笠岡市 めがねと補聴器専門店・ツザキが お店の日常と 小さなまちでの活動などを綴ります

2012-11-30

トリオにやられました

いや、なんだかそんな語感でもあったのだが、まさか(笑)。

それは、こんなところか~い。あゝもうひと月経ったのか。


2012-11-29

Nikon F-801のそれから

先月捕獲したNikon F-801のその後です。

Nikon F-801に翻弄される

 

わりと小忙しい日が続いたので、ゆっくり付き合って
いなかったんですが、先日から気になり始めて、
ちょっと皆さんのトラブル対処法を調べてみました。

んー、丈夫でメンテ知らず!とか、挑発的なコメントが
多い(笑)。

1つずつ読んで頭を冷やして考えてみると、電池の問題が
浮かんできたのです。

そう、Eneloopの電圧の問題です。

結構多くのカメラで動作が確認できるので、つい油断
していましたが、F-801でうまくいくとは限らないですよね。

で、新品のアルカリ電池を入れたところ、立ちどころに
ほとんどの不具合が解消してしまったのです...。
まず、電源を疑う、というのはこういうカメラの基本でした。

キチンと動き出して実感するのは、基本性能の充実です。

ファインダーの明るさ、アイポイントの高さは前にも述べた
とおりですが、安っぽく感じていたジョグダイヤルも、実に
操作の絞り込みが良くて、使いやすいです。

今のNikonのデジタル一眼に慣れている方にとっては、
ちょっとした先祖帰りのようなもので、おそらくは何の
違和感もなくオールドレンズが繰れることでしょう。

ああ、F4、危うし(笑)。

F4のプレビュー鳴きのような経年的な弱点が、果たして
忘れられたこの銘機にはあるのでしょうか? もしなければ
Ai Nikkorを使うこれ以上優れたモデルは、ないような気がします。


2012-11-28

皆様にハンエイを

店内のフレームの値札は、サイズ、店頭参考価格を表側に、
裏側に仕入先を記して、ほぼすべてテンプル(腕)部分の
原則、左手につけています。

いろいろな札がありますが、最近のテンプルの太いものに
対応できるものは、そんなに無いと思います。

わたくしどもは、大阪の「ハンエイ」(06-6329-2272)という値札専門の
業者さんから仕入れています。太枠メガネ用値札 A-1という商品です。

いっぱいあるように見えますが、結構なくなっていって
いつもあわてて注文しますが、すぐ届いて安心です。




え、どこかのように全部同じお値段なら、札なんかいらないだろうって?

ワンプライス商品の落とし穴は、よく考えるとどなたでも
ご存知の商品、お寿司で例えると、腑に落ちます。

ウニも卵焼きも同じ値段なら、まあいいウニはないのが自然でしょう。
もし同じ値段で並ぶのなら、実は卵が高いのではないでしょうか。


ところで、今日は月食。えっ、そうだったかなという方も多いでしょう。
半影月食」ですね。はい、ハンエイつながりで、思い出しました(笑)

2012-11-27

井笠バスのその後・駅前の実感として

井笠バスがながい歴史を閉じて、ひと月近くなりました。

あれほど賑やかに歩きまわってた愛好家たちの姿も消え、
経営も新体制に移行して、ぱっと見は、なにもなかったか
のように赤白のバスが、今日も元気に走っています。

店内で感じられるのは、大きな車両が減ったせいか、
マンホールを横切る時の「ドーン」という振動音が
激減したというあたりです。

世相を斜め読みなさる方にとっては、異論があると思いますが、
市内の各地区の高齢者にとっては、便数やルートに
強い要望があることは、いうまでもありません。

非経済的なタテマエの話ではなく、市内の循環を担っているのは
なにも運転できる若い方ばかりではないのですから。



2012-11-26

そろそろ替えどきですので


他ならぬ自分のめがね、なんです。(笑)

そう、今のフレームになって、3年弱。
とても評判が良かったフレームだったんですが、
そろそろ傷みも目立ち始めました。

この間、各社のレンズを試しているので、
数回レンズを変えました。

先日から側方のぼやけも、以前より目立ってきて
どうなのかな、とは思っていたのですが、
測ってみると自分の度数そのものが変わってましたね...。

皆さまには、「変わりやすい年代では結構変わりますよ」と、
お話しているものの、おそらく今までで最も大きな変化の
幅に、ほぉ、という感じです。


今日のポイント
何もなくても、時々はチェックにお立ち寄りくださいね~。

2012-11-25

くるくるまわるものなんだ

さっきまでレコードプレーヤの掃除をしていた。
放っておくと、どこからともなくハムが乗るようになる。

毎日慌ただしく過ぎていったここしばらくだったが、
1つずつ終わって、さぁて次のポイントに向かう日。


一昨日の事になったが、友人の娘さんがふたりで
家に遊びに来てくれた。

おふたりともうちの娘達と、それぞれ同級生。
それはなんとも偶然なのだが、それぞれに仲がいいのは
偶然だとは思わない。

パパさんから、高校生の頃ダビングしてもらったカセットを
まだ持ってるよ、と聞いたことがある。

そんな頃から使い続けているレコードプレーヤに、
そっと針を下ろす夜。

2012-11-24

カトリック福山教会 パイプオルガン第10回定期演奏会のご案内


カトリック福山教会 パイプオルガン第10回定期演奏会のご案内

2012.12.2(日) 17:00開演

カトリック福山教会 聖堂 入場無料

主催・お問い合わせ/ カトリック福山教会 084-923-0614


シリーズ化しているカトリック福山教会の、パイプオルガン演奏会、10回目を迎えます。

2012-11-23

11月上旬に聴いた演奏会二つ/ ジャズ大衆舎 on web #10



11月上旬に聴いた演奏会二つ

風ぐるま 時代を越えて音楽の輪を回す 波多野睦美・栃尾克樹・高橋悠治
2012111()福山リーデンローズ小ホール

 「ことばを贈る」と題した、高橋悠治と波多野睦美のコンサートからわずか1年8ヶ月後に、この二人に栃尾克樹を加えたメンバーのコンサートを、その時と同じ会場に、客として聴きに行くことになるとは思ってもみなかった。しかし、その内容は、バリトンサックスが入ったからというだけではなく、前回とは随分違っていた。
 波多野睦美は、前回のチラシには、「歌」としたが、今回のそれには、「声」とあった。この場合、両者に本質的な違いがあるとは思えないが、それでも、コンサート総体の印象として、前回が「歌」であり、今回が「声」であることに、なかなか説明し難いのだが、不思議に納得がいく。

 コンサートは、パーセルの劇音楽から2曲がまず披露された。「ばらよりも甘く」「ダイドーのラメント」である。どちらも、語りの延長として歌があることを暗示させる小品であり、波多野睦美の歌い(語り)振りであった。この方向性は、後に演奏された、辻征夫の詩に作曲した、高橋悠治の三つの作品や、バッハの「わたしを憐れんでください」にも、引き継がれているように思った。

 波多野睦美は、ロマン派のオペラ歌手のような朗々たる歌唱をけっしておこなわない。ことばは歌を導き出し、また歌はことばに還っていく、そのあわいをこそ、表現しようとしているように思えた。これは、バロックの流儀と言っていいものだろうか。

 バロックの流儀と言えば、栃尾克樹のバリトンサックスの役割である。パーセルやバッハの歌曲で通奏低音的な役割をするのはわかるとして、クープランのヴィオル曲やテレマンのフルート独奏曲を、わざわざプログラムに挙げようとするのだから、もうこれはバロック宣言!とでも言えるような、徹底ぶりである。聴く者としては、ヴィオルやフルートと音色やアーティキュレーションの違いを、楽しむことになる。

 アンコールで演奏された「別れのブルース」は、こういったバロック路線の白眉とも言うべきで、波多野睦美の歌う、「窓を開ければ~」のメロディは、よく知られたままの、いわばコラールの定旋律のようで、高橋悠治のピアノと栃尾克樹のバリトンサックスが、オブリガートのように絡んでいくさまは、バッハのカンタータやブクステフーデのオルガン曲を連想させて、思わずにやりとさせられた。




VAN弦楽四重奏団 2012114() 宝泉寺(福山市神辺町)

 広島交響楽団のメンバーによる弦楽四重奏団の、宝泉寺での3回目のコンサートである。その1回目に感動した私は、2回目のコンサートに、ベートーヴェンの14番をリクエストした。なんとそれが叶えられたのはいいが、仕事が入ってどうしても聴きに行くことができず、主催者と演奏者にたいへん失礼なことをしてしまった。私自身もたいへん悔しい思いをした。これは、やはり仕事が突然入って、フリクションのライヴに行けなかったのと匹敵する悔しさであった。そんなわけで、今回は万難を排し、会場に一番乗りして、演奏者の間近で聴くことができた。

 前半は、コントラバスを加えた弦楽五重奏で、モーツァルト、ヨハン・シュトラウス、そして、ヴィオラが抜けて珍しいロッシーニと、軽いノリの曲が集められていたが、なんといっても、ハイライトは、後半演奏されたバルトークの弦楽四重奏曲第6番であった。もっとも、おおかたの客にとってはその逆であったろうから、演奏者は、四つの楽章ごとに解説を加え、「気持ちが悪くなったら、遠慮無く外へ出てくれて結構です。」とまで言って、たいへんな気の遣いようであった。しかし、その熱気溢れる演奏に、それは無用であったように思う。

 VAN弦楽四重奏団は、本拠地の広島でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏に取り組んだ。その完結後に、バルトークに取り組むことになったと聞く。まあ、そんなことをことわるまでもなく、前半の心地良さとはまったく異質のバルトークの音楽に、彼らの本音がそこにあることは、そこに集った人々は誰でも、楽しめたか否かは措くとして、すぐにわかったに違いない。

 さて、そのバルトークの6番だが、Mesto(悲しみ)の主題が、四つの、すべての楽章の冒頭に呈示され、重苦しい情感が垂れ込める。それが、楽曲全体を統一的な気分となる。ごつごつした岩場を喘ぎ喘ぎ疾駆するかのような息苦しさがある一方で、民謡風のどこかとぼけた旋律があらわれたり、ナチスの軍靴を思わせるような重々しい行進のリズムがあらわれたり…、第二次世界大戦が勃発した1939年に書かれたというが、暗鬱な時代を生きた作曲家の、見聞きしたものや、生き様そのものが、描き込まれているように思えた。この曲はヨーロッパで初演されることなく、バルトークは楽譜をもって、戦禍を逃れてアメリカに渡り、その地でやっと初演された。バルトーク自身は、二度と故郷の地を踏むことなく、1945年に客死した。

 武久源造に聞いた話だが、ハンガリー人は、ヨーロッパで、ユダヤ人の次に蔑視された民族であったという。

解説を交えつつ演奏を聴いていると、ちょうとそのときに格闘していた、金時鐘(キム・シジョン)の長編詩『新潟』とその印象が重なった。金時鐘が『新潟』を書いたのが1950年代の終わり頃という。ならば、バルトークの6番とは、わずか20年の開きしかない。しかも金時鐘は、この長編詩の原稿が散逸するのをおそれ、小型耐火金庫に入れて1970年に出版されるまで持ち歩いていたという。詩の中には、後年詩人によって明かされることになった、済州島43事件の生々しい記憶とそれを逃れて日本にやってきたことが描き込まれている。20世紀は、戦争と迫害、亡命、ディアスポラの世紀であったことが、図らずも意識された。

VAN弦楽四重奏団の演奏は、スマートなものではなかった。むしろ力いっぱいの、必死の演奏であったというべきかもしれない。しかし、それがおそらくバルトークの真実の音楽の姿なのだろう。たとえばアルバン・ベルク四重奏団あたりが演奏したら、もっと整然とした、あるいはこんなの楽なもんよと言いたげな、「完璧」な演奏になることであろう。でも、それはもはやバルトークではないのだ。

VAN弦楽四重奏団のリーダーと思しきは、ヴァイオリンの鄭英徳(チョン・ヨンド)という、関西弁の在日朝鮮人2世であった。

バルトークと金時鐘…、私の勝手な連想に過ぎないのだろうが、それを仲介してくれたのが、在日2世であったのは、偶然ではないように思うのだが…。

 (全文・主宰 写真,改行・optsuzaki)

2012-11-22

演奏会を終えて / ジャズ大衆舎 on web #9



演奏会を終えて

 夢幻の色彩感、自由闊達な語り口、得も言えぬ抒情、そして、がっしりとした物語の構築…、5月の武久源造による『ゴールトベルク変奏曲』は、「完璧」な演奏ではなかったが、すぐれて魅力に溢れた、まさにライヴの醍醐味を伝えるものであり、私たちと武久源造との関係において、一つの大きなエポックとなった。

さて、次のリサイタルの曲目として、『インヴェンツィオンとシンフォニア』が提案されたとき、正直なところ軽い失望を憶えた。バッハのチェンバロ曲で一番の人気曲であり大作である『ゴールトベルク』の後に何をやるか。何をやるにしても、『ゴールトベルク』を超える「何か」を提示するのは、たいへん困難な課題であるように思えた。そこで『インヴェンツィオンとシンフォニア』とはちょっとしょぼくはないか、…素人考えでそう思ったのだ。

武久源造は、リサイタルの一ヶ月前に、当ブログ掲載用にと『インヴェンツィオンとシンフォニア』の解説文を送ってきた。最初から“Part1”とあり、終わりに(続く)と記してあったので、2,3回分くらいが送られてくるのかと思っていたら、なんと『インヴェンツィオン』そして『シンフォニア』の曲数と同じ15回分の原稿が次々に送られてきたのである。それも、昼と言わず、夜と言わず、この人はいったいいつ眠っているのか、と思われるほど、矢継ぎ早に、弾丸のように送られてきたのである。

武久源造が、文筆においても卓越しているのは、その著書『新しい人は新しい音楽をする』(アルク出版2001)を読めばすぐにわかるのだが、それにしても、この解説は面白い。『インヴェンツィオンとシンフォニア』に直接かかわることはもちろんだが、『ゴールトベルク』との関係、数の象徴、調性、調律法、カークマン・チェンバロの構造と機能、演奏においてどのようなストップを用いるか…、等など、武久源造のよく使う言葉を借りるなら、より求心的な、そして遠心的な、双方からの話題の提供であった。

せっかくなので、演奏会当日は30部ほど印刷して、お客さんのなかで興味ある方に配布した。B5サイズの紙に印刷したところ、なんと52ページにもおよんだ。

多岐にわたる話題の中で、私がとりわけ注目したのは、ストップにかかわる叙述であった。手元にある何枚かの『インヴェンツィオンとシンフォニア』CDを、その叙述と引き比べながら聴いて、実際の演奏をあれこれと想像してみるのは、たいへん楽しい作業であった。そうしていくうちに、だんだんと演奏会への期待は膨らんでいった。もし、このブログを読んで下さっている方で、演奏会に足を運んで下さった方がいらっしゃったなら、同じようではなかっただろうか。

演奏会は、2部構成で『インヴェンツィオンとシンフォニア』全30曲が、武久源造の解説を織り交ぜながら、ゆったりと演奏された。『ゴールトベルク』の興奮はなかったが、そのかわり、しっとりとした、慈味に溢れた演奏だった。また、ストップ操作による音色の変化も、とりわけ『インヴェンツィオン』において、事前に「予習」したものよりずっと色彩豊かなものであった。

『インヴェンツィオン』は2声のシンプルな形で書かれているが、そのぶん2段鍵盤による音色の対比を効果的に表現することが可能となる。ここらあたりに、武久源造がこの曲集を『ゴールトベルク』の後に取り上げようとした、重要なモチーフの一つが蔵されているのではないか、とふと考えた。一方で、3声の『シンフォニア』では、内声部を右手左手双方で繋がなければならない。そうすると、二つの鍵盤を同時に使用することが出来ない。その分だけ、音の運動性に焦点をあてた演奏であったように思える。

その『シンフォニア』の中で、武久源造が唯一二つの鍵盤を同時に使用して演奏したのが、第5番であった。武久源造は、左手の分散和音を、上鍵盤でフロント8’にバフストップをかけて弾き、上2声の絡み合う旋律を、下鍵盤でバック8’で弾いた。この弾き方でCDにもなっているし、かつて尾道でのリサイタルでアンコールとして弾いたのも、同じやり方だった。武久源造の十八番と言ってよいだろう。まるでリュート歌曲のようなアイディアだが、こういうやり方をする演奏家を、私は他に知らない。

武久源造は、この曲集をバッハによる「チェンバロ詩集」だと評した。シンフォニア第5番のみならず、その香気は随所に溢れていた。そして、私は『インヴェンツィオンとシンフォニア』についていかにわかっていなかったか、その不明を恥じた。

(全文・主宰 写真,改行・optsuzaki)

2012-11-21

霧のむこうに



昼になれば なかったかのように

2012-11-19

笠岡路上観察研究会 写真集に触れて

写真集 去りゆく笠岡 生まれ出ずる笠岡 を拝読しています。

見慣れた景色 ・ 少し遠い見方 ・ 見落としていた角度 

同じものでも、人の数だけ捉え方は違うのですね。

知り尽くしたつもりの町だからこそ、
その違いが大きく、そして小さく。



2012-11-18

なにもかもを置き去りにして

それぞれ今日のイベント(もちろんお店も)に関わる皆様には、
勝手なことで本当に申し訳ないです。

そんな中、無事行って参りました、下関。
日程的な無理を押して行ったことには、
相応の収穫がありました。

朝、3時半起床ですので、さすがに眠いです。
また、追々に振り返ります...。





2012-11-17

学芸会2012が終わりました


今回の学芸会、何が素晴らしかったって、部員さんが一丸となって
撮影に臨んでくれたことです。

明るさと動きといえば、とても難しい被写体ですが、真正面から
それにぶつかってみないと、何もわからないいまま
活動の山場を通り過ぎるだけです。

さあて、整理、ですよ...。

2012-11-16

武久源造チェンバロ・リサイタル 11月18日いよいよ


武久源造チェンバロ・リサイタル
20121118() 17:00
日本キリスト教団福山延広教会(福山市本町1-6 084-923-0094

バッハ
「インヴェンツィオンとシンフォニア」(全曲)
主催:ジャズ大衆舎
tel. 090-5374-4485  e-mail: chopin-in-salsa@kba.biglobe.ne.jp

2012-11-15

インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part15 完結編

インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part15
完結編
武久源造
 
 
前回は、私が楽譜というものをどのように考えて演奏しているか、ということについ
て語っているうちに、例によってまた、話が広がり過ぎてしまいました。
さて、この連載もいよいよ今回でPart15.インヴェンツィオンと同じ数になってしま
いました。これまで読んでくださった皆さん、本当にお疲れ様でした。
この連載で私は、主に聴き手の皆さんに向かって語ってきました。したがって、演奏
の専門的な内容については、極力立ち入らないように努めてきた(つもりです)。そ
れなので、例えば、演奏家にとってはどうしても欠かせないテーマであるテンポや装
飾音の問題には、あえて触れてきませんでした。それらについて語り始めると、何冊
もの本ができてしまうからです。しかし、テンポのことについては、ここで一言触れ
ておく必要があるかもしれません。

バッハは『インヴェンツィオン』と『シンフォニア』の楽譜に、テンポを支持する言
葉は一切書き記していません。それでは、我々演奏家はどうやって曲のテンポを決め
たら良いのでしょうか。曲想から判断して、主観的に決めるしかないのでしょうか。
19世紀から20世紀にかけて出版された、これらの曲の楽譜は、多くの場合「権威ある
専門家」が楽譜を肯定していて、そこではそれぞれの曲にアレグロやアンダンテなど
のテンポ標語が(勝手に)書き込まれています。また、これらの曲の録音も、今まで
に数限りなく出ていますが、私の目から見ると、テンポに関する限り、それらの演奏
解釈は、かなり主観的に過ぎる、と言わざるを得ません。

バッハの時代、ドイツでは未だに中世音楽の伝統が生き残っていました。それによれ
ば、テンポはまず拍子記号によって支持されます。基本音価を中心に体系化された記
譜法の理論によって、例えば4分の4拍子なら、ほぼこのぐらい、8分の3ならばこのぐ
らい、という風に、だいたりのテンポの枠組みが決まっていたのです。しかし、それ
では4分の4拍子なら、いつも同じテンポになるのでしょうか。それではあまりに窮屈
ですね。もちろん、そんなことはありません。ここで演奏家が注目しなければならな
いのは、
1)曲想を決定している基本音譜の速さ、
2)リズムの面から見た場合の1小節内のアクセントの数、
3)和声変化の密度、
の3点です。これらを考慮しつつ、拍子の枠組みの中で、1曲1曲の最適なテンポを柔
軟に決めていくわけですが、それは上に列記した客観的な指標に基づいて決定しうる
ものです。なるほど、そこには、主観的な判断も関わってくることは避けられません
が、それは、現在一般に信じられている「常識」とは違って、極僅かなものです。
我々
は、バッハの時代の「常識」を学び、それに親しみつつ、さらに我々自身の長年の経
験によって、その知識を肉体化しなければなりません。そうして初めて、それぞれの
曲の最適なテンポを見出すことができるのです。それはまた、楽器の状態、演奏会場
の響き具合、または、その場の温度や聴衆の集中度などによっても、微妙に影響され
ます。かつて、大指揮者チェリビダッケが言った「ベルリンのテンポを、ロンドンに
持っていくことはできない」という言葉は、私もいろいろなところで実感させられて
います。つまり、最適なテンポというものは、コンサートの度に、そこでしか味わえ
ない1回限りのものなのです。だからこそ、我々は長年の経験を積む必要があるので
す。

もう一つ、テンポに関して重要な問題があります。それは、そもそもテンポをどう感
じるか、という問題です。20世紀は、機械文明の時代でした。我々は、こちこちと正
確に動く機械に囲まれています。それによって、我々の生活感覚、時間間隔も根本的
に影響されていて、機械的に正確に動く物を美しい、かっこいいと感じる美意識が瀰
漫しています。

一方、今から100年以上前に録音された19世紀の名人たちの演奏が、レコードやピア
ノ・ロールの形でかなりの量残されています。それを聴くと、彼らのテンポ感が、
我々
のそれとはそうとうに違っていることに、嫌でも気づかされます。もちろん、19世紀
の演奏スタイルもいろいろあったので、一概には論ぜられないのですが、少なくとも
彼らが、機械的な正確さを求めていなかったことは確かです。では、バロック時代に
はどうだったのでしょうか。これは、当時のいろいろな証言を読んで推測するしかあ
りませんが、例えば彼らが「正確な演奏」と言うときにも、我々が思うような機械的
な正確さではなかっただろうということは確かです。

このことを前提にしてお聴きいただきたいのですが、バロック時代には、大きく2種
類のテンポ概念がありました。その二つとは、Tempo della mano(手のテンポ)と
Tempo dell'affetto(感情のテンポ)です。これを定式化したのは、モンテヴェルデ
ィを中心とするイタリア人たちで、彼らの新しい活動によっていわゆる「バロック時
代」が始まったのでした。それは、バッハのほぼ100年前のことです。

手のテンポとは、つまり、指揮者によって導かれるテンポであり、これによって、イ
ン・テンポの音楽となります。バッハ作品でいえば、オーケストラ付のコンチェルト
などはその例です。それに対して、感情のテンポとは、個々の奏者が、アフェット
(感情)に従って、自由にドライブするテンポのことです。ただし、ここで言う「感
情」は、19世紀流の情緒(エモーション)とは違います。気ままに揺れ動き、次にど
うなるのか予想が付かない、といったロマン派的な情緒とは異なり、バロック時代の
「感情」は、客観的に類型化された心理現象、つまり、悦び、悲しみ、嘆き、感応な
ど、万人に共通の感情であって、バロック時代の芸術家たちは、それらの感情のそれ
ぞれに相応しい合理的な表現手段を探し求めたのでした。音楽では、独奏、独唱、お
よび、小アンサンブルの作品で、特にこのアフェット表現が追及されました。『イン
ヴェンツィオン』と『シンフォニア』もまた、この種類に属することは、言うまでも
ありません。

『インヴェンツィオン&シンフォニア』の1曲1曲が、それぞれ、悦び、悲しみ、快
さ、
嘆きなどの、人間感情(アフェット)の深みを表現していることについては、この連
載でも、調性格論と結びつけながら詳述しました。これを考えるとき、バッハはけっ
して、これらの曲を「子供用の作品」とは見ていなかったことが分かります。「子供
用の曲」と私が言うのは、現在世の中に流布している、いわゆる「子供のための教
材」
のことです。なるほど、バッハは『インヴェンツィオン』を、長男フリーデマンのた
めに書き始め、その後、相次いで生まれた子供たち、また、弟子たちの教育の為に用
いました。しかしそれだからといって、バッハは、ここで、曲のレベルを下げたり、
内容を単純素朴なものにしたり、無邪気なものにしたりはしていません。それどころ
か、『シンフォニア』第9番に見られるように、バッハ作品の中でも、最も深い宗教
的悲しみを湛えた作品すら、ここには含まれているのです。これに対して、今日で
は、
子供は素朴であり、無邪気であり、素直であり、…(あるいは、そうあって欲しい)
と我々は思い込んでいるのではないでしょうか。したがって、子供のための作品も、
かわいくて、無邪気で、分かりやすくて、…という風な類の物が、我々の周りに溢れ
ています。これは、近代人の子供感に基づくものです。

フランスの歴史家フィリップ・アリエスが、あの『子供の誕生』を発表したのは1960
年のことでした。「子供は、近代になって発見されたものであって、それまでは、子
供と言うものはいなかった。中世には、彼らはあくまでも、小さな大人であった。」
というショッキングな仮説は、我々の記憶に新しいところですね。この仮説は、大議
論を巻き起こし、いろいろ反論も出されているようですが、『インヴェンツィオン』
におけるバッハの態度を見る限り、アリエスの仮説は、かなり当たっているように思
われます。

「『インヴェンツィオン』は、けっして子供用の作品ではない」と、声を大にして、
時としては怒りを込めて主張したのは、チェンバロの復興者ワンダ・ランドフスカで
した。彼女がそれを言ったのは、特に、第2次大戦後、彼女がアメリカに亡命してか
らのことです。アメリカでは、主にピアノでの演奏の難度から判断して、鍵盤曲を何
段階かのグレードに分けて分類する習慣があります。ランドフスカは、これに怒りを
発したというわけです。『インヴェンツィオン』は、後のピアノ音楽の楽譜と比べれ
ば、確かに、簡単で、単純な音楽に見えます。しかし、それは表面上のこと。これら
の曲をチェンバロで、真に味わい深く聴かせるためには、該博な知識、成熟した感
性、
および、極めて高度な演奏技術とを要する。そのことをランドフスカは、あちこちで
語り、また、文章にしています。私も、この点、全く同感であることは、ここまでこ
の連載に付き合っていただいた方には、容易に推察していただけることと思います。

この稿の最初に述べた通り、『インヴェンツィオン』と『シンフォニア』は、バッハ
が我々に残した「チェンバロ詩集」であり、彼の「音楽日記」であり、また、彼の
「研究ノート」でもあるのです。その1ページ1ページを、共に紐解こうではありませ
んか。なんと、わくわくすることでしょう。このような宝を残してくれたバッハに、
心からの感謝を、そして、これを共に味わう皆さんには心からの友情を捧げて、この
書き物を終えたいと思います。

 (全文・武久源造 写真・optsuzaki)
※Part15のみ改行編集及び校正なしで、掲載とさせていただきました。

2012-11-14

インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part14

インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part14
武久源造 
 
 
 
前回は、私がこのコンサートに使おうと思っているチェンバロのストップの組み合わ
せについて具体的に例示しつつ、説明しました。かなりややこしい話なので、読まれ
た方の中には、うんざりされた方もあったことでしょう。だとしたらごめんなさい!

しかし、ともかくも、これらの音色を使うためには、事前の準備が重要です。繰り返
しになりますが、今回用いるチェンバロには2段の手鍵盤があります。このチェンバ
ロの音の数は61ですので、鍵盤の数はその2倍で122になります。これらの鍵盤は、温
度変化によって動きが悪くなることもありますので、それを万全に手入れする必要が
あります。
さらに、このチェンバロにはジャックが4列あります。ということは、音の数の4倍で
244本のジャックがある、ということです。つまり、それだけの数の爪を最良の状態
にヴォイシングしなければならないわけです。
また、弦は3セットありますので、音の数の3倍、即ち合計183本となります。これを
全て適切に調律する必要があります。これだけの準備をして初めて、前回述べたよう
な音色を、十分に使える状態になるわけです。なかなかしんどい話ではあります。

毎回コンサートの前には、必死になってこれらの作業をするのですが、やはり、全て
の面で、常に完全な状態に、とはなかなか行かないこともあります。そういう場合に
は、いくつかのレジストレーションは使えない、あるいは、演奏しづらいということ
にもなりかねません。
もちろん、そのような事態にならないよう、今回もベストを尽くしますので、安心し
てくださって大丈夫ですよ(苦笑)。

さてここで一言、チェンバロ演奏における楽譜の問題について触れておきましょう。
今回の演目は、皆さんおなじみの曲ばかりだと思います。中には、インヴェンツィオ
ンならば全て憶えている、という方もいらっしゃると思います。そういう方が私の演
奏を聴かれた場合、「あれっ、楽譜と違うぞ」と、いぶかしく思われる個所がいくつ
かあるかも知れません。そうです。私は、いわゆる「バッハの譜面通り」には弾いて
おりません。これにはいくつかの理由があります。まず、前述のようにバッハはこれ
らの曲を何度か楽譜に表しておりますが、その都度少しずつ変えています。良く知ら
れた例としては、『インヴェンツィオン』の第1番。今残っているバッハの自筆譜で、
最後に書かれた楽譜では、この曲の3度跳躍の部分が埋められています。つまり、主
題のド・レ・ミ・ファ・レ・ミ・ド・ソの中の、ファ・レとミ・ドのところが、ファ
ミレ、ミレドと3連譜で書かれているのです。このように、元々3度富んでいるところ
を、間を埋めるように音を入れて繋ぐのは、フランス風の装飾の中の、いわゆるティ
エルス・クレ(3度走音)と呼ばれる技法です。『インヴェンツィオン』第1番に、こ
のティエルス・クレを付けて弾くのが、バッハが最後に到ったこの曲の姿、即ち最終
稿であるのなら、皆それを尊重してそのように弾くべきだ、と主張する学者も多いの
です。しかし、世の大半の演奏家は、そのようには弾かず、バッハがより初期に書い
た装飾なしのシンプルな形で弾いています。これは、どちらが正しいのでしょうか。

……

誤解を恐れずに言うなら、音楽を含めてあらゆる芸術表現に、正誤の違いはありませ
ん。したがって、ここでも「どちらが正しいか」という問題の立て方そのものが間違
っているのです。正しいか、正しくないか、という区別は音楽にはない。あえて言う
ならば、好きか、嫌いか、という区別があるだけです。仮に、バッハその人に質問で
きたとして、「これは、どちらの形で弾けば良いのでしょうか。シンプルな方でしょ
うか、装飾付の方でしょうか」と訊いたとしても、おそらく、「君のお好きなよう
に」という答えしか返ってこないでしょう。

しかし、今私たちが子供たちを教育する立場からすると、いつも、「君のお好きなよ
うに」と言ってばかりでは巧くいかない、というのもまた事実です。ある種の先生と
しては、やはり立場上、「これが正しい弾き方である。だから、あっちの弾き方は間
違いである」と言わねばならない。この、見かけ上の矛盾が、いわば、世界のクラシ
ック音楽界を混乱に陥れている元凶なのです。

「ということは、武久さんは、バッハの譜面を無視しても、自分の好きなように弾
く、ということなのですか」という質問がどこかからやってきそうですね。
答えはもちろん「否」です。私は、可能な限り、バッハの残した譜面は全て見ます。
これは何も、バッハに限ったことではありません。過去の巨匠たちの音楽に向かうと
きは、いつもそうです。恋人から来たラブレターででもあるかのように、それらの楽
譜の細部の意味まで理解しようとし、さらには、裏に隠された背後の意味まで推測し
ようと、毎日頭を搾っているのです。そうして、いざ自分が弾く時には、まるでラブ
レターに返事を書く時のように、興奮を抑えつつも、相手を尊重し、相手に嫌われな
いように用心してかかります。しかし、ラブレターの場合もそうですが、ただ、相手
の顔色ばかりうかがっているだけでは、やはり、いずれは嫌われてしまうでしょう。
時には、こちらも大胆に「あなたが本当に言いたいのはこういうこと?」、「でも、
私はこう思うのですよ」と言うような気持ちを込めることもある。

いや、言うまでもなく、バッハは私などがその足元にも寄れないほどの達人です。な
れなれしく口をきくのも憚られます。しかし、バッハの霊(そのようなものがあると
して)と対話することは、たぶん許されるし、バッハもそれを喜んでくれるのではな
いかと思うのです。この記事の最初の方で述べましたように、目に見えない者とのコ
ミュニケーションが、古代以来、西洋でも東洋でも、我々の教養の第一歩であるとす
れば、そしてたとえば、孔子が示唆しているように、亡くなった人が、今なお微かに
発しているメッセージを聞き取ろうとすることが、我々生きている者の最重要の務め
であるのならば、音楽は、その最も美しい手段となりうる、と言えるでしょう。

さて、では、私が『インヴェンツィオン』第1番に関して、いかなる結論に至ったか
ということですが、私は、世に行われている大半の演奏とは違って、ただシンプルに
は弾きません。かといって、多くのバッハ学者が主張しているように、この曲の3度
を全て3連譜で埋めることもしません。では、どうするのか。…

それはコンサートにお出で下さって、皆さんどうかご自分の耳で確かめてください。
第1番だけではなく、私は、随所で、一風変わった弾き方をしたり、楽譜にはない装
飾を入れたりしています。もしも、それらを判断する基準があるとすれば、それは、
チェンバロと言う楽器、そして、バッハの音楽を、私がどれだけ愛しているか、それ
が、独りよがりの独善的な思いに堕することなく、開かれた生きたコミュニケーショ
ンを生み出し続けているかどうか、という点に求められるでしょう。そして、それを
最終的に判断してくださるのは、聴き手の皆様御一人御一人に他なりません。

ところで、バッハは、当時としては異例なほどに、ヨーロッパ各国の先人、および、
同時代社の作品の楽譜を集め、自ら写譜しています。コレクターとして、かなりの
「おたく」だったと言えるでしょう。したがってバッハの作品を弾く時は、我々も、
視野を広げて、少なくともバッハが知っていた範囲の音楽は知っておくべきです。そ
れらの音楽の語法を掌中に収めることで、「バッハなら、ここでこういう風に弾いた
可能性もあっただろうな」と、創造の翼を広げることができるからです。しかし、お
そらく、それだけでは足りないでしょう。バッハ以後、ハイドンもモーツァルトも
ベートーヴェンも、シューマンもショパンもブラームスも、または、ドビュッシーや
ラヴェル、チャイコフスキやスクリアビン、はたまた、滝廉太郎や山田幸作にしても
みんなみんな、『インヴェンツィオン』を始めとするバッハ作品を弾き、それを憶え
自分の音楽の糧としてきたのです。(あまり知られていないことですが、滝廉太郎は
ピアニストとして、バッハの『イタリア協奏曲』を日本初演していることは、注目に
値します。)我々の演奏は、これらの先人たちの営みの延長にあるのです。したがっ
て、たとえば、ベートーヴェンがバッハをどのように弾いたのか、ということも、
我々は知っておくべきだと思います。(ベートーヴェンの演奏法に関しては、その弟
子のツェルニーの書き残した物から、ある程度推測することができます。)または、
これもあまり知られていないことですが、ショパン、リスト、ヒラーという、当時の
3大名人が、バッハの『3台のチェンバロのための協奏曲』を、ピアノを使って公開
演奏した際(おそらく、復活初演)、彼らがどのようにバッハの譜面を弾いたのか、
ということに思いをはせてもいいでしょう。我々は、今日バッハを弾く時、バッハの
霊だけでなく、これら、その後に現れた巨匠たちの霊とも対話するべきだと、私は思
っています。

さて、対話というものは、相手の言うことばかり聴いていては成り立ちません。こち
らも雄弁に語らなければならないのです。バッハを弾く時、私が日本人であること、
そしてそれゆえに私が血の中に持っている(はずの)邦楽の音階や音組織への傾斜を
も、私はけっして捨てようとは思いません。また、私が世界各地で経験した民族音楽
特に、20世紀後半が産み出した最高の音楽(と私が信ずる)ジャズの体験を、遠慮な
くバッハにぶっつけます。そうでないと、私の全霊を打ち込んだ誠実な対話にはなら
ないからです。しかし、このような対話では、必ずしも何かの答えが、直ちに得られ
るわけではありません。むしろ、何らかの答えを得ることが目的ではないのです。
対話をしようとする心の在り方そのものに意味があるのです。対話を根気よく続けて
いるうちに、「私は、こう弾こう!」という確信が、理屈ではなく、何かとても暖か
い気持ちと共に、湧いてくる。こういうときに、彼らとの対話の意味を痛感するので
す。これが、私にとって、創造的演奏の産まれる瞬間です。

このように、音楽に限らず、目に見えない者、耳に聴こえない者との生きたコミュニ
ケーションこそが、我々の未来を創り出す唯一の手段であると、私は信じているので
すが、しかしそれにしても、そこに愛がなければ、上に書いたことは、全て空しい雑
音でしかなくなるでしょう。この「愛」という言葉は、そのまま「キリスト」という
言葉に置き換えても同じことなのですが、…

うーん、これ以上書くと、『コリント人への手紙』の中になだれ込んでしまいそうな
ので、今回はここまでにしておきます。
 
(全文・武久源造 写真,一部校正/改行・optsuzaki)
 

2012-11-13

インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part13

インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part13
武久源造 
 
 
前回は、チェンバロのストップ操作による音色の変化について語るつもりが、少し話
の路線が変わってしまいました。
我々の先人たちが開発した、チェンバロ演奏の技法と、チェンバロ音楽の解釈の手法
には、実に多種多様なものがありました。その中には、モダン・チェンバロの名手た
ちが発展させた方法もあり、また、ヒストリカル・チェンバロの時代になって発見さ
れた新しい(実は古い)方法もありました。さらにチェンバロ演奏には、まだまだ未
知の部分、未開拓の領土が広がっています。時折にもせよ、新しい(しかしやはり、
本当は古い)演奏の秘訣を発見する瞬間が、私のような菲才な者にも訪れます。そう
いうとき、一瞬有頂天になったりもしますが、次の瞬間、ひょっとしたら、これは世
界中の人たちが、みんなとっくに知っていたことであって、知らないのは私だけだっ
たのかも知れない、などと思って、妙にやるせなくなったりもします(笑)。

さて、今回は、私が来る18日の演奏で、どの曲にどういう音色を使おうと思っている
のか、具体的に語ってみたいと思います。このコンサートは、全体のデザインとして
は、前半のインヴェンツィオンでは、より多彩で大胆な音色の変化を試み、後半のシ
ンフォニアでは、より落ち着いた緩やかな変化を考えております。
ところで、今回の原稿執筆には、意外に時間がかかってしまったのですが、それは実
は、私がこれを考えている間に、いくつか新しいことを発見してしまったからなので
す。この解説のPart11で私は、今回用いるチェンバロでは・13種類の異なる音色を作
れる、と書きましたが、実はその後、ちょっとしたアイディアを思いつき、今では合
計17種類の音色を創れることが分かったのです。その内、今回の『インヴェンツィオ
ン』の演奏では新発見の音色も含めて、13種類のレジストレーション(ストップの組
み合わせ方)を用いようと思います。ここで私が、新発見と言っているのは、主に共
鳴弦の使い方に関するアイディアです。
それらを、ここでできるだけ詳細に解説しておきましょう。このように、演奏に先立
って、当日用いるチェンバロのレジストレーションを公開し、それについて解説する
などということは、私も初めての経験ですし、今までにそのような例を聞いたことも
ありません。そういう意味では、これは画期的な新機軸と言えるかも知れません。
とはいっても、ここでは主にインヴェンツィオンについて語り、シンフォニアについ
ては、やはり、当日のお楽しみ、ということで、あえて多くを語らないことにしてお
きます。
また、以下の解説では、できるだけ分かりやすく語りたいと思いますが、どうしても
チェンバロの専門用語をいくらかは使うことになります。ご不明な方は、どうか、私
の前の記事も参照してくださいね。

『インヴェンツィオン』第1番を、私はまずバック8'のソロで弾き始めようと思いま
す。このストップは、一般にチェンバロ演奏では、最も頻繁に使われるものです。こ
れを、チェンバロのメイン・ストップと信じて疑わない専門家も多いのです。しかし
私は必ずしもそうではないと考えています。なるほど、このバック8'のジャックは、
下鍵盤に乗っており、つまり、これは下鍵盤で弾くストップであるわけですが、2段
あるうちの下鍵盤というのは、オルガンの場合ならば主鍵盤です。したがってチェン
バロでも同じように、下鍵盤を主鍵盤と考えても良さそうです。

しかし一方、チェンバロの歴史では、このバック8'のジャック列は、比較的後期にな
ってから付け足されたニュー・フェースでした。たとえば、16世紀の北ヨーロッパで
一般的だった、1段鍵盤のみのチェンバロでは、8'は、多くの場合1列しかなく、それ
は、後の2段鍵盤チェンバロでいうところのフロント8'と同じ位置に置かれたストッ
プでした。それを考えると、バック8'ではなく、フロント8'こそが、長い歴史を通じ
て、チェンバロの不動のメイン・ストップであった、と言ってみたくなります。

まあそれはともかくとして、バック8'は、強い、幅広の爪ではじくならば、オーボエ
に似た太い音を出しますが、弱い細めの爪ではじくことによって、ヴァイオリンに似
た音にすることもできます。爪の削り方(ヴォイシング)によって、音色はかなり変
わります。したがって特に、チェンバロの爪は、我々演奏者が自分で削り、つまりヴ
ォイシングして、その時々のプログラムや会場の響きに合わせて、最適化する必要が
あるのです。福山延広教会にあるカークマンの場合、私はこのバック8'を、基本的に
は、ヴァイオリン寄りの音色になるようヴォイシングしました。したがって、第1番
は、ヴァイオリンとチェロの2重奏、というたたずまいで響くことでしょう。
さて、前述のようにこの曲では、第15小節から反行フーガが始まります。ここで私は
手を上鍵盤に上げて、フロント8'で弾こうと思っています。既に述べた通り、フロン
ト8'のジャックは、奏者から見て、バック8'の手前にあって、弦の端近、つまり、や
や駒寄りのところをはじくジャックです。このストップの音は、爪を強め幅広にすれ
ば、コルネット(ツィンク)のような音色になり、逆に爪を弱く細くすれば、フルー
トのような音色が得られます。ここでフルートと言うのは、今のフルートではなく、
バロック時代のトラヴェルソのことで、それは極めて細く軽やかな音です。しかし私
はこれを、やや強めにヴォイシングしていますので、どちらかといえば、低音部はフ
ァゴット、高音部はトラヴェルソというよりも縦笛のリコーダーのように聴こえると
思います。このようにチェンバロの音を、他の楽器の音色に例えることは、バロック
時代の人々が好んでやっていたことでした。
こうして、反行フーガをフロント8'で弾いた後、最後に元の主題が帰ってくるところ
で、私も再び両手を下鍵盤に降ろして、最初と同じバック8'で第1番を閉じたいと思
います。

続いて、第2番。私は、右手を上鍵盤に上げて、フロント8'、左手はそのまま下鍵盤
でバック8'。つまり、先ほどの比喩を使うならば、リコーダーとチェロの2重奏で、
この曲を聴いていただきたいと思います。前述のように、この曲にはカノンの手法が
用いられていますが、そのために、右手声部と左手声部は、しばしば接近し、時に交
差します。ピアノなどでこれを弾いた場合、交差した声部を聞き分けるのは、やや困
難ですが、チェンバロでは、種類の異なる音色によって、これをはっきり聴こえるよ
うに、弾き分けることができるのです。

第3番。私が選んだ音色は、フロント8'+バック8'+4'です。以前に述べたニ長調の性
格を思い起こしてください。この調は、最も良く鳴る、華やかな調です。これに呼応
して、チェンバロのフル・ストップ、つまり、3セットの弦を全て鳴らす、最大音量
のレジストレーション(ストップの組み合わせ)を使います。

第4番。私はこれを、フロント8'+4'に、さらにバフ・ストップをかけた音色で聴いて
いただきたいと思います。これは、バッハの二男エマーヌエルも使っていた(おそら
くは父親から引き継いだ)組み合わせですが、今日のチェンバロ演奏では、ほとんど
聴かれない音色です。軽やかでもあり、華やかでもあり、それでいて、バフ・ストッ
プのドライな性格も加味されていて、私の大好きなレジストレーションの一つです。

第5番。ここで私は、ハープ・レジスターと呼ばれる音色を使おうと思います。これ
は、上鍵盤で弾くフロント8'にバフ・ストップをかけ、さらに、下鍵盤のバック8'を
オフにすることで得られる響きです。バフとは、前述の通り、弦の駒際に軽く皮革片
を触れさせる装置で、これにより、倍音がカットされます。この状態では、リュート
に近い、比較的乾いた音になります。ところで、このフロント8'のジャックは、カー
クマンではジャックの左側に張られた弦をはじきます。反対に、バック8'がはじくの
は、ジャックの右側の弦です。ここで、バック8'をオフにすると、この右側の弦が解
放されます。つまり、いつでも鳴る状態になるわけです。(ストップがオンのときに
は、ジャックに装着されたフェルト片によって、弦はミュートされます。鍵盤を押し
下げて、弾いた時にのみ、このミュートが解除される仕掛けになっているのですが、
ストップをオフにすると、弾く弾かないに関わらず、常に弦は自由に響くことのでき
る状態になるのです。)
そうすると、左側の弦がはじかれて鳴った場合に、すぐ隣の右側の弦も、はじかれも
しないのに、一緒に鳴る、という現象が起こります。つまり、共鳴弦として働くので
す。この結果、ハープに近い、快い音色が得られるというわけです。

第6番。この曲は、『インヴェンツィオン&シンフォニア』30曲中唯一の前後半、繰
り返し付の2部形式の曲です。このような場合、まずはバック8'で始め、繰り返しは
フロント8'で弾くのが、チェンバロ演奏の伝統における通例です。私もここでは、そ
の通例に従いたいと思います。

第7番。わたしはこれをナザールを使って聴いていただきたいと思います。ナザール
は、特別なジャックを用いて、弦の駒際をはじくことにより、鼻にかかったような音
を出すストップで、カークマンの場合は、ジャックの左側の弦を使います。このとき
右側の弦を開放する、つまり、バック8'をオフにすることで、共鳴効果を加えること
ができます。これにより、さらに幻想的な響きを得ることができます。(ナザールと
いうストップ名も、オルガンから借用された用語です。オルガンでは、1オクターヴ
と5度上の音を出すパイプを付加することで、この効果を生み出しますが、チェンバ
ロでも、弦をはじく位置を計算して、ジャック列を斜めに配列し、ちょうどこの5度
が強調されるよう、配慮されています。)

第8番。これには、いろいろな可能性があって、私としてもかなり迷うところなので
すが、今回はバック8'+4'という組み合わせで弾きたいと思います。この曲の主題に
は、8分音符のトランペット音型と、16分音符で細かく動く弦楽器音型が含まれてお
ります。その両方を表現するのに、このレジストレーションは最適だと考えます。
なお、この場合、フロント8'をオフにして、共鳴弦として使うかどうか、迷うところ
ですが、これは、当日の会場の響きを聴きながら、その場で決定したいと思います。

第9番。寂しさと厳しさを湛えたこの曲を、私はフロント8'のソロで弾きます。この
とき、バック8'はオンのままにし、共鳴効果は使いません。これにより、やや乾いた
音色となりますが、むしろ、この曲の場合には、それが相応しいと思われます。

第10番。私はこれを、バック8'+フロント8'+4'、それに、フロント8'にバフ・ストッ
プをかけた音色で、お聴きいただきたいと思います。これは、華やかで、豪快な音で
すが、歯切れがよく、軽やかでもあるという、実に心憎い味わいを出せる組み合わせ
です。この曲の性格には、これがいちばん合っているように、私には思われます。

第11番。ここで私が選んだのは、バック8'+フロント8'、それに、バフ・ストップ、
つまり、直前の第10番に使った音色から、4'を除いた組み合わせです。少し乾いた、
落ち着きのある音色になります。

第12番。ここで、私はバフ・ストップをオフにして、バック8'+フロント8'という単
純な組み合わせを使いたいと思います。
2列の8'の合奏です。これは、時に弦楽合奏のようにも聴こえますし、ヴイオリン
+オーボエのユニゾンのようにも聴こえます。タイアーと私の設計によるカークマン
では、下鍵盤を押し込んで、ドッグレッグ・ジャックによるカプラーを使って、この
レジストレーションを作ります。このとき、二つの8'のジャックが同時に動くわけで
すが、弦をはじくタイミングは、ほんの僅かにずれるよう、調整します。これによって
音に重厚な厚みと伸びが生まれ、鍵盤は軽やかに動くようになります。しかし、この
ずれの調整が、なかなか大変です。ずれ過ぎるのは勿論ダメです。耳にはほとんど聞
き取れないほどの、ほんの僅かなずれでないと、うまく働かないのです。

第13番。私はこれを、フロント8'+4'の組み合わせで聴いていただきたいと思います。
全体的には4'がメインで、これを支えるように、オクターヴ下で、軽やかで柔らかい
8'が程よく鳴る、という音像です。これは、オルガンで、やはり軽やかな曲にしばし
ば用いられるフルート8'+プリンツィパル4'という音色に似ています。
この曲の主題は、素早く駆け上がるような分散和音でできており、フルートやリコー
ダーの演奏を彷彿とさせます。

第14番。ここでは、4'のソロを使います。4'は、通常の音高よりも1オクターヴ高い
音を出すストップです。これをソロで使う場合、バック8'はオフにして、下鍵盤で弾
くわけですが、カークマン・チェンバロの場合、ここでフロント8'もオフにして、2
列の8'を共鳴弦として使うことができるのです。もちろん、共鳴弦を1列だけにする
ことも可能なわけで、この選択にも、ちょっと迷うところですが、やはり、当日の響
きを聴きながら、最適な方を選ぼうと思います。
この曲では、全体のゆったりとした流れの中で、冒頭の鋭いリズムを聴かせる装飾音
型が美しいコントラストを創るわけですが、この装飾音型は徐々に密度を増し、クラ
イマックスでは、この音型を両手で連続的に繰り返します。この音型はバルトフレー
テ(森の笛)と呼ばれる楽器の音色を想起させます。4'は、これを表現するのに実に
ぴったりなのです。
この4'のソロというのは、オルガン演奏では頻繁に用いられる重要ストップです。バ
ロック時代、チェンバロ演奏でも、このストップは大いに活躍したものと思われるの
ですが、今日のチェンバロ演奏では、残念ながら殆ど無視され、聴かれることはあり
ません。

第15番。私はこれを、バック8'のソロ、そして、フロント8'をオフにして共鳴弦とし
て使う、という響きで聴いていただきたい。この、やや甘みを帯びた響きによって、
この曲のメランコリックな魅力を十分に味わっていただけるものと思います。

(全文・武久源造 写真,一部校正/改行・optsuzaki)

2012-11-12

夕方の散歩に


下の娘と、井戸公園まで少しだけ、歩きました。

今日は先週の土曜日の代替休日で、小学校はお休み。
夕方まではお店にやってきていたものの、DSばかりでは
ダメダメと手を引いて、外へ出たのですが。

自分で公園まで行く、と言い出してからは足取りの軽いこと(笑)。

そうあって欲しい、そうあらねば、の、変わらぬ風の子でした。

2012-11-11

Don't shock the monkey


この神社、すぐ近所なのですが、先日「サルが出た」ということで
旧市内の話題の舞台になったところです。

その後、見かけたという話を聞かないのですが、一体どうなったんでしょう。

サルも、10キロほど入った山では、結構当たり前に見られますが、
こんな海沿いにまで出てくるとは、エサがなくなったのか、
それとも他に原因があるのか、どうなんでしょう...。

先日、となり町では、田にイノシシが入って困ったという話も聞きました。

で、どうしても思い出してしまうこの曲(こじつけっす・笑)。


"Shock the Monkey" as "a love song" that examines how jealousy can release one's baser instincts; the monkey is not a literal monkey, but a metaphor for one's feelings of jealousy.(P.G)

2012-11-10

シェフレラだった


長いこと、カポックと呼んでいましたが、今日誤りに気がつきました。
25年間、ゴメンよ(笑)。

店の二階、吹き抜けの上に陣取っているシェフレラは、
なんども枯れるギリギリ状態まで、痛い目にあっています。

虫がついて葉がベタベタになったこともありました。それがために
屋外に出され、捨てられる直前まで冬の寒い中に放置されたことも
ありました。

まあ、よく耐えたものです。

植え替えられて勢いのある現在は、日当たりの良い窓辺から
少し入った今の場所で、小さな芽をほぼ年中吹き出すほどまでに
元気になりました。

入り口のスパティフィラム同様、私どもの毎日をそっと
見てくれているようです。

2012-11-09

これがそのCENTURIA・で

野の宝石、か

これがそのCENTURIA という投稿をして、だいぶ経ってますね。

期限切れもそろそろ良い感じになってきたので(どういう意味:) 、
先日やっと、山へふらふら撮りに行きました。

まだフィルムを通していなかったPENTAX MG + 50/2.0の試写も
兼ねています。軽くてファインダーの明るいMGは、深まる秋の
彩りを次々と捉えてくれました。

CENTURIA200は、少しおとなしい発色と聞いていましたが、
ある意味ハッタリのない感じで、レンズによってはなかなか
いい雰囲気でした。

といっても、もう無い、のでしょうけれども。

2012-11-08

2012 笠岡小学校音楽鑑賞会のご案内


東京フィルハーモニー交響楽団等で活躍するメンバーによる
演奏会のご案内

11月20日(火) 13:45〜14:45 

笠岡小学校 貫閲講堂

一般の皆様もご自由に入場いただけます


・演奏曲目

モーツァルト :ディベルティメント1番より 第一楽章
ロッシーニ  :チェロとコントラバスのための二重奏曲より 第三楽章
ドヴォルザーク:四つのロマンティックな小品より「カヴァティーナ」
アレンスキー :チャイコフスキーの主題による変奏曲

【追加・変更がわかり次第こちらにアップします】


・プロフィール

西野彰啓(にしのあきひろ)
音楽のちから 代表
鹿児島生まれ、鹿児島育ち。
現在、日本社会事業大学 精神保健福祉士養成課程 在籍。
伊豆の山奥から富士山を眺めながら生活している。

近藤薫(こんどうかおる)
3歳ぐらいからヴァイオリンを始め音楽に導かれるままその道へ。
東京藝術大学、東京フィルで大切な仲間に出会い、音楽の力を信じ、
今は主に九州交響楽団で演奏中。

戸上眞里(とがみまり)
東京藝術大学音楽学部付属高校を経て同大学を卒業。
田中千香士氏に師事。新日本フィルハーモニー交響楽団ファースト
ヴァイオリン奏者を経て、現在東京フィル・セカンドヴァイオリン
首席奏者。バッハ教会管弦楽団首席奏者。

中村洋乃理(なかむらひろのり)
9歳からヴァイオリンを始め、17歳からヴィオラに転向。
笠岡幼稚園、笠岡小、笠岡西中、笠岡高校と笠岡どっぷりな
生活の後、音楽と共に生きるため一念発起して愛知県立芸術大学へ。
後、東京藝術大学大学院を修了し念願だったオーケストラの団員になる。
現在、東京フィル、ヴィオラフォアシュピーラー。

渡邉辰紀(わたなべたつき)
東京藝大において安宅賞、日本音楽コンクール入賞。デトモルト音楽大学首席卒業。
北西ドイツフィルハーモニーとの共演によるフリードリヒ・グルダ「チェロ協奏曲」
が反響を呼ぶ。バイエルン放送、ドイツ放送出演など高く評価されている。
北西ドイツフィルハーモニーソロチェリストを経て、2006年より東京フィル・
首席チェリストに就任。

遠藤柊一郎(えんどうしゅういちろう)
東京藝術大学音楽学部器楽科卒業。同年、東京フィルハーモニー交響楽団に入団。
オーケストラでの活動と共に、室内楽においては、伊藤恵、花房晴美、フジコ
・ヘミングらと共演。小田原のお菓子・ギャラリー「菜の花」、銀座のギャラリー
&バー、山梨の古民家ギャラリーでのソロ演奏などを開催している。


音楽のちからとは                      

東京フィルハーモニー交響楽団で活躍するメンバーを中心に結成したユニット。

「全国の子ども達に本物の音楽を届けよう。」と、代表 西野彰啓さんの呼び掛け
により集まった。全国の小学校、幼稚園、老人ホーム、介護施設、養護施設などで、
“音楽のちから”コンサートを開催。

吹き抜けを抜けて


弱い秋の陽も、お休みの店内には静かな照明。思わぬ奥まで店内を
照らします。

旧店舗は北向きで全暗黒でしたが、こうしてほの温かい光が
静かな店内をそっと包みます。

不具合の出た加工を送り出しなおして、そろそろ店を後にしますか。

2012-11-07

街と人を思う気持ち

旧暦24日の今日、恒例のおかげいち、でした。

いいお天気かなと思っても、薄ら寒ければ、
大仙院にお参りに行くみなさんのご年代では、
けっこう堪えるものかもしれません。

今日は、振興組合の催事で、フライ豆を売っていました。

美味しそうでしょう~

昨日、袋詰にした豆200グラム強・100円。
数にして80袋を2時間ほどで完売しました。

2個、3個...あるいは5個、と、もとめる方もいらっしゃいます!
そんな方には、補聴器の袋に入れて手渡します。

街中をWIDEXの袋が行き交うのは、あまりみられないことなので
少し微笑ましいです。



平生と違い、外でこういう手売りをしていて思うことは、いろいろあります。

知っている方達も通りすぎますが、それ以上に、こんなに笠岡にも知らない
方が出入りしているのか...。

街を訪ねる目的は各々違っていても、ここに何か必要なことがあり、
それが満たされるから来る、というあたりまえのことが動機なのでしょう。

それらは、モノを買いに来るといった明確に答えられる理由もあれば、
人が歩いているから足が向く、というだけのものもあるでしょうけどね。

「必要とされるということ」は、なかなか言葉にうまくできないのですが、
そこに実に幅広い糸口を持っているのだ、と。

幅が広いのに人の数が少ない、という結びつきをどうやって取りもっていくか、
というのが難しさなのですが、その糸掛けを果たすのが「街と人を思う気持ち」
ではないかなぁと、ついさっきから反芻しています。




2012-11-06

インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part12

インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part12
武久源造




前回は、今月の18日に私が福山で演奏するカークマン・モデルのチェンバロでは、13
種類の異なる音色を作ることができる、というお話をしました。

ここで少し専門的な話になりますが、実は、オリジナルのカークマンの仕様では、鍵
盤を動かして、カプラーをオン・オフする仕掛けは装備されていませんでした。した
がって、もともとのカークマンでは得られる音色の種類はもっと少なかったことにな
ります。福山延広教会にあるチェンバロは、製作者のフィリップ・タイアーと私のア
イディアで、オリジナルのカークマン仕様に、ジャーマン・カプラーと呼ばれる仕掛
けを組み込んだものなのです。

翻って、現在、世界の多くのチェンバロ、そして、日本で作られるほとんどのチェン
バロでは、後期フレンチ・モデルと言われる仕様が標準化されています。そこでは、
2段ある鍵盤の上鍵盤の方を動かしてカプラーをオン・オフするフレンチ・カプラー
が特徴的です。しかし、私は、特にバッハを弾く場合は、ジャーマン・モデル、即ち
ドイツ語圏で好まれたタイプのチェンバロ(ツェルやジルバーマン)を愛用していま
すが、そこでは、下鍵盤を動かしてオン・オフするジャーマン・カプラーが用いられ
ていました。一方、カークマンは、イギリスで名を成した製作家でしたが、もともと
はドイツから移住した人でした。というわけで、カークマン・モデルにジャーマン・
カプラーを組み込むことは、ごく自然なことのように、私には思われました。

こういうことは、一般の聴き手の皆さんには、あまり興味を持っていただけないこと
かも知れませんが、私のようなチェンバリストにとっては、非常に気になるポイント
の一つなのです。まあそれはさておき、ここまで読んでくださった方の中には、
「今までチェンバロの演奏を聴いていて、13種類もの異なる音色を聴いた覚えはない
ぞ」と、いぶかしく思われた向きもあるでしょう。実は、そう思われたとしても仕方
がない、という面があります。たとえば、去る5月に、私が延広教会で『ゴールトベ
ルク変奏曲』を弾いた時には、合計8種類の音色しか使いませんでした。しかし、こ
の8種類という数にしても、今日、世の標準的なチェンバロ演奏からすると、法外な
数です。現在、演奏会や録音などで聴かれる、チェンバロによる『ゴールトベルク』
の演奏では、ほぼ4種類の音色で、ほとんどの曲を弾いてしまう、というケースが大
半です。その4種類を列挙すると、

1)バック8'、
2)フロント8'、
3)バック8'+フロント8'、
4)バック8'+フロント8'+4'。

しかも、この4種類は、いつも均等に使われるわけではありません。全体のほぼ半分
強は1)と2)で弾かれ、3)が2・3割、4)は1割弱、といったところです。

このように、現在チェンバリストの間で、音色に関して、ごく禁欲的な演奏が瀰漫し
ているのには、いくつかの理由があります。それを理解するには、チェンバロ復興の
歴史を考える必要があります。

チェンバロは、20世紀初頭に復興された古楽器です。復興当初は、プレイエルなどの
ピアノ・メーカーが、現代ピアノの技術を応用して、チェンバロらしきものを拵えた、
という状態でした。。「現代の進んだぎぎゅつがあるのに、なぜ、昔の製法に戻る必
要があるのか」というのが、当時の人々の考え方でした。だから、そのころ復興試作
されたチェンバロには、巨大な鉄骨が入っていたりして、まるで現代ピアノのような
外見のものもありました。そのような楽器を、我々は今、モダン・チェンバロと呼ん
でいます。その後、少しずつ、昔のチェンバロの姿に戻ろうとする傾向が強まっては
きましたが、1950年代までは、基本的にモダン・チェンバロの時代でした。大型のモ
ダン・チェンバロでは、鍵盤は2段、弦は4セット、ジャックは5列、ストップは八つ、
というのが標準でした。これは、その昔、16~18世紀に各国各地域のチェンバロ・
メーカーたちが独自に開発していた様々な仕掛けや仕組みを、1台のチェンバロに全て組
み込もうとした結果でした。つまり、いいとこどりをやろうとしたわけですが、この
結果、ごちゃごちゃといろいろな装置が取り付けられた楽器になってしまった。

こういうモダン・チェンバロを弾いていた我々の先輩たちは、元オルガ二スト、ある
いは、オルガニストと兼務、という奏者が多かった。ヘルムート・ヴァルヒャやカー
ル・リヒターはそういう「オルガニスト兼チェンバリスト」の代表格でした。彼らは、
オルガンと同じ発想で、チェンバロの音色の組み合わせを大胆に変化させました。曲
の演奏中でも音色を自由に変えられるように、足で操作するペダル機構が開発され、
彼らはそれを駆使して、昔のチェンバロ曲を、いわばオーケストレーションして演奏
したのでした。

こういう演奏で派手にオーケストレーションされた『インヴェンツィオン』などを聴
くと、確かに、ピアノとは違う、「チェンバロ独特の世界」というものを、誰でも直
ちに感じ取ることができました。この分かりやすさのために、モダン・チェンバロは、
最近まで、様々な用途に使われたのでした。この楽器の為に曲を書いた現代作曲家も
多く、その中には、今でもなお演奏され続けている秀作が少なくありません。中でも
有名な物には、ファリャの『チェンバロと六つの楽器のためのコンチェルト』、プー
ランクの『田園協奏曲』、リゲティーの『コンティヌーウム』などがあります。

しかし、このモダン・チェンバロには大きな欠点がありました。それは、余りにも様々
な仕掛けを装着したために、チェンバロ本体の共鳴が阻害され、8'一列というような、
ごく単純な音色を選んだ場合、音が痩せていかにも貧弱、特に、基音や低次倍音が弱
かったことです。また、多くのモダン・チェンバロでは、はじく音を柔らかくするた
めに、爪には皮革材などを用いていました。これはやはり、人々の耳があまりにもピ
アノの音に適合していたために、鋭くはじく本来のチェンバロの音を受け入れなかっ
たためと思われます。(確かに、18世紀でも、革材で弦をはじくことは、一部のチェ
ンバロで行われてはいたのですが、それは、明らかにチェンバロの本来の音ではあり
ませんでした。)本来のチェンバロは、鷲や鷹などの硬くてしなやかな羽軸を削って
作った爪で、比較的柔らかい金属の弦をはじく。その時に生まれる強い基音と豊かな
倍音、そして、ある種のノイズも含めて、それらを受け止め、十分に膨らませて、音
楽的な音に育てる響体を持っていました。その響体には、ちょうどヴァイオリンやチ
ェロがそうであるように、できるだけ余計な物を取り付けず、自由に響く状態にして
おくのがベストでした。このようなチェンバロでは、一本の弦を単純に鳴らしただけ
でも、その1音の中に、強い基音、そして、弦の長さの2分の1が出す8度、3分の2の5
度、4分の3の4度、5分の4の長3度、6分の5の短3度など、音階のあらゆる音が同時に
鳴る。つまり、巧みに作られ、良く調整されたチェンバロであれば、1音の中に全て
の音が聴こえる、という、極めて宇宙的な楽器であったわけです。そして、そのよう
なチェンバロは、やはり、昔通りのやり方で作らないと、できない。このことが、
1960年前後に発見されると、チェンバロをできるだけ、それが生まれた時代のやり方
に忠実に再現しようという製作家が現れ、また、それを、昔通りの弾き方で弾こうと
いう演奏家が現れ始めました。現在私たちも、基本的にはその仕事を推し進めている
わけです。こうしてできた楽器を、ヒストリカルな楽器、と呼んでいます。

このようにして、ヒストリカルなチェンバロを弾き始めた人たちは、モダン・チェン
バロの奏者とは逆に、あまり、ストップ操作を多用せず、できるだけシンプルな音色
で弾くのを好みました。その方が、チェンバロ本来の魅力が、より明瞭に伝わると思
われたからです。特に16世紀や、17世紀前半に作られた初期のチェンバロでは、弦も
2セット、ジャックも2列、鍵盤は1段というものが多かった。こういうチェンバロで
は、もともと、あまり多くの種類の音色は作れません。この種のシンプルなチェンバ
ロが、チェンバロの基本であるとすれば、音色の変化に頼らず、弦の振動が響体の中
で時間的に変化する過程で聴かれる多様な揺らぎを生かした奏法、つまり、私がこの
解説のPart10で述べたような奏法こそが、チェンバロ演奏の王道であると考えられま
す。モダン・チェンバロの時代には、我々の先輩たちは19世紀的な美学と、ピアノや
オルガンの奏法を延長応用してチェンバロを弾いていたと言えるでしょう。それが、
ヒストリカル・チェンバロの時代になって我々は、17世紀や18世紀に書かれた奏法の
教科書や指南書を読み始めた。例えば、モーツァルトの同時代社テュルクの『クラヴ
ィーア教本』には、時間を伸縮させて弾く双方が開設されています。また、バッハの
従弟ヴァルターは、「鍵盤奏者は7種類のレガートを使えなければならない」と言い、
それについて詳細な解説を書き残しています。さらに、原点資料の中には、興味深い
昔の指使いを書き残した物も、かなりたくさん散見されます。こういうものを再構成
して、音楽修辞学の考え方に従いつつ、チェンバロ音楽の解釈と奏法を甦らせる。そ
れが、我々のやっていることであるわけです。しかし、それは、昔の美学の不器用な
真似ごとに終わってはいけないと思います。そこに、現代を生きる我々の感覚が創造
的に盛り込まれてくるのは当然のことであり、そうでなければ、その音楽は我々の財
産とはなりえないと思うからです。


ところで、18世紀半ば、バッハの晩年には、チェンバロは既にその衰退期に入ってい
ました。この時代になると、チェンバロには、本来なかったような仕掛けを取り付け
て、音色の多様さが求められるようになった。カークマン・チェンバロなども、その
例の一つです。
こういうわけで、バッハがその円熟期を迎えたころ、チェンバロはちょっと微妙な段
階に差し掛かっていたわけです。バッハの大作の多くは、専ら、2段鍵盤の大型チェ
ンバロのために作曲されました。オルガンの名手でもあったバッハは、チェンバロに
も、ペダル鍵盤を装備し、多くのストップによる多様な音色の変化を駆使したであろ
うことは間違いありません。彼の息子であるエマーヌエル・バッハは、あるチェンバ
ロ・ソナタの楽譜に、ナザールやバフ・ストップを使って、多様な音色を創りだす方
法を書き込んでいますが、こういう工夫の多くは、おそらく父親から引き継いだもの
であったでしょう。

これらの事情を総合し、かつ、先人たちの仕事を踏まえつつ、私は、チェンバロの可
能性と、そこで演奏する音楽の可能性とを積算して、さらに新しい奏法を開拓しよう
と思っています。なぜなら、私にとってチェンバロは、既に古楽器ではなく、ちょう
どバッハにとってそうであったように、今なお生きて変わり続ける我らの時代の楽
器、そして、未来の楽器だと思えてならないからです。

(全文・武久源造 写真,一部校正/改行・optsuzaki)

2012-11-05

インヴェンツィオンとシンフォニアについて Part11

インヴェンツィオンとシンフォニアについて
Part11
武久源造



前回は、チェンバロ演奏の基本=一つの旋律を弾く際に、チェンバロでは何ができ、
何ができないのか、についておはなししました。これに引き続き、今回は、チェンバ
ロにおける音の種類の選択について説明しましょう。

来る11月18日に私が演奏するカークマン・モデルのチェンバロは、

2段の鍵盤、
3セットの弦、
4列のジャック、
5個のストップ

を持っています。別にいうと、このチェンバロは、

二つの演奏空間、
三つの音源、
四つの演奏メカニズム、
五つの音色、

を備えている、という言い方ができるでしょう。奏者は、これらを自由に組み合わせ
て、各曲の表現に最適な音の場を設定することができるのです。
以下、これについて、できるだけわかりやすい説明を試みましょう。

