創造的な音楽家は、自ら築いてきた場所でそれがいかに尊いものであろうと、そして自らの安寧を保証するものであろうと、そこに安住するのを潔しとしないものだ。
そういう注目すべき音楽家が、「古楽」の世界にも何人かいる。ジャンルとしての「古楽」を「クラシック」と一線をわかつものとするか否かは、意見が分かれよう。だが、「古楽」的視点をもって音楽史を眺めるならば、まだまだ未開拓の分野はありそうだし、誰もが知っている名曲を、いかに意匠を凝らし新しく聴かせようと呻吟するより、誰も手をつけないことに果敢に挑んでいくという態度の方が、気持ちいいし、何よりも新しい何かを発見する喜びがある。
鈴木秀美は、間違いなくそういうタイプの音楽家だと思う。
バッハの「無伴奏チェロ組曲」と言えば、カザルスの歴史的録音を凌駕するのは、鈴木秀美の2種類の録音をおいて他にあるまい。録音にとどまらず、楽譜の綿密な校訂・出版までやってのけ、この曲集の演奏史において巨大な足跡を遺している。ジャズ大衆舎が、2008年に催した2回のリサイタルを聴きに来て下さった方もいらっしゃるだろうが、その後の演奏会のアンケートでも、鈴木秀美のバッハをもう一度聴きたいという声をいくつも聞く。また、鈴木秀美はバッハ・コレギウム・ジャパンの通奏低音の要として、20年以上にわたって、カンタータや受難曲をはじめとする教会音楽を演奏し続けてきた。
これだけでも、おそらく鈴木秀美の楽界での地位は立派なものだが、彼はそこにとどまろうとしない。オリジナル楽器による、オーケストラ・リベラ・クラシカを組織し、ハイドンの初期・中期の交響曲を中心とした、だれも手を染めなかったレパートリーを開拓し、自ら指揮をして紹介したり、リベラ・クラシカ等の名手たちとアンサンブルを組んで、ボッケリーニやハイドン、モーツァルト、あるいはベートーヴェン、シューベルトの多様な室内楽を演奏する。さらには、モダン・オーケストラを指揮して、バロックや古典の名曲に新しい息吹を吹き込む…。
いったい一人の音楽家にどれだけのことが出来るのか、それに挑んでいるかのようだ。もちろん本人の才能や人格、経験、知識…、あらゆるものを動員して、一つ一つの演奏会が成立しているのだろうが、一方で、社会的・経済的な制約や圧力も相当なものであろう。
何が出来るか、どこまで出来るか、一回一回が勝負なのだろう。
尾道で、鈴木秀美のアンサンブルを聴くことが出来るのは、大きな喜びだ。プログラムは、モーツァルトのクィンテット2曲に、滅多に聴くことの出来ないボッケリーニのクィンテットが挟まれている、というのも嬉しい。また、私たちに馴染みの深い、若松夏美のヴァイオリンが聴けるのも、大きな楽しみだ。
ともあれ、4月尾道で、音楽を生きる者たちの道程に触れてみようではないか。
(全文・主催者 写真,改行・optsuzaki)