッハの作品は合計30曲、その内訳は『イ ンヴェンツィオン』が15曲、『シンフォニア』が15曲です。前にも述べましたが、こ れは『ゴールトベルク』の変奏の数と同じです。これには何か意味があるのでしょうか。
これまで、ほぼ50年間、バッハの音楽と付き合ってきた私に言わせれば、バッハは何をやるにしても、「偶然そうなっちゃった」というようなことにはしない、全ては、 ある統一的な意図のもとに計算されている、という状態を好む人でした。特に彼は、数の象徴を好んで用いました。したがって、この15×2という数字にも深い意味があるはずです。
人類は、おそらく、その歴史の初めから、二つの数体系を持っていたと思われます。 それは、手や足の指の数に基づく十進法と、太陽と月の動きから導かれる十二進法で す。1年が360日ちょっとであることは、既に古代人の常識でした。360を12で割ると、30と言う区切りのいい数になる。30日は、月の公転周期の近似値でもある。そこで、古代人は、宇宙に12の星座を探し出し、日の出の位置がぐるぐる回る黄道十二宮を想 定して、1年12か月の暦を創ったわけです。また、1日の昼と夜とを2等分して、さら にそれを12等分したものを1時間とした。つまり、1日は24時間であるわけですが、地 球が1日に1回自転するのならば、1時間に動く角度は15度となります。さらに、この1 時間を60等分して1分とし、それを60等分して1秒とした。60という数は、十進法の10 と十二進法の12の最小公倍数です。まあこんなことは、ここで改めて言うまでもない ことですが、人間はこれをそのまま角度の体系にも応用した。それで、我々が角度を 測る時に、円の一回りを360度とし、直角を90度などとやっているわけですね。この、十二進法による、一回り360度の体系では、30度は都合のいい単位となります。たとえば、ホロスコープでも、星と星の角度が30度やその2倍の60度になると、プラスの作用を生ずる、つまり、運気がいいとされています。
一方、バッハは『インヴェンツィオン』と『シンフォニア』で、それぞれ15の長調と 短調を選んでいます。しかし、ご案内の通り、西洋音楽のシステムは12の音によって構成されています。したがってその12の音のそれぞれに長調と短調を数えるならば、全部で24の調があることになります。ということはつまり、『インヴェンツィオン』 では、九つの長調と短調が省かれたことになります。なぜ、九つの調を省いたのでしょうか。
実は、バッハはこの『インヴェンツィオン&シンフォニア』をまとめているころには 既に、『平均律第1巻』を準備していました。周知のようにこれは、24の長短調によ る前奏曲とフーガのセットです。これは当時としてはかなりの冒険でした。
なにしろ、変ニ長調や嬰ト短調などは、理論的には可能でも、バッハ当時の調律法で弾くと、そうとう汚い響きにならざるを得なかったからです。(しかし、バッハはこれを何とかしたらしい。いったい彼は、どのような調律法を用いたのか。それは、未だに結論の出ないなぞとなっています。)
バッハが『平均律』を構想した時、彼の念頭には先人フェルディナント・フィッシャーの『18の調による前奏曲とフーガ』のことが引っかかっていたに違いありません。フィッシャーは現実的に考えて、その当時用いられていた全ての調を網羅したわけです。 その数が18だった。『インヴェンツィオン』は15。そこには、シャープとフラット、 それぞれ四つまでの調が用いられています。しかし、例えばシャープ三つの嬰ヘ短調 や、フラット四つの変イ長調は入っていません。嬰ヘ短調などは、時折にもせよ、こ のころ既に用いられていたにも関わらず、です。もしも、バッハが、現実に用いられ ている調を網羅する気が合ったのなら、フィッシャーと同じく、18曲のセットにした はずです。このことを考えると、私には、彼はここで15と言う数字にこだわりがあっ たように見えてならないのです。それは、バッハが、宇宙の動きに基づく30、そして、その半分の15という数に魅力を感じていたからではないでしょうか。
さて、ここで、『インヴェンツィオン』の第1番を見てみましょう。その全体は22小節でできています。22という数は、ラテン語のアルファベットの文字の総数です。つ まりバッハはここで、「音楽のイロハを始めましょう」と、我々に呼びかけているか のようです。さらには、『インヴェンツィオン』の最後である第15番も同じ22小節。 実に念が入っています。
そして、第1番の主題は、8個の音譜から成る極めてコンパクトなものですが、22小節 の全曲中に、この主題は37回も現れます。37というのは、22+15です。つまりこれ は、アルファベット全体の数に、このインヴェンツィオン全体の数を足したものです。また、この37という数は、30+7とも考えられます。つまりそれは、神が宇宙を創造なさった7日、7曜日の7に、黄道十二宮の単位30度、一月の日の数を足したものです。
サテ、今度は曲の配列を見てみましょう。『インヴェンツィオン』も『シンフォニア』も、ハ長調に始まりロ短調で終わっています。つまり、ド・レ・ミの順番に並んでい るわけですが、バッハは最初からこういう順番を考えていたわけではありませんでし た。前に触れた『インヴェンツィオン』の前駆ヴァージョンである『ファンタジア』 では、調号のない曲に始まり、徐々に調号が増えていくような配列になっていました。
これは、後にショパンが、作品28として出版した『24のプレリュード』において採用 した配列法と同じです。音楽的には、こちらのほうが自然な考え方ですね。しかしそ れを、バッハはあえて変更し、ド・レ・ミ順、あるいは、アルファベット順にしたわけです。アルファベット順というのは、例えば辞書がそうであるように、人間にとっ ては一目で理解できる合理的な順序です。しかし、『インヴェンツィオン』をアルフ ァベット順に弾いていくと、曲ごとに調号がランダムに増えたり減ったりすることに なります。当時の一般的な調律法を用いるとすれば、結果的に、よくハモる調とあまりハモらない調がランダムに並ぶことになってしまいます。音楽的にいって、この配列はいかにも不自然です。バッハはなぜ、あえてこのような順番に変えたのでしょうか。
たぶん、そこに我々は、当時フランスから入ってきたばかりの新しい思想の影響を見 て取るべきであるかも知れません。それは、事物を自然の秩序から一度解放して、人間の考えた合理的秩序によって再統一するべきだと考える、ディドロ、ダランベール 等のいわゆる百科全書派の哲学です。これは、この後ドイツにおいても流行し、啓蒙主義=合理主義の時代精神を育んでいくのですが、まぎれもなくバッハもその時代の子であったわけです。
(全文・武久源造 写真,一部校正/改行・optsuzaki)
2012/11/12 revisited