まず、鍵盤が2段ある、ということは、演奏に先立って、どちらの鍵盤で弾くのか、
しかも両手を同じ鍵盤で弾くのか、異なる鍵盤で弾くのかということを、決定してお
かなければならないわけです。
2段の鍵盤を使える、ということは、我々の左手と右手を異なる鍵盤に置き、それぞ
れ独自の運動空間に遊ばせることができる、ということであり、また、それぞれに独
自の音色を選ぶチャンネルを持つことが許される、ということです。これは、ピアノ
にはないチェンバロの魅力の一つです。(ただし、チェンバロにも1段しか鍵盤のな
いものもあります。)もちろんチェンバロでも、両手ともに、同じ一つの鍵盤上で演
奏することもできます。したがってここで奏者は四つの選択肢を持つことになりま
す。

1)両手共に下鍵盤、
2)両手共に上鍵盤、
3)右手は下、左手は上、
4)左手は下、右手は上。


次に、このチェンバロには弦が3セット張られています。したがって、一つの鍵盤を
弾いた時に、最大限三つまでの音を同時に鳴らすことができるわけですが、この場合
も、どれか1本の弦のみを使う場合、2本を組み合わせる場合、3本を全て使う場合と
で、総計7種類の選択肢から、自由に選ぶことができるようになっています。
3セットの弦の内、2セットは同じ長さで、それらは同じ駒上に張られています。それ
らは、普通のピアノと同じ高さの音を出し、8フィート(8')と呼ばれています。8フ
ィートという言い方は、オルガンの用語を借りてきたものです。
残りの1セットは、1オクターヴ高い音を出すためのもので、長さは8'のほぼ半分で、
8'とは別の駒上に張られ、4フィート(4')と呼ばれます。

さて、これらの弦をはじくための装置をジャックと言います。形状は、細く平べった
い木片のように見える物です。そのジャックがそれぞれの鍵盤の先端近くに乗ってい
ます。これが音の数だけあるわけで、横にずらっと並んでいます。これをジャック
列と呼びます。このジャック列が、このチェンバロでは4列装備されているというわ
けです。(これも、チェンバロによっては、3列の物、2列の物などがあります。4列
というのは、最大級の規模です。)
チェンバロに座ってカバーを外して眺めると、手前側から4列、ジャックが並んでい
るのが見えます。それは手前から順番に、

ナザール8'、
フロント8'、
バック8'、
4'、

と呼ばれます。4列の内3列までが、8'です。ということは、その3列は、同じ高さ
の音を出す、ということを意味します。それらのジャックが接触する弦が、同じ長さ
だからです。ただし、音の高さは同じですが、音色が異なります。それは、ジャック
の前後位置が違うことによって、弦をはじく位置が異なるからです。ナザールのジャ
ック列は、かなり手前にあるので、弦の端、駒近くをはじくことになります。その結
果、鼻にかかったような不思議な音がします。ナザールとはフランス語で「鼻にかか
った」という意味です。それとはかなり距離をおいて、フロント8'のジャック列があ
ります。この距離の分だけ、弦の真ん中寄りをはじきます。音は、より太くなりま
す。
バック8'は、さらに奥側にあって、その分弦の真ん中に近づきます。音はますます太
く、暖かな音色になります。
一般に、撥弦楽器、リュート、ギター、筝などでは、このように弦をはじく位置を変
えて、多様な音色を創っています。(筝では、特に生田流の演奏で、この技法の好例
を聴くことができます。)

さて、ここからがちょっとややこしいのです。がんばりましょう!
これらのジャック列のうち、ナザール8'とフロント8'のジャックは、上鍵盤に乗って
います。つまり、これらは上鍵盤によって動かすわけです。さらに、この2列は、同
じ弦を共用しています。ということは、この二つは、同時には使えない、ということ
になります。また、このフロント8'のジャックは、ドッグレッグ(犬の足)と呼ばれ
る独自の構造によって、上鍵盤と共に、下鍵盤にも乗っているのです。これにより、
このジャックは、下鍵盤によって動かすこともできるようになっています。この仕掛
けをカプラーと言い、下鍵盤を前後に動かすことで、オン・オフできます。オフにす
ると、このジャックは上鍵盤専用になります。
一方、バック8'と4'のジャックは、下鍵盤に乗っており、この2列はそれぞれ固有の
弦をはじきます。したがって、この2列は同時使用が可能です。ここで、カプラーを
オンにすると、4列のジャックのうち、3列までを下鍵盤で弾くことができるというわ
けです。これによって、この3列、即ちフロント8'、バック8'、4'に関しては、あら
ゆる組み合わせで弾くことができるけれども、ナザール8'は、孤立していて、残念な
がら他のジャック列と組み合わせることはできません。

これら4列の組み合わせの可能性は計算上は15種類ありますが、上述のように2列のジ
ャックが一本の弦を共用し、かつ、ナザールが孤立しているために、結果的に、奏者
は合計8種類の組み合わせを選べることになります。

さて、これら4列のジャックは、その先端近くにプレクトラムと呼ばれる爪を、弦に
向かって突き出すように装着されています。鍵盤の手前側をを押し下げると、梃子の
原理で奥側は上がり、そこに乗っているジャックも上がります。すると、ジャック先
端の爪が弦に触れ、さらに鍵盤を押し下げると、その爪が弦を巧くはじくように調整
されているわけです。このときの爪と弦の接触幅は、ほんの0.2ミリ以下ですので、
これらのジャックを、爪とは反対の方向に少しずらしてやるだけで、弦をはじくこと
ができなくなります。このようにしてジャックの作用をストップさせる、つまりオフ
にする装置をストップと呼びます。オン・オフスイッチと同じ機構です。これが、4
列のジャック列それぞれにありますので、計四つ、それぞれ専用のレバーで操作しま
す。それに加えて、駒ぎりぎりのところで、弦に小さなフェルト片を軽く触れさせる
装置があります。これを、バフ・ストップと呼び、やはり専用のレバーでオン・オフ
します。これをオンにすると、倍音がカットされて、リュートの音に近い音色が得ら
れます。この仕掛けは、上鍵盤の2列のジャックが共用している弦に装着されていま
す。したがって、ナザール8'とフロント8'を使う場合にのみ、そこにバフ・ストップ
をかけるかどうかの選択ができるわけです。

これら五つのストップ・レバーは、奏者の手の近くに装備されていて、演奏中に、こ
れらをオン・オフすることも、やろうとすれば不可能ではありません。この五つの音
色の組み合わせは、計算上は31種類ありますが、メカニズム上の制約があって、都合
13種類が利用可能です。

ここで、今までの話を整理しておきましょう。
つまり、このチェンバロでは13種類もの異なる音色を作ることができるのです。18世
紀人の知恵、なかなかすごいですね。これは、アイディアとしては、我々の時代のシ
ンセサイザーなどと、基本的に同じだと言えるでしょう。
しかし、それらの音色は、シンセサイザーのようにスイッチでもってデジタル的に組
み合わせられる、というのとはちょっと違います。
上に述べたように、この13種類の音色は、その中に、4種類の鍵盤の組み合わせ、7種
類の弦の組み合わせ、8種類のジャックの組み合わせ、という互いに異なる内容を含
んでいるのです。しかもそれらが、折り重なるような重層的な関係になっている。こ
れを奏者の側から整理すると、、

1)2段鍵盤の内、どの鍵盤に指を置くか、
2)3セットの弦の内、どの弦を使うか、
3)4列のジャックの内、どのジャックを使うか、
4)最終的に、五つのストップのどれを使って、どのような音色にするか、

この四つの選択を、我々は重層的に行っている、ということになります。分かりにく
い説明ですみません。

さて、一般に、楽譜というものは平面に書かれた2次元の情報です。我々奏者は、い
わばそれを3次元の音構造にして、聴き手の皆さんにお届けしています。その構造の
青写真は、まずはチェンバリストの頭の中にあります。そのデザインに沿って、チェ
ンバリストは、上述の4レベル、即ち、鍵盤、弦、ジャック、ストップの組み合わせ
を選び、その音構造を立ち上げるのに最適な環境を作っているということができま
す。

では、実際に『インヴェンツィオン』や『シンフォニア』のそれぞれの曲を私が、ど
の鍵盤を使って、どの弦を、どのジャックではじいて、どのようなストップの組み合
わせで弾くのか…。
その全てを、ここであらかじめ説明することは、残念ながらかなり難しいと言わねば
なりません。
もちろん、現段階で私の頭の中には、今回の本番でどうするか、その設計図はできて
います。しかし、チェンバロという楽器は、毎日少しずつ変化していて、同じ弦を同
じジャックを使ってはじいても、その日によって、予想外の音色になることが多々あ
るのです。我々はそれを踏まえて、本番の日の朝、楽器と相談しながら、最終的な計
画を練らなければなりません。なかなか、骨の折れることですが、これがまた、あっ
と驚く発見に満ちていて、楽しい。

まあ、とはいっても、ほとんどのデザインは、たぶん、私の設計図通りに実行するこ
とができると思います。それについて、少し予告しておきましょう。

(続く)

(全文・武久源造 写真,一部校正/改行・optsuzaki)

2012-11-04

休み石 ヤスミイシ yasumiishi yasumiisiも 休石

変なタイトル、てへへ。これはただの検索対策です(ちゅどーん)。

さて、お陰様で、今回で1,000投稿目となりました。
(ここ数回は、源造さんに他力本願ですが:)

コツコツ毎日やってきましたが、この間にもずいぶん
お店も世の中も、みんな猫の目のように変化がありましたね...。

そんな中、変わらずこれを読んでくださる皆さんと
出会えたことは、本当にありがたいことデス。

ああ、続けてきてよかった。で、まだ続くよっ。


2012-11-03

そうか祝日ね

ああ、それで午前中に、一杯メールが。

最近はオークション出品もほとんどお休みしているし、
自分が出す用事が減っているので、以前ほどメールを
いただくことが無いです。

お返事を打ち終わったあたりから、ガラスレンズの加工が次々と。

割ったり、欠けたりないようにするには、置き方や持ち方を
少し気をつけて加工しないといけません。

だんだん寒くなって来ましたが、店内のヒーターも掃除できました。
やはり11月は晩秋、足元から冷えるようになりました。

我が家でも風邪ひきさん続出ですが、みなさんもお体に気をつけて。
(と、メールのような結び・笑)


これはプラスティックの度数が強いもの。レンズの中心を出して加工機に回します。

2012-11-02

風ぐるま、きのう




全開でお目にかかる嬉しさしか なかったです






2012-11-01

風ぐるま、今日


さあ そろそろ 行ってきます