桐山建志 武久源造の公演が、終わって数日が経つ。
ゆったりと心をそこに置いている間もなく 、
月末のあわただしい時間は過ぎる。
にもかかわらず、余韻ではなく、体験そのものへ
フラッシュバックする陶酔感。
これは、なんだろう。
古楽であるとか、誰の曲であるとか、
はたまた、何で演奏されたかということでなく。
目の前で繰り広げられたのは、何物にもよらない
ただただ「音楽そのもの」だった。
私なりに、いろいろなアーティストの演奏に触れてきたが、
これほど「音楽そのもの」を感じたことは、意外なほどない。
ジャズ大衆舎・主宰は、次回の予定を口にしなかった。
あるいは、数ある区切りのひとつなのかもしれないが、
何かの到達点を感じさせる場であったことを
集った私たちは、きっと忘れない